それからは、師匠と付きっきりで都合の良い引き出しプロット・キャビネットを試行錯誤していった。ジンの呼び出しをも突っ張ね、制約と誓約を確固なものにしていく。
 戦闘向きではなかったが、他者をサポートするには名前通り、都合の良い物になった。恐らく、綿密に練り上げれば能力は更に使い勝手が向上することだろう。
 動機は不純に思えるが、何年も蓄積されてきた想いで出来上がった代物である。特質系能力者だったことも、幸運の一つだ。
 遺漏なく、意気揚々とジンにお披露目したのは間もなくだった。は、一大決心を胸に秘めていた。

 電話は三回に一度、繋がれば良い方だった。メールという手段は徒労なのだとが悟りの境地に入ったのは、未だ十代の頃だ。ジン=フリークスという男に”普通”を押し付けてはならない。
 一度目の電話から一週間後、ようやくジンと連絡が取れたは、慣れた様子で第一声を吐いた。「お疲れさま。生きてる?」
「×××シティにいるんだけど、ジンはどこにいるの?」
『なんだ突然。教えられっかよ』
「じゃあ、どうしたら…」
『いいか、オレはなオメーみてェに暇じゃねーんだよ』
「お願い! どうしてもジンに見せたいものがあるの…!」
 どうして可愛くおねだり出来ないのだろう、とは自身に向けて苦笑した。だが、可愛く振舞ったところで、ジンが靡くことも立ち止まらないことも了知している。そんなもので吊れたら、安易に事が進んでいただろう。
 察しがいいジンは悩むことなく答えた。『やっと完成したのか』
「うん! ジンに見て欲しい」
 元気良く返事をしたに対し、電話越しから小さな舌打ちが聞こえて来た。それは苛立ちや面倒といったものではないとは勝手自由に思うと、胸の奥底で歓喜の花が芽吹いた気がした。
『あと十日』
「うん?」
『あと十日で終わらせてやるから、それまで”練”でもして待ってろ』
「…師匠でもないくせに」
『うるせー』
 その一言で電話は一方的に切れた。は、「もう!」と言って眉を顰めたが、徐々に柔らかな表情に変えると、携帯電話を胸に抱いた。
 半年は経っただろうか、修行に精一杯でジンとは会ってもいなければ連絡も取っていなかった。今まで、これほど離れたことがなかったにとって、会える約束は嬉しいの言葉以外、何も湧かなかった。Xデーが迫っている。

 §

 好きで好きで身に余る行為を強要することは、恋だという。
 愛して愛して相手側の行為を容受することを、愛だという。

 十日よりも二日早い、八日後のこと、に一本の電話が入った。相手は無論ジンで、早目に終わったようだった。
 約束場所を取り決めようとしたが、「舐めんなよ。オレはハンターだぜ」の一言で、特に場所を決めることなく夜には会えるのだという。ジンを信用しきっているは、素直に「わかった」とだけ伝えた。
 安易に居場所を決めないのは、用心のため、また痕跡を残さないためでもあることを、は知っている。この電話内容も盗聴されないよう、ジンが策を立てているとは思うが、用心に越したことはないという事だ。
 は、慣れた調子でキャビネットを具現化させた。「行こうか」
 臍を固めた人間の眸だった。

