※千年以上も前、宿儺の出生から始まります。オリジナルストーリーに近いです もしもの話をしよう。 里が灼かれている――悲鳴に怒号、焔がこれよがしに背丈を伸ばし草木一本残らず範囲を拡大している。逃げ惑う人々の群れに、刀を構えている兵たちが抜刀していく様を里を一望出来る小高い山のてっ辺から宿儺は眺めていた。 四本の腕を組み、眉を顰め「馬鹿が」と一つ悪態を吐く。それが里の者に言ったのか、侵略者に向けたものかは誰にもわからない。隣にいる、一人の女性を除いては。 「助けに向かう気?」 「いや、これは俺を欺く囮だ。今頃、呪術師共が背後に潜んでいるだろうな」 瞬間、ふたりの背後から物音がすると口唇を大きく、しなやかに湾曲させ宿儺は嘲笑う。「ヒヒッ」 地に刺してある剣を抜き取りながら真横からきた攻撃を避けると、そのまま宿儺は反撃を開始する。女といえば、終わりゆく戦いを邪魔せぬよう見守っていた。 里が灼かれていた。宿儺が支配していた領地が、育った大地が、守り続けていた里が焦土と化していた。 飛騨国に異形の子が生まれた事実は近隣中の噂になり、当時は忌み子だと恐怖する者、また神の子だと畏怖する者たちに二分したという。 腕(かいな)は四本、目許には更に両眼が存在しており、奇異の目に晒されながらも宿儺は里の恩恵を受けながら成長していった。友人はおろか、血の繋がった親ですら彼を手放したが、ただ一人の少女だけは唯一、宿儺に接触を図った人間だった。 少女の名は、といった。当時、この飛騨国を統治していた豪族の娘であった。数多くの兄姉を持ち、末娘として生まれたは少々お転婆ながら好奇心に富み、自由奔放に育った。恐らく、それが宿儺との出会いに繋がってしまったのだろう。 「角なんてないじゃない!」 里から少し離れたあばら家に宿儺が軟禁されていた家があった。台風でも到来すれば、瞬く間に吹き飛ばされるのではないか。そう思うほど拙い造りの家と呼ぶにか些か不十分なその場所にが訪れたのは十にも満たない頃だったろう。 この頃の宿儺は既に人を殺めることを覚えていた。世話役の人間を殺害すると、殺生の衝動が宿儺を手放すわけがなかったのだ。昨日、世話役の人間を殺し、二度目の殺人だった。 まさか十の子供に殺されているなど里の者は露ほども思っておらず、新たな人間を送り込む。二人目の世話人が姿を消したことに、さすがの里の者も不振に思ったのだろう。もうすぐここには、剣を携えた大人達がやって来る。 それよりも一足早くに到着したのがだった。忌子だ鬼子だと比喩されていた宿儺を見、彼女は先ほどの台詞を放ったのだった。 「…だれだ」 「早く逃げたほうがいいよ。ころされるから」 このあばら家から出るという意思は、どうしてか備わっていなかった。ただ人を殺める衝動だけが強く強く求め、殺し、渇望する。目の前に現れた少女に言われ、宿儺は外界に出るという選択を初めて得た気がした。 当然だ。満足な教育もなく、このあばら家が宿儺の世界だったのだ。 「はい」差し出された手は、椛(もみじ)のように小さく、少し赤味を帯びていた。宿儺は己の手のひらとの手を交互に目線を泳がせていると、痺れを切らしたが強引に四本腕の内の一本に掴みかかった。 此れが躊躇という感情だと彼が知ったのは、何年も経った後だった。薄汚れた宿儺とは違い、それは酷く清らかなものに映ったという事実さえも。 幼子二人が懸命に山中を駆けている足音は落葉の柔らかさに吸いこまれているのか、ささやかなものであった。先日、雨が続いていたため、枯葉となることなく湿気った葉は、驚くほど柔らかい。 がどこに向かっているのか宿儺は聞かなかった。