: : パチン。何か弾くような音で、わたしは瞼を開けた。 (わたし、寝てたの…?) 鮮明としない意識の中、ゆるやかに現状を把握する。 どうやら、わたしは革張りのソファで眠っていたらしく、腹部には誰のか分からないジャケットが乗せられていた。耳をすませば、先ほどのパチパチと何か弾く音と、数人の寝息がどこからか聞こえている。 前者は恐らくパソコンのキーボードを叩く音だ。視界の端から、ぼやけた光が辛うじてこの暗闇に反逆しているように見えた。後者は、床に社員の誰かが転がって寝ている。 ゆっくりと上半身を起こすと、ソファが小さくわなないた。同時に、光の方から声がする。 「起きた?」 クロロだ。重厚な机に向かい、目線はパソコン画面のまま、彼なりの小声でわたしに問いかけてきた。 わたしは頷くと、ジャケットをソファの背もたれにかけて、僅かな光を頼りにクロロの方に足を向けた。 「今、何時?」 「もうすぐ4時」 「…寝てないの?」 「ああ」 「わたし、いつ落ちたんだろう……全然覚えてない」 「2時前にはソファを占領してたよ」 もちろん、わたしたちの会話は小声だ。まるで、ふたりだけの秘密のように囁き合う。 謝罪するかのように、クロロは言った。「疲れてたんだね」 「稼ぎ時だって言ったでしょ」 「もしかして迷惑だったかい?」 「……楽しかったから別に気にしてないよ」 準備が整った後、わたしを入れて14人程だろうか。クロロと親しい社員だけが続々と集まり、どこからか持ってきたロングテーブルにはオードブルが並べられた。 定番のターキーにローストビーフ、マッシュポテトとパネトーネ。わたしとシャルそしてクロロが手を加えたケーキの他にシュートレンとプティング。乾杯のシャンパンにワイン――などなど、彩り豊かな食事がクリスマスを謳っていた。 あまり面識がないメンバーであったものの、気を利かせてくれたのか隣にはシャルかクロロが常にいてくれた。二十歳も過ぎて、営業だと思えば人見知りもしないが、二人の配慮がわたしにとっては嬉しかった。 『?』 『どうしたのクロロ』 『イチゴが中に丸ごと入っていた』 『…』 ロシアンルーレットの結果は、よりによってクロロがラッキーケーキを勝ち取った。この真相は、わたしとシャルしか知らない。気まずいので、その時は無言を貫いた。 「…なんで笑ってるんだ?」 「ううん、本当に楽しかったなって。ありがとう、クロロ」 パーティーの出来事を一人回想していたわたしは、自然と笑っていたらしい。誤魔化すようにお礼を言えば、クロロは一瞬面食らったような顔をした後、「そう」と瞼を閉じた。 それから、ゆっくりと瞼を開けると、くしゃりと前髪を崩した。オールバックから中途半端であるものの、見慣れた髪型になる。 それから突然屈み込み、机の一番下の引き出しを開けた。何をしているのか、わたしは首を傾げながら眺めていると、クロロが取り出してきたモノに驚愕して身体が揺れた。 「クリスマスプレゼント。これでも、けっこう悩んだよ」 このクロロが悩むのは当然だ。 「が望む”売ってないもの”だ」 2週間前、いつも通り飲んでいたわたしたちの会話は、クリスマスという単語が飛び交っていた。その中で、クロロは言ったのだ。 『友人として何か贈ろうか』と。 ここで、わたしの脳内に広がったのは、クロロなら指輪にバッグ、旅行にディナー……そこらの女性が喜びそうな物を渡してくるのではないかという妄想と共に、危機感を覚えた。 冷や汗をかいたわたしが即座に言い放った言葉。それが先ほどクロロが言った台詞である。 『じゃ売ってないものが欲しいな』 『売ってないもの?』 『そう、売り物じゃないものってなんか嬉しいじゃない』 『売ってないもの、か…』 クロロにとってよほど難題なのだろうか。ここで彼は黙り込んでしまい、口許を手のひらで隠して思案していた。この時のわたしは、意地悪くも「大いに悩め」なんて思っていた。 