 ディナーがどうなるか分かるものでもない。夕刻の時間帯、は一応と買い物に出向いていた。エコバックを肩に下げ、滞在している家に向かって歩いている。
 彼女は今現在、知り合いの伝手で小さいながらも――掃除と管理も含めた条件付きだが――一軒家に住んでいる。近頃、ようやくキッチンの使い方に慣れて来たようだ。
 街一番の時計台は、市民にとって当然であり、誇りだ。公園のど真ん中に鎮座している時計台の前を通りかかったは、見慣れて来たそれを眺めた。
 もうすぐ時計の針が縦に置かれ、六の字と十二を指す。一時間ごとに、この時計台から有名な童話の歌が流れるのだ。
 の目線が前方に向かれた時だった。「
「見つけた」
 背後から声がする。振り返ったと同時には会いたくて堪らなかった人物の前を呼んだ。
「…ジン!」
 よォ、と片手をあげてジンが答えると小走りでは近づいた。肩に背負っていたバッグを地面に置くと、両手でジンの上着を握り、何度も名前を呼んでいる。
「んな連呼すんな。来てやったろ」
 本当は、抱き着きたいほどだった。
「うん、なんか埃っぽくて臭いけど」
「文句言うな」
 は知らない。まさかジンが完璧且つ足早に目的を達成してきたことも、形振り構わず×××シティに向かったことも、を探す楽しみも、何も知らない。
「で、どんな念能力だ。場所、移動すっか?」
「大丈夫。その前に言いたいことがあるの」
 脈動が全身に行き渡っている感覚だけがに生を実感させていた。想いと共に心臓が突起しようと懸命だ。むしろ痛い程だった。
「ジン、」好き、と口唇が模ったが、声にはならなかった。「ストップ」
「それ以上、言うな」
 ジンが寸のところで、制止させたからだ。
「どうして…!」
 ぐん、と未だ繋がれている上着を強く強く握り締め、ジンを引き寄せたの声は、ひと際大きいカラスの鳴き声に遮られた。しかし、ジンには確実に届いていたようで、彼は大きくかぶりを振る。
 何もかも、知っている口振りだった。
「オレはお前の気持ちに答えてやれねェ」
 狼狽することなく、憎らしいほど沈着冷静のまま、ジンは続ける。
「オレには息子がいる」
「…知ってる」
「欲しいもののために息子を捨てた。オレは、そーいう奴だ」
「……うん」
「んな奴が、一人の女を大事に出来るわけねーだろ」
 は、今度の相槌を簡単には打てなかった。受け入れられない理由が、もっと別のところにあると思っていたからだ。
 体のいい言い訳なのかもしれない。大人な男の謝絶なのかもしれない。だが、彼は回りくどいことを言うような男ではないとが断言するのは、もはや自負の狂気だ。
 真実は残酷で、どこか甘美の雫だった。
「…わかった」声は顫動している。「もう何も言わないから」

 ――気持ちを伝えたいのに、言葉に出来ないというなら。

「抱きしめてもいい?」
「…………ん~~…いや、あれだ…さっきクセーッて言ったじゃん」
「大丈夫、我慢する」
「我慢すんのかよ!」
「後ろ、向いて」
「……ん」
 このままじゃないのか、とジンは不思議に思ったようだが、それを声として世に出すことはなく、大人しく背中を向けた。
 の双眸には、見慣れたジンの後姿がある。この背に向かい、何度飛び込んでしまおうかと思った事か。追いつきたい、触れたい、隣に並びたい――と、欲求だけが闊歩していた日々。その日々の結末がこうなると一体誰が予想した。
 は手を伸ばし、腰に両腕を回した。小さな手は皺になるまで上着を掴み、ぴたりと身体を密着させる。想像した通りの分厚い体躯だった。
 頬を寄せ、すんと鼻を啜ると泥臭さの中にジン特有の匂いが混じっていた。大好きな人の匂いだ。

 ジンがなぜ現状の判断を下したのか、も理解している。もう我儘を並べる子供ではない。身体もだが、確実に心も成長していたが、それでも足りないのだ。
 大人という言葉が分からない大人を、なんと読めばいいのだろう。
 恋をしたら皆、脳みそはチンパンジーに成ってしまうという。ありとあらゆる可能性が付きまとう中、命の危機や状況判断が甘くなる。形が欲しい女と、己の欲求を優先する男。何もかもが違い過ぎだ。
 途方もなく、行く当ては確かに同じ道だった故の、ふたりの選択。何が正しいのか判断は彼方だ。
 ただひとつ断言できる。この問題に直面するのは、ふたりにとって早過ぎたということだった。