また、あのあばら家を出、これからどこに行けばいいのか何も考えはしなかった。 この頃の宿儺は未だ凶悪さはなく、無に近しい。教養も何も生きる意味さえも。ただ一つだけ叩きこまれたのは”生かされている”事実だったが本能だけは存在していた。今は、唐突で強引な始まりの、宿儺の世界を破壊したのは幼いだ。 「どうしよう、ね」 突然ぴりたと止まった速度に宿儺も自然と足を止めると、目前には息を切らしながら遠方を指さしているがいた。 「これから、もっと寒くなるわ。山は、まっ白になっちゃうし、でも里に戻ってもころされる」 「……なぜ」 「うん?」 引かれていたを眺めながら、宿儺は言葉足らずにも疑問を口にする。「俺を、にがす」 「おじさんたちがころすって言ってたから」 は木々の黒影を弾くほど無邪気な笑みを向けた。だが宿儺は無表情の裏で、理由にはならない――というよりも納得のいく回答ではなかった。 幾つもの疑問が宿儺の脳内を掠めていくが上手く言葉に出来ないのが腹立たしい。元より頭の回転は速いが粗悪な環境が才を蹴り落している。 「――もどる」 数秒、黙り込んだと思えば宿儺はそう言うと、元来た道を辿り始めた。驚愕したが抵抗しようと繋がれた手を引っ張り上げるものの、幼いながらも男である宿儺に適う筈もない。 ずんずんと大股で歩く後姿に、は小走りでしか追いつけなかった。本当は戻りたくもないというのに、力を込められた手は放してくれそうにない。 「しんじゃうよ!」 「しなない」 即答だった。そして宿儺はと出会って――否、生まれてこの方――初めて嗤いなかがら答えた。「かんがえがある」 この時、急速に生きるための本能が産声を上げた瞬間など誰も予想だにしなかった。 再度、あばら家に戻るとそこは荒らされた形跡があった。の言葉通り、里の者がここにやって来たのだろうが、人間の気配はない。此処に来る途中も子供なりに警戒していたとはいえ、難なく辿り着けたことから運が良かったようだ。 無言のまま、宿儺は部屋を観眸している。不思議に思ったは、一歩前に出ると下から宿儺の貌を覗き「どうしたの」と話しかけたが返答はない。 やがて宿儺は四方の眸を大きく見開いたかと思えば一度、の手を変形するまで力を込めた。「いたい!」 次の瞬間、を壁に放り投げると、出入り口から無防備に侵入してきた男に強烈な一撃を放つ。次いで凄まじい衝撃音。 の双眸に映るもの、壁にめり込んだ男と宿儺の小さな後姿だった。呻き声は無論、侵入者である。 「…」 そして男が所有していた剣を強奪すると、躊躇無く刃を振り落したのだった。 「な、なんで…」 は、小刻みに顫動する身体を止める術など持っておらず、その恐怖心に身を任せ、ひたすら息を吸うことに必死だった。周囲は、じわじわと紅色が床を浸食している。壁は飛び散った血泡があの衝撃を物語っていた。ただ一人、血の海に佇む少年の名は、宿儺。両面宿儺だ。 ここでの脳内には、鬼子という言葉が浮かび上がった。先刻、「角なんてなんじゃない」と言い切った己はどこに行ったのだろう。確かに、両面宿儺は無慈悲の鬼だ。 宿儺は振り返ると、まるで何事もなかったようにに近づいた。地べたに座り込んでいたを見下ろすその面貌は、恐ろしく無感情である。 「まだ、ほかにいる」 追手が、という事のようだ。 「…な…んで、ころしたの。ころして欲しかったわけじゃなかった……ころされないで欲しかっただけなのに…!」 「ころさなければころされる」 「だから、にげようって」 「これから寒くなると言ったのはオマエだ。にげたとしてもしぬ。もどってもしぬ。なら、しなないやり方をかんがえた」 どこからか、外界から男が誰かの名を呼んでいた。でもなければ、宿儺でもない。