つまり、わたしの中でクロロからのクリスマスプレゼントなど、いらないのだ。これを頭の良いクロロなら汲み取るだろうと、わたしは思っていた。 「本当に用意してくるなんて…」 それがどうだ。わたしはクロロに差し出されたモノに感動してしまっている。この場面が少女漫画だったのなら、確実に見開きページだ。 「売ってないものが欲しかったんでしょ」 「…うん」 「これを作るのにあたってネットや本で色々と調べてみた。いざやってみたが簡単そうで物によっては完成度が若干違うことに気付いた。 まず棘と葉を取り、茎の先をナイフで切り込む。ここまではいい…それから数種類の着色料に浸けるんだけど、ものによって吸い込みに個体差が出る」 「(饒舌)」 「綺麗に染まったものだけを厳選してみた。どう?」 「…うん、すごく綺麗。ありがとう」 「なら、早く受け取れよ」 ずい、と渡された花――それはクロロお手製のレインボーローズだった。 わたしは、それを受け取ると、ただただ魅入る。パソコンからのブルーライトに照らされたバラは、光が僅かながらも七色であることを必死に伝えているように見えた。人工的な綺麗さでも、わたしにとっては”クロロがわたしだけに作ってくれたもの”だ。 人は、この情景、そして綺麗と呟くわたしを陳腐だと言うのかもしれない。 でも、よく考えてみて欲しい。あのクロロが誰かのために”売ってないもの”というキーワードだけを頼りに思いついたプレゼント。それは、とても奇跡的なことなのではないかと、偏見かもしれないが、わたしは思っている。 バラに鼻先を寄せる。仄かに香る匂いに眩暈がしそうだ。この状況に、わたしは酔ってしまいそうだ。 「泣くほど嬉しかったか」 「泣いてないよ、ただ……」 そういえば、レインボーローズの花言葉は、 「奇跡的だなって思っただけ」 ――奇跡、だったような気がする。 それからクロロが「帰るか」と言ったので、わたしは頷いた。彼は部屋を出る前に、ソファの背もたれにあったジャケットを着て黒コートを羽織った。どうやらわたしのお腹をセコムしていたのはクロロのジャケットらしい。誰がかけたのは謎だけど。 わたしも、その辺に投げ捨てていたコートを見つけて着る。バッグも手に取って退室する前、部屋を一望した。朝日が昇る前だが、室内はガラスの壁から薄っすらと明るさを貰っていた。 わたしが寝ている間に、誰かがあらかた片付けてしまったのだろう。部屋は思うほど汚くはない。色々な感謝を込めて良い夢を見ているだろう社員の皆さんに一礼する。 「行くよ」 「うん」 クロロに続いて部屋を後にした。実は、何人かが寝ている振りをしていたという事実は後にシャルから語られることになる。 タクシーを拾い、まずはわたしのマンションまで送ってくれるようだ。それに甘えて車は、目的地まで進んでいる。朝方の道路は快適で、案外早く着きそうだ。 ふと、わたしは感動ですっかり忘れていたことを口走った。「今度、クロロにプレゼントのお返しするね」 「用意してたんだ」意外そうな口振りだ。 「大したものじゃないけど」 「売ってるものかい?」 意地悪く言うその姿に、思わず口を尖らせてしまった。わたしは窓の方へ、そっぽを向いて答えた。 「違います。何かって言ったら手を加えたモノ。あ、言っておくけど手編みのマフラーとか手袋とか、そんなに重い物じゃないから安心して」 「お前が用意したものならなんでもいいよ」 さらりと臭そうな台詞を吐いて、クロロは小さく欠伸をした。めずらしい光景に、あれから寝ていないのは本当のようだ。 「…でも、クロロがクリスマスをするなんて意外だった」 思わず、ぽつりと零した疑問は、昨日から胸の片隅で残存していたものだ。 わたしは、流れゆく景色からクロロへと視線を移す。ふたり並んで後部座席にいるが、わたしたちは決して近距離ではない。 なぜ、どうして――クロロの頭上に疑問符がある気がした。 