路肩に停めてあった車を地下に移動させ、みんなのところに戻ると既に穴だらけのピッツァが乱雑に置かれていた。幸いポテトは、まだあるがサラダは二口程度しかない。チキンは、マチが取り置きしてくれていた。
「食うの早過ぎだろ」
「遅れてきたシャルが悪いね」
 小柄のフェイタンがピッツァに、がっついている姿を見て吹き出しそうになるが堪えよう。散々、店長の事を気にくわないと言いつつ、ピッツァは気に入ったようだ。食べ物に罪はないということか。
 オレは唯一開いていた席に座ると、早速ピッツァに手を付けた。相変わらず美味い。
 時々、店長は試作品やサービスを持ってくることがある。それはケーキやパイ、ピッツァにドリンクと様々にあった。あの時のピッツァが本当に美味くて今でも舌が覚えているのだ。
 他愛ない話をしながら、ポテトを摘まんでいると廊下から店長が走っているのが見えた。オレは手を振り、彼女に応える。相当急いでいるため、オレの応えに店長が気付いたのか分からない。
 次に会ったらドリンクのお礼でも言おう。そう思っていた時、コールが響いた。皆、誰の携帯かとどよめいているが犯人はオレである。携帯画面を覗けば、オレはコールの主に少し驚いた。
「社長?」
『シャル、を送ってやれ。店までの近道、知ってるだろ。急いでいるようだ』
「あ」
 この言葉に、オレはキーの存在をすっかり忘れていたことに気付いた。オレとしたことが暑さのせいか、店長に渡しそびれていた。
『まだ食ってるか?』
「大丈夫。キー、渡すの忘れてたし」
『…そうだな、食べ終わった奴でいい。そいつに指示しろ』
 食べ終わった奴、と聞いて周囲を見渡す。女性陣はまだまだかかりそうで、他残りの奴で食べ終わってる奴と言えば――。
「じゃフィンクス、お前行けよ」
「なんの話だ」
「店長、急いでるんだって。これ車のキー…店までの近道教えるついでに送ってよ。場所、わかるだろ?」
「いやだ。あいつとは合わねェ」
「ピッツァをつまみ食いしたの誰だよ」
「お前が食えって言ったんだろうが」
 面倒な水掛け論が始まってしまった。こうなったら、オレが行った方が早いのではないか――?
 社長との電話は繋がったままだ。オレたちの会話が聞こえていたのか、雰囲気を察した社長が携帯越しからオレを呼んだ。『シャルナーク』
『フィンクスを出せ』
 オレは、無言でフィンクスに携帯を渡した。今から何を言われるか、フィンクスは理解しているのだろう。何かを抑え込むように、渋々と携帯を受け取った。
 やがて電話が切られると、「シャル」と呼ばれた途端、携帯を投げられた。投げるなよ。
「……余計な事言いやがって」
 オレからキーをぶん取ると、フィンクスは大股でエレベーターに向かった。大方、ピッツァのつまみ食い辺りを社長に指摘されたんだろう。喧嘩しなければいいな、と他人事のように思いつつポテトをもう一口。
 みんなでフィンクスの背を見送ってから、また食事が再開される。店長が帰ったということは、社長もパクノダも昼食にあり付けるはずだ。二人の分は、やはりマチが取り置きしてある。
 そう思っていると、会議室のドアがノックもなしに開いた。登場したのは無論、当社の頭である。
「シャル、やはりお前も行け」
「なにかまずいことでもある?」
「あいつら、100%喧嘩する」
 ゆっくりと天井を見上げながら、社長は更に言った。
「というかオレはバカだな。くそ…どうかしてた。予想できた事態だった」
 エレベーターの中で言い合っていたことがフラッシュバックしたのだろうか、どうやら社長的に憂慮することがあるようだ。
「オレも少し思ってたけど…二人とも大人なんだし大丈夫じゃない?」
「…念のためだ。そもそも、後で愚痴を聞かさせるのはオレだ」
 店長から、ということなんだろう。更に「面倒だ」と社長が付け加えている。
 オレは、思わず声を上げて笑ってしまい、慌てて口を閉じだ。出入り口から無言の威圧が放たれているからだ。
「了解。もう十分食べたしね」
「ああ、任せた」
 社長の返答と同時にオレは立ち上がると残り少ないポテトを口に詰め込み、急いで駐車場に向かった。エレベーターを確認すると、二人はまだ降りている真っ最中なようで、これなら階段の方が早い。
 すべるように階段を下りていると、すれ違う人に不審がられるが仕方ない。肩がぶつかってしまった他社のOLにはウインクで応えておいた。ごめんね、てね。
 :
 そのまま一直線に地下まで走っていると階段の踊り場付近から、怒号やら何やらが反響していた。
 反射的に忍び足になり、階段の出入り口のドアから、きょろきょろと見渡してみれば、お約束通り店長とフィンクスが睨み合いをしている。おまけに、物騒な会話まで聞こえてきた。

