1)本編が始まる前のお話です(シャル視点) 2)先に本編を読むことをお勧めします 3)ヒソカのマークは省略しています 今思えば、あの笑顔たった一つでやられたなと思う。 無人のオフィスには、電源の入ったパソコン一台を取り残して閑散としていた。ドアの前に立ち、一息つく。もう少しで残業は終わりだ。 街中にあるビル一棟のワンフロア一面がオレの、オレたちの職場だ。財閥といえるほど大きくもないが、そこそこ名の知れた会社になった。この面積しかないので、言葉以上の会社ではない。お察しの通りだ。 オレはコンビニから買ってきたサンドウィッチとコーヒーが入った袋を持って無人だったオフィスに足を踏み入れた。腹にこれ等を入れたら、もう一踏ん張り。同僚の誰か手伝えよな、という悪態は既にもう吐いている。 : 会社を出た時には9時を回っていた。ふう、と一息ついて緩めたネクタイを更に緩める。 携帯音が鳴った。誰かとスーツの内ポケットを弄って取り出してみれば、画面には懐かしい名前が載っていた。そもそも、また消していなかったんだな、と自分に嫌気も差した。 『やぁ、シャル。久しぶり。突然だけど店に来ない?』 返事をする暇もなく、相手からの一方的に提案にオレは呆れながら返答した。 「なんだよ、突然」 それが数年ぶりに話す元同僚への言葉か? 不信感を露わにしながらも、そういえばこういう奴だったとも思う。 この電話の相手は、元同僚のヒソカ=モロウという男だ。酷く気まぐれで、理由は分からないが何年か前にうちの会社を辞め、バーを開いているとマチから聞いていた。 『シャルに会いたいっていう人がいるんだ』 「悪いけど今仕事が終わったばかりなんだ。その人には断っておいてよ」 誰かも分からないしね。 腹の中でこれを唱えていると、あざ笑うような声が電話越しから伝わった。 『女性を待たせるのかい? 罪な男だね』 「なんでオレが行かなきゃならないんだよ」 『イエスってことね。待ってるよ。地図は今メールで送るから』 そう言われ、電話は一方的に切れた。わけも分からない状況に携帯を握りしめると、ヒソカからバーの地図が送られてくる。 「……あーもう」 オレは自棄になってそのバーを目指した。酒代は全部ヒソカに奢って貰おう。そんな軽い気持ちで。 電車を乗り付いて、徒歩で10分ほどの場所に、そのバーはあった。 オレは噂は聞いていたものの、一度も来たことはない。マチ曰く、女だらけとは聞いてはいた。 看板には、トランプマークが描かれている真ん中に【MAGICIAN】と書かれいてた。奴らしい名前だ。ヒソカは手品も得意なのだ。 「いらっしゃい」 ドアを開けると、細長い店内にはボックス席が2つ、カウンター席が5つあった。カウンター内のヒソカが、ニィと笑っている。 以前マチから聞いた通り、客は女性客しかいなかった。ボックス席に二人、カウンターに一人。恐らく後者の待ち人はオレなんだろう。 その人から二つ席を離れた場所に座って、ビールを頼んだ。カクテルは後でいい。 「早速だけど」 キンキンに冷えたグラスをコースターの上に置かれ、ヒソカはそう切り出した。 「電話で言っていた人は察しの通りこの女性」 手のひらを辿ってその先を見る。女性はワンピース姿で、肩にカーディガンを羽織っていた。眺めていると、ようやく目が合う。 所見は、整った顔の人だなと思った。でも、それだけだ。 「説明するよ」 ――ヒソカ曰く、この女性は若いバーテンダーを探していて女性客が訪れることで有名なマスターであるヒソカに突然、相談してきたようだった。類は友を呼ぶと思われていたのだろうか、もしもそうだったら若干不本意でもある。ヒソカとオレを一緒にしないで欲しいものだが、説明通り若いバーテンが欲しいとは、女性客狙い。そういうことだろう。 随分、安直な考えだと思った。が、どうやらそれほどせっぱ詰まっているらしい。 その矛先がオレだった。確かにオレは趣味でカクテルを作っていて、趣味が転じてそこらにいる奴よりも詳しくなってしまったが、バーに立ったことはない初心者だ。 「何事も経験だよ」 ヒソカは簡単に言ってくれるが、そもそもオレは会社があるし、やる気はない。 