この世で一番賢くて綺麗なのは血なのだと、この女は言う。 遥か上空から見下ろしている、赤く染め上げられた満月の表面に負けないほど綺麗で複雑な顔をしながら、は静かに告げた。 静まり返った暗黒の夜にそれは響き渡り、一羽、また一羽と蝙蝠の羽ばたく音が、この闇の深さを物語っている。 森にひっそりと佇むこの洋館のリビング・ホールのテーブルには食べかけの肉とアルコールが置き去りにされている。先ほどまでオレ達が飲み食いしていたものだ。ビールに浮かぶ炭酸が数少なくなっている。 窓辺に寄り掛かる様にしてオレはを、彼女は窓の奥を覗いていた。 暫くしてからの横顔を堪能した後、オレは凝視していた眸を窓へと移した。梟の不気味に廻る首と金の眼が見え、浮かんでいる月よりも眩しいと感じが、「いや」と否定する。眩しく美しいものは目前でも展開していた。 遅くしてようやく問いかける。「なぜそう思う?」 「連立するDNAと色、かな。素敵じゃない?」 キッパリと理由を言い終えた赤い肉が弓形につり上がった。引き寄せられた目線の先は、いつかに聴いた交響曲に似ていると姿形、存在さえ違えど雰囲気でそう思ってしまった。 謡うように奏でる声、踊る言葉に、翻った先から覗く色香。記憶の低底からあの頃を掬い出してみる。 ホテルの地下にあるバーは、物寂しい音楽に包まれていた。カウンター席に座る彼女の隣でカクテルを呷り、双耳を貫く声と共に交響曲が存在を忘却出来ない程度に流れていた。 激しく胸打つ旋律は時に優しく、最後の余韻は切なさが染み入りいつまでも聞いていたい衝動に駆られ、快楽に似た心地よさは、隣にいる人物の一言で全てが消し去った――あの、どうしようもない疼き。 『とても素敵だったわ。あの時のクロロが、今まで一番』 またしてよ、と妖艶な双眸がオレを射る。 その時オレは、この言葉の意味を汲み取ることが出来なかった。ただ笑っていつまでも魅入る眸と消し去ったはずの余韻の中で、はどのように啼くのか、今とまったく関係のない男の本能を脳内に巡らせていた記憶がある。 その晩、残念ながらは啼きはしなかったが。見かけによらず案外堅いのだと、目の当たりにしたギャップでさらに殺したいと思った。 殺したい程の愛。殺す事でしか、オレは人を愛せない。 彼女の願いは、恐らくウヴォーに捧ぐ鎮魂曲の様子を指している。あの時、同じようなことを再度オレにしろ、と回りくどく強請ったのだ。彼女の願いは、いつも金では解決できない事ばかりだった。今回は、どうやら盛大なパーティーをお望みらしい。 第三者がここにいたのならば、オレ達を気狂いと言うに違いない。オレもも、人間をやめた人間なのだから、それは致し方ないことだと納得は――しては貰えないな。 残酷と優しさを同時に持つ存在は、いつまでもオレを放してはくれない。こちらも放そうとは思わないが、いつの日か彼女は、この両腕をすり抜けてしまうだろう。どこまでも自由奔放で、何ににも縛られることなく、まさに風のように吹いては止む、の存在自体が自由だ。 だからこそ焦がれて止まないのだ。オレだけに固執にしている女だったら、オレは彼女に興味を抱かなかった。 ここで、ようやく現実に帰れば、剥き出しに不機嫌さを露わにしているがオレの顔を覗いている。クロロ、と吐息だけの名前に短く返事をするが機嫌は治りそうに無い。 「聞いていたさ。オレはここにいるよ」 自分に言い聞かせるように吐いた言葉は、にとって納得できないものだったようだ。よりいっそう濃くなった眉間のしわも、直ることはなかった。 手頃な言葉を吐くよりも、意識を手放し、覚醒した自分に言い聞かせることが何よりも最優先だ。こいつに吐く言葉は、つまらない物でなくしたい。もっと他の、相応しい事だけを言葉として紡ぎたい。 無駄なものは省く。シンプルに募らせたい想いは、オレが狂ったときに鋭利な刃物へと姿を変えるだろう。 「答えになってない」 「……」 「そうしてクロロは、いつも逃げるのね」 苦笑という言葉がこれほど似合う顔はない。は諦め口調でオレに言い放つと、なだらかに視線を床へ落とし、同時に落ちた前髪を片手で掬い上げた。その行為が合図のように沈黙していた闇を切り裂く。 羽を休めていた風は唸り、闇の住人達は活動を活発にし、ここからどこか遠くへ逃げるようにして草を掻き分ける音が遠くなっていった。それを聞きながら、オレは薄皮一枚の瞼を落とす。約十秒の間。 「踊ろうか」 オレはの手を取ってスペースのある場所まで無理矢理に誘導した。傾いた華奢な身体を受け止めて、腰に手を回すと彼女は不思議そうな顔つきをしたが、やがて半端諦める様に溜息を吐いた。 無音の世界で、世界から切り取られた場所で二人きりで踊る。蝋燭の焔が届く距離までがオレ達の世界だった。 「お前はオレに逃げている、と言ったがそれは間違いだ」 オレの言葉が合図かのように突如、銃声と怒号が前触れもなくやってきた。