「お前の狙いはなんだ。金か? 地位か? 社長の顔か?」

 お前の声デカいんだよ、なんて近くにいたらオレは突っ込んでいたことだ。
 しかし、さすがと言うかなんと言うか。あの巨躯にもマフィア顔にも負けず、店長は怯えることなく向かい合っている。ネズミと猫どころか、今は犬猫の図だ。
 眺めている場合ではなかった。急いで駆け付けなくては間に合わない。
 オレは車に向かって走ると、何食わぬ顔で後部座席に乗り込んだ。驚愕している二人に向けた台詞は、まるで何も聞いてません見てませんの如くポーカーフェイス。「やっぱり階段の方が早いな」

 荒々しい運転に揺られながら、オレは携帯を弄っている。無言の末、フィンクスがなぜオレがここにいるのか問うてきたが、そう、お前の予想通りだ。
 それから助手席にいる店長と会話をしている様子に、知らない振りをしつつも、盗み聞きしていた。
 なんだかんだで、こいつら会話が成り立ってるじゃないか。内容は聖域のように踏み入れてはいけない領域だったが。
 前にも言ったが元より、特にオレたちの中でフィンクスとフェイタンあたりは、店長の存在自体を気にくわない。店長との時間を共有することにより、オレたちの飲みの場が減り、そして会話の最中、店長の名前が出てくることが嫌なんだろう。また社長は時々、今までにない考えを提示するようになった。

 彼らにとって、この変化を異物と言うにふさわしい。

 フィンクスは、変化を恐れている。芯はブレていないが、言葉や思考、オレたちにはかけ離れている何かを社長は取り込んでいた。無害ではあったが、フィンクスの中では、それはもう社長ではないのだ。
 変化は恐れるものではない、とオレは思う。変化という言葉をチョイスするのがダメなのか。あれは進化だ。
 別にオレは誰の味方など、そういったカテゴリに仕分けしているつもりはないが、なぜオレがこうも前向きに捉えているかと言うとオレもまた店長と接している内に、思うところがあるからだ。ま、この辺に関して後はノーコメントで。

「シャル…!」

 店長に名前を呼ばれ、心臓が飛び跳ねた。遮断された思いを、まるで垣間見られたかと思うほどナイスタイミングだった。
 平静を装って返事をした。「なに店長」
「わたしね、シャルが好きだよ。シャルはただの同僚じゃなくて本当に良い友達だと思ってる。シャルの有難味が五臓六腑に染み渡ってるよ、今…!」
 突然、熱烈な告白を捲し立てられ、オレは意表を突かれてしまったわけだが、すぐにまた正常に戻して応える。きちんと”熱烈な告白”の返事を忘れない。
「はいはい、ありがとう店長。オレも好きだよ?」
「店に着いたらシャルにハグしたい」
「わぁ嬉しい。クーラーの前でよろしく」
 完全な棒読みで言い放ったが、実のところ嬉しくもあった。それはハグではなく、店長がオレを同僚ではなく友達だと言ってくれたのだ。そもそも、友達に対し、確認することが変だと思われるだろうが、言葉にしなければならない程、それほどまでオレたちの関係性は曖昧だった。
 同僚にしては仲が良すぎ、友達と称するには戸惑いがあった。それは店長と言う立場と、オレにとってあいつら以外の他人を受け入れることを心のどこかで拒否していたことに他ならないだろう。
 恐らく、否、高確率で社長もどこかで感じているはずだ。オレたちには、オレたちしかいなかった。
「二人とも、時間大丈夫?」
「店長、なにか奢ってくれるんだ?」
 からかいも交え、店長の後頭部に向けて言った。揺れる頭部と同時に、艶のある髪が、さらりと揺れる。
 どうやらオレは、彼女・・の笑顔に弱いらしい。振り返った面貌、白い歯を見せて笑う無邪気さといったらない。
「アイスコーヒーでよければ」
 この笑顔を独占できるのは、今後どういう人なんだろう。過去、どういった人だったのだろう。今まで考えもしなかった疑問が浮遊する。
 未来へのベクトルが社長に向かうことを理由もなく願うのは、オレの勝手だろうな。

 店内に案内されたオレたちは、窓際のボックス席に座った。陽光がお構いなしに照らされるため、この付近の窓にはロールカーテンが半分ほど下りている。目前には、しかめっ面のフィンクスだ。
 大体予想がつくため、オレは気にすることなく携帯を取り出した。相手は無論、社長である。少し遅れるよ、と送っておく。ついでに誰かこっちに来る予定のある奴がいるか、これはノブナガにでも聞いておこう。
 店長はといえば、オレたちを招き入れて早々に店の奥に行ってしまった。それからエプロン姿で登場すると、忙しなく働いている。
 今は昼時のため、店内は賑やかな雰囲気に包まれていた。
「あいつ…本当に何なんだよ」
「なにが」
「オレは、あいつのへらへら笑っている顔を見る度に腹が立つ」
「笑顔だろ」
 指先で画面をスライドさせながら、ずばり言い当てる。ここで携帯の電源を押すと、オレはようやくフィンクスの方に目を向けた。
 プレッツェルみたいな顔しやがって、とは面倒なため言わない。
「男は女の笑顔に弱いはずなんだけどな」
「全人類が弱いと思うなよ」
「…人間は、気に入らないものの全てを否定したがる、てね。その典型じゃないか」
 空笑いをし、組んだ両手を後頭部に置くとオレはリラックスした状態で問うた。なぁ、フィンクス、オレが勝手に思ってることなんだけどー―と、前置きして。