ともすれば、消去法で宿儺の背後にて没している仲間の確率が高い。 声は、更に更にと近くなり、やがて出入り口から姿を現したが、同時にそれは死を意味した。宿儺が刃を男に向けて一突きしたからだ。 一人目よりも一際、大声を上げた男は目玉をひん剥き、何か独り言を吐くと絶命した。びくびくと痙攣した体躯は己の血に溺れながら、やがて動かなくなる。 「あ…ぁ……」 鮮血を浴びた宿儺は、降りかかった血を払拭することもなく、先ほどの会話の続きだろうか。に向けて話しかけてくる。 「ばれないように、ころせばいい」 「……!」 刹那、の背を悪寒が走り抜けた。さすがのも、ここでようやく命の危機に到達したのだ。 剣を携えながら宿儺は一歩、また一歩とへと距離を縮めた。逃げれば良いのだが、いっかな両脚が動くことはない。黒影が迫る。 四本腕の一つが、伸ばされるとは、反射的に目を瞑った――が、その手はの腕を掴むと無理やりに起立させた。訳も分からぬまま、は身長差のない宿儺を、じっと見据えた。 「この二人は俺を、俺たちをおそってきたことにする。そのために――」 初め何が起きたのか、は理解が追いつかなかった。気付いた時には、肩から腹脇まで血と脂がこびり付いた刃が通り抜けたという事である。 椛(もみじ)のようだと比喩した手が宿儺の衣を掴むが弱弱しい握力ゆえに、ただ撫で上げたに過ぎなかった。 「ぁ…」 か細い声を上げ、地に伏した身体から血溜まりが拡大していく。手足の末端から、ゆっくりと冷えていく温度を感じつつ、ここでの意識は途切れた。 「……」 宿儺は、黙したままの様子を眺めているように見えるが思考を巡らせていた。やがて唯一着衣していた衣を脱ぐと、それをの身体に巻き付け始める――止血を試みているようだ。 「”血を止めなければにんげんはしぬ”」 一人目の世話人が、いつしか怪我をして訪れた頃に言った言葉を宿儺は憶えている。五本の指に入る程度しか常識は教え込まれなかったが、否それ故か宿儺は生きる術として脳内に刻んだのだ。 衣が変形するほど結ぶとから苦しそうな声が辛うじて聞こえた。死なない程度に刃を振り落したが、範囲が広いだけに早急に生かさなければならない。 宿儺は剣を出入り口で事切れている男に握らせると下側にある両腕を使い、を横抱きにした。為すままに、ぐったりとしたが天を仰いでいる。 「……”ころされないで欲しかった”」 独り言を吐いた宿儺は裸同然のまま、あばら屋を後にした。森を抜け、川を股抜き、人間ならざぬ速度で駆け抜けていく。目指すは里。己の保身のため、のために。 が目を覚ますと、そこは己が屋敷であった。其の様子に気付いた下女が懸命に名を呼ぶが、干乾びた咽喉からは何も発せられない。其のやり取りを何度か繰り返すと、ようやく下女は薬師を呼びに行ったのだった。 高熱が蔓延っている身体は気だるく、そして宿儺に斬られた疵口が病む。は、後者の感覚から己の生を着着と実感した。あの惨劇の記憶を、ぼやけた脳内で構築していくと最後に宿儺が発した言葉を思い起こした。 “この二人は俺を、俺たちをおそってきたことにする。そのために――” そのために斬られたという事に行き着くまで、そう時間はかからなかった。十にもならないとはいえ、さすがのも理解する。二人が助かる方法の結果が、宿儺の中で此の結末だったのだ。 「……ッ…は、はは」 あれ程、搾り出そうとしていた声が簡単に出せたが其れは、しゃがれた哂いだった。老婆のようにも、”呪い”のようにも聞こえた。 障子から月光が室内を淡く模っている。渡殿から慌しい足音が次第に大きくなっていくのをは聞き流しながら、宿儺の行く末を考えていた。 |
(2019.01/23)