 頭上から声が降ってくる。「
「そんなにオレのこと好きか?」
 の中で、あの言葉が浮かぶ。

 ――好きで好きで身に余る行為を強要することは、恋だという。愛して愛して相手側の行為を容受することを、愛だという。

 初めは、押し付けるだけの相手だった。ジンを受け入れる事もせず、好きという行為を強要したに過ぎなかった幼き日。今のには判る。今までは、恋だった。
 数秒、は何も応えなかったが両腕という鎖からジンを放すと、いつも通り上着の布を親指と人差し指で摘まんだ。そして、あの合図を二度――そうだよ、大好きなんだよと。
 都合の良い引き出しプロット・キャビネットが発動されようとしている。
 この念の用途は本来、個人的な問題に使うべきものではないのかもしれない。心の中でジンのためだと言い聞かせながらも結局は、自分のためだ。
「それがお前の念能力か」
 ジンは、背後からオーラが巨大化していることに気づいてはいるが、微動だにせず、淡々と会話を続けている。
「止めないの?」
「お前のことだ。オレをどうかしようって考えてねーだろ。技量もねェしな」
 ジンには絶対的にを信用していた。そして、彼のシックスセンスが声を高らかにして叫んでいる――信認せよ、と。
「…わたし、ジンを困らせたくない」
「ガキがなに言ってんだ」
「わたしの念能力は、他者の記憶を具現化したキャビネットに収納することができる。奪われた人は、収納された記憶の一切を失う」
「……なるほどな」
「今日のわたしとの出来事と、念能力の詳細…持ってくね」
 ここで、ジンはめずらしく黙り込んだ。何を考えているのか、応答一つない。
 は、大きく息を吸うと具現化されたキャビネットに意識を集中させた。ジンに告げた通り、今日の出来事と念の詳細を収納するため、引き出しが開けられていく。

 今の今まで後ろを向いていたジンの後頭部は、横顔に変わっていた。反射的にが目線を上げると視線が蔦のように絡まり、繋がれた。徐々に口角があがっていく。ジンが笑ったのだ。
「やっぱガキは体温たけーわ」
 記憶が収納される間際の言葉に、も笑ってしまった。

 時計台が六時を知らせるため、けたたましく鐘を鳴らした。その真下にいるふたりは、双耳を抑えながらも時計台を見上げている。
 うるせーな、とジン。は、ただ笑っていた。
「ジン、今日はパーティーしようよ。ジンの仕事が一段落してお疲れさまっていうのと、わたしの念能力が出来たっていうパーティー」
「なんでもいいけどよ、結局お前の念能力ってなんだよ」
「ジンは帰ったら速攻シャワー浴びてね。臭い」
「テメッ…! 一丁前に無視かよ!」
 無理やり荷物をジンに持たせたは、彼の前に一歩出ると鼻歌を歌いながら目的地に向けて歩き出した。腕にぶら下がっている食材とを交互に見たジンは「!」と叫ぶとあっという間にの隣に並び、見慣れた後頭部に向けて手を伸ばす。
「わっ!」
 まるで動物を撫でるように――にしては粗雑であるが――ジンの手がの頭を撫ぜた。髪形が崩れてしまったことには激昂しているが、その様子を見下ろす眼差しは、やさしい空気に満ち溢れていた。

 は、この告白の出来事、そして念の詳細の記憶に鍵をかけた。これは、彼女にとって賭けだった。
 条件は、ただ一つ――もしもジンがに対し、女性として好意を持ち合わせた時、記憶は解錠される。
 ジンの全てを受容できるその瞬間が訪れたら、今度こそ好きだと、愛していますとは言うのだろう。その覚悟だけは、彼女の胸で虎視眈々と出番を待ち構えている。

「…早く大人になれよ」
 ジンが思わず呟いた言葉は、に届いているのか分からなかった――のだが、いつもは背後からある引き攣りが、今は右腕から感じる。この違和感は当然だった。彼女は、いつも背後にいた。
 どこか折悪しく思えたジンが舌打ちをすると、隣から笑声がした。いつもの合図は、やはり二度だったのだ。



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(20180902)

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