「店長はお前が思っている以上に冷静だ。彼女なりに社長を理解しようとしている…それも無意識に。
 あのふたりは互いに友人と言うより観察の対象物だ。店長はパーソナルスペースを柔軟に設けてるし、恐らく些細な気持ちすら律してる。社長に至っては、純粋に女の友人を築こうとしている中で自分すらも他者として置き、関係を捉えている。今後の未来なんてものは案外、考えてないんじゃないかな」

「…あの社長が?」
「幾つかの可能性を視野に入れているかもしれないが、到達すべき関係性は漠然としたものしかないかもしれない。男女の友人、ていう偶像……成り立つわけないのにな、完璧なものなんて」
 ここで影を落としたのはオレだった。自虐的に笑った横で囁くのは、もう一人のオレ。友達なんて叶わないと分かっている上で店長の言葉が嬉しかったんだろ、と。
「お前が店長に対して何を恐れているのかは、オレの想像でしかない。その想像を真実と仮定して言うよ」
 両手をほどき、前のめりになるとオレは、にかっと笑う。それは胡散臭いように。

「どんな形に成っても受け入れろよ、オレたちの社長を」

 押し黙ったフィンクスは、ぎりりと奥歯を強く噛んだように思えた。虚を突かれたのだろう、返答に戸惑っている。
「ごめん、待ったよね?」
 と、ここで緊迫した雰囲気をぶち壊したのは、店長の一声だった。さっさとコースターをオレたちの前に置くと、すぐさまアイスコーヒーが置かれる。からん、と鳴いた氷が辛うじて潜り込んできた陽光に反射していた。
「繁盛してるね」
「ありがたいことに。常連さんには感謝しています」
「今度、ランチの時間に寄るよ」
「…それ、バーで時々言うけど来たためしがないじゃない」
「そうだっけ?」
「あなたたちの社長にも同じこと言われたけど、あいつも来たことないのよ」
「拗ねるなよ。本当に来るからさ。な、フィンクス」
 華やかに会話をわざとフィンクスに振る。フィンクスは既にアイスコーヒーを手に取っていた。グラスのてっ辺に、どっかりと乗っかっているバニラアイスを大口で放り込んでいる。
 じろりと店長を見たフィンクスは、ようやく咥内のバニラアイスを飲み込んでから言った。
「そんなに来て欲しいか」
「…………あ、いえ、結構です」
「社長命令だったら来てやる」
「シャル、わたし…もう仕事に戻っていいかな」
 オレは苦笑すると、どうぞと手のひらをホールに向ける。一礼した店長は、厨房の奥に消えて行った。今頃、持っていたトレイが凹んでいるのかもしれない。
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「二人とも送ってくれて、ありがとう」
「アイスコーヒー、美味しかったよ」
「…良かった」
 結局、オレたちは店舗を偵察してから会社に戻ることになった。この猛暑の中、歩くのはしんどいが、まあ仕方ない。
「またね。シャルは火曜日に」
 店先で手を振る店長の首に一筋の汗が伝っていた。店内を駆け回っていたため、身体はオレたちよりも火照っているだろう。彼女は、これからまた愛想を振りまかなければならない。
 店内に入ろうとする店長の背中。何かに駆られた。

 振り向いた顔が驚愕に満ちている。当然だ。オレは彼女を名前で呼んだことは、一度たりともない。隣のフィンクスも唖然としている。
 細い手首を掴み、引き寄せた。両手で抱き留めた身体は、想像よりも柔く、フランクなハグとはいえ、密着した肩が熱を持つ。
 背中を、ぽんぽんと叩いて身体を剥がすと間抜け面がオレを見上げていた。
「はい、終わり」
「……ここで?」
「ハグしたいって言ってただろ」
「クーラーの前でよろしくって言った人、誰?」
 オレは笑った。のように引力のある笑顔じゃないかもしれないが、自然と込み上げたものを表現すると、彼女もまた笑顔を咲かせる。
 ああ、やっぱり君の笑顔はいいな。「ドリンク、ありがとう」

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「シャル」
「なんだよ」
「安心しろ。今の事はオレから社長に言っといてやる」
 にやり、と笑うフィンクス。
「…下手に言うのはやめてくれよな」
 後日、社長室の机上には一本のエナジードリンクがあった。既に飲干されたそれは、オレがから貰ったものと同じ銘柄だ。ひくり、と歪んだ口角。
 どんな理由であれ、社長には2本貰ったことを内緒にしよう。絶対にだ。


(シャルのウインクの破壊力は絶大)
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(20170915)

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