ヒソカが追って来たのかと思ったが、勘違いだ。あいつは相当オレと闘りたがっているのだから、むざむざと襲撃を知らせないだろう。恐らくは些細な殺人事件。 無論、オレ達が動じることはなかった。4分の3拍子で軽快に踏むステップが狂うことなく、二つ分の足音を鳴らしている。まるで外部の音が伴奏だという風に、オレ達は世間一般で言う――とても狂っている。 「オレはここにいる。お前が満足するまで、ここで」 明滅する感情を、この湧き上がる行為は言葉にできない。そもそも、人間の突発的行動に疑問符を立てるのはナンセンスだ。特に、言葉として説明できない故にオレは好きではない。 今の今まで下を俯いていたの面貌がこちらを向いた。酷く驚愕しているのはなぜか、少し考えて、思えばオレはの前で彼女曰くの逃避の答えをいつまでも持ち去っていたままだったと気付く。驚愕の根本は、返答ではなく言葉の意味そのものだろう。 先ほど言ったオレの解答は真実のはずだが、恐らく彼女の望むものはこれではない。 「まるで、あたしがいつも傍にいてって我儘を言っているみたいじゃない。10代の子供じゃないわ」 「傍にいても欲求が満たされないのは、。お前だったんだな」 メヌエットを踏んでいた足が止まった。顔を怒りで赤く染めたが利き手でオレの胸を力強く叩いてきた。 「そうやって、いつも人の心を読んで自分の心を曝け出さない。そんな、あなたが――」 彼女から、それ以上の言葉が繋がれるわけでもなかったが逆に繋がったものがある。 「放して!」 オレはの手のひらを持ち上げ、自由を強奪した。オレ達は手を繋ぎ合い、鬩ぎ合う。相反したこれに議論を持たなければならない。いつだって脳内を巡るのは未来への憶測と現状把握だ。 が言いたいことは分かる。オレ達は街角ですれ違う男女のように、当然を持って出会った。それからは説明するまでもなく、陳腐な男女間を彷徨い続けている。痺れを切らしたのはオレの方が早かったが、言葉にしてしまったのはだった。 好きか、嫌いか。愛しているか、いないのか。世界はそれだけで動いているわけではない。ただ、今さっき出来たばかりのこの小さな世界の原動力はそれだった。 感情を伝えることは、大事なものなのだろうか。オレは、しばし考えて思考に身を委ねる。 結局は、毎度の如く答えなど彼方だった。 「お前は永遠を信じる?」 変生に成った疑問を問うてみると、未だ怒りの収まらないの顔が丁寧に歪んだ。 「……言葉は好きだけど在るとは信じられない」 「そうか。オレは永遠を信じたいんだ」 死、というものに恐怖を抱かない。生死を共に置いて受容し、今オレはここにいる。 時に永遠と死は同盟を結ぶ場合がある。故にオレは、死を完結とした終わりだと思ったことは一度たりともない。魂は、想いは、記憶が薄れようとも在り続ける。だからこその永遠を、ここで使役するのだ。 は理解してくれるだろうか。いや、理解を求めるのはセックスの後でいい。 「オレに永遠の一部をくれよ」 「意味が分からないけれど、嫌だと言ってもクロロは奪うのね」 頷いたオレは首を落として真っ赤な口唇に齧り付いた。 オレ達は自分を探している。 己が持っている人間性では足りず、貪欲に己を欲求している。 今さっきまでお互いを貪り合っていた故、裸のまま二人ベッドに横たわっている。息一つ乱さないオレとは違い、は過重しているだろう身体で枕に突っ状していた。 オレは背を隆起している彼女に両手を伸ばした。前髪から後頭部にかけての頭蓋骨を撫でるように無理やり上を向かせると、多少乱暴だったせいか睨みをきかせた大きな双眸がオレを射ぬいた。 そうだ。それでいい。ただ、オレだけを見ていればいい。 その視線がある限り、オレはまだ人間をしているだろう。お前と同じ、仄かに残る人間を、まだ演じ続けるためにどちらかが滅ぶまで。あの賢く綺麗だと絶賛する血を大量に見るまで。 きっと、お前には血がよく似合う。 「、お前が欲しい言葉をオレは知っている」 究極まで辿り着いたらセックスの最中起こった、くるくると回る表情一つ一つがもう起きはしない。だが、愛しているという自己簡潔な悦楽を得られるのなら、それはもういらないとオレは思う。 人を愛した事がなかった。愛せば、それは兇器へと変貌することをオレは知っていた。抑制していたというのに、オレに体を許したお前がトリガーを引かせた。 ――予告だけは、してあげよう。 極上の笑顔で、心の中だけでは何度も口にした言葉を、今度はお前に伝わるように言葉にして捧げる。は、いったいどんな顔をするだろうか。 「実は殺したいほど、愛しているんだ」 殺してもいいか? と、笑顔でそれを語尾につける。 オレは笑い方を薄く変え、の言葉を待っていたが赤の口唇から声と言葉が共に出ることはなかった。 歓喜か悲鳴か、それとも未来か。さあ、明日はどっちだ。 ダンス・イン・ザ・ダーク |
(20130112/再録)