「悪いけどオレ、普通のサラリーマンだから」 「……そう、そうですか」 彼女は肩を落として最後に「無理を言ってすみませんでした」と頭を下げた。意気消沈したまま、帰っていく姿に多少の罪悪感はあるものの、オレにも譲れないものがある。 彼女の背を見送っていると、カクテルが置かれた。その横には、彼女が残していった名刺がある。 頼んでもいないカクテルを黙って飲むと案外甘い。ブランデーの匂いとオレンジが舌先に残る。 思い出した。これはオリンピックだ。 「再会を祈って」 ヒソカが意地悪い笑みを浮かべて言う。 誰と、誰のだろう。 (オリンピックのカクテル言葉→待ち焦がれた再会) 翌日の夜、仕事話を交えて社長と飲んでいると、ふいに昨日のことを思い出して始終を話せば、社長から思いがけない言葉が降ってきた。 ――やってみればいい。 どうやら仕事に差し支えないなら良いらしい。 たぶん社長は自分が飲みたいからに違いない。オレがカクテル作りに嵌ったのは、社長がいたく気に入ってくれたからだ。 確定申告と税金対策はしとけよ。と言ってそれ以上この話をすることはなかった。 数日後、名刺に書かれていた電話番号を押しながら、なぜやる気になったのかと考えていた。毎日出勤は無理だし、メリットと言えば金が貯まることくらいだ。 『――はい』 女性が電話を出たと同時に理由は分かった。なるほどあれか。 電話先の女性は舞い上がって喜んでくれた。とりあえず話をしようとお互い予定を合わせて後日、彼女の店で話すこととなった。 自己紹介を済ませるとオレはまず、条件を提示した。 週2、3回しか出れないこと。会社の方を優先すること。そのせいで突然キャンセルになるかもしれないこと。 彼女は、その全てを受け入れてくれた。 「大丈夫です。こちらでは、もう一人マスターの確保が出来ていますので」 付け加えて、バーテンとしては初心者同等と言えば、「たぶん大丈夫でしょう」という理由もない確信が返ってくる。 「初めの内は、もう一人のマスターと一緒に立って貰って流れを掴むようにしましょう」 「そう。でも君が勝手に決めてもいいの? オレはバイト感覚だけど他の職に就いているわけだし」 「それも大丈夫です。先ほど上司に相談しましたから」 「なんて言われた?」 「……黙っていればいいだけの話だろ、と」 彼女は微妙な顔をして答えた。 言葉から察するに、その上司は横暴で寛容で何よりも何をどう優先すべきか分かっている。ただの会社の犬ではなさそうだ。 「逆に聞きますけど、シャルナークさんは大丈夫ですか?」 「うちは全然OK むしろやれって感じ。税金対策はちゃんとしろって言われたくらい」 オレが茶化して言えば、彼女は笑った。 そうしてオレは今ここにいる。素と店員とのギャップが激しい彼女と共に、週に一度の火曜日だけオレと店長の時間だ。 真横にいる店長を見る。今日は火曜日、いつもの客は先ほど帰ったばかりだ。緊張を持つ店長が面白くて、オレはいつも傍観者である。 「店長、あのお客さんと話すようになって楽しそうだね」 「そう? まだ緊張は取れてないけど」 火曜の人とカクテル問題をしてから、ぎこちなくも二人は話すようになった。随分と慣れた調子で話しているように見えたが、まだまだらしい。 「あ、でも…彼、今日は少し笑ってくれたよね?」 「そうだね」 「やっぱり? あの鉄仮面が取れた気がしてちょっと嬉しかった!」 そう言って、彼女は笑った。オレがこのバーをやる切っ掛けとなった、なんてことない笑顔を咲かせる。 初めてこれを見たのは初対面のとき、ヒソカのバーで目が合って早々に。 あれは、不意打ちだ。 『あなた、いい!』 そう言って彼女は花のように笑ったのだ。 別に店長のことは好みでも何でもないんだけどね。 あの笑顔には一本取られたよ、店長? シャルの好み→可愛い系 クロロの好み→綺麗系 人間は自分の顔と同じ系統に魅かれる説から |
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(20160706)