「クロロってアナーキストぽいじゃない」 「ふ……偏見だな」 「クリスマスをしようっていう動機が今年があったってことなんだね」 「……」 隣から否定も肯定も、即した返答は何もなかった。ただ、じっとわたしを見据えた表情に温度が感じられない。 わたしの顔を見て答えが出るとでもいうのか。この時なぜか、わたしも負けじとクロロを見返した。 「……2週間ほど前だったか、クリスマスの話をしただろ」 クロロがようやく開口したのは、ちょうど赤信号でタクシーが停車した時だった。わたしは、小さく相槌を打つ。「うん」 「信仰者たちは意味を持ってこの日を迎える。じゃ信者でもないオレみたいなやつはどうだい? クリスマスに意味を見いだせない」 「だから今までクリスマスをしなかったの?」 「ああ。会社はクリスマス戦略で儲かるから、それに乗っかっているけど」 ふ、と笑ったクロロは個人と会社を完全に別けているようだった。会社が大きくなるなら、個人の信仰の有無など関係ないと言っているように聞こえる。 「ただ、クリスマスだなんだと浮かれているやつらを見て、お前と会話をして思った。クリスマスとはどんなものか、信仰がなくても空気を味わうことは経験の一環として無意味にはならねーってな」 「(…回りくどい)つまりは?」 「視野が広がったよ」 ここでわたしは、ぷっと吹き出してしまった。真面目な話をしているのに、まさか視野が広くなったという言葉を聞くとは思いもよらなかったのだ。 腹を抱えて、声にならない笑いを繰り返していると、細めた視界の中にいるクロロが、きょとんとした表情でわたしを見ていた。 「面白いことを言ったつもりはないけど」 「うん、うん…ごめん。なんかおかしくて」 はぁ、息を吐いて呼吸を整える。視野が広がった、というクロロに感想でも聞いてみよう。 「で、どうだった? クリスマスパーティーは楽しかったですか?」 「正直、社員たちと騒ぐいつもの飲み会と大差ねーな」 「……」 意味ない、と思ったわたしの顔は真顔だ。その顔が、あまりにも酷かったのか、クロロは思い付いたような声を上げた。「ああ、いや」 「がいたから少し違和感もあったな」 「違和感? それ、どう受け取ればいいの」 「新鮮ってことだよ。一人いることで少し空気が変わる」 どんな風に? とは聞けなかった。ただクロロが昨夜の出来事を思い返しているのか、少し笑っているように見えたため、詮索はここまでしよう。たぶん、きっと、良い意味であるはずだから。 滑り込むように、マンションのエントランスの手前でタクシーは停車した。目的地に到着したことで、少し目が覚めたのはわたしの方だ。 タクシーから降りて、ウインドウを下げてきたクロロと会話がしやすいように屈む。 「送ってくれてありがとう。プレゼントまで…いいクリスマスになったよ」 「そういえば、もう25日になったから言えるな」 徹夜明けのせいか少し憔悴仕切った顔でも、クロロの整った顔にマイナスなど、どこにも見当たらなかった。 「Merry Christmas――お互い、会うのは来年になりそうだね」 「Merry Christmas――うん、来年もよろしく」 わたしが笑うと、クロロは頷いて口許に笑みを浮かべた。パーティーの最中になかった、柔らかな破顔。 日に日に、この笑顔が増えてきていると思うのは、わたしだけだろうか。シャルに言うと、からかわれると思うため、この事は誰にも言っていない、わたしだけの疑問だ。 『オレ、てっきり店長は社長とクリスマス・イヴを過ごすかと思ってた』 準備の最中、シャルから受けた言葉を思い出す。 「…クロロ」 わたしたちは二十歳を過ぎて色々なものを経験し、見てきたというのに――なぜかな……クロロといると、振り切って過去にしてしまった青い春を思い起こす。 これを言ったら、クロロはどう答えるの。 「……なんでもない。おやすみなさい」 「…うん、おやすみ」 ウインドウが閉じられると、タクシーは発車した。わたしは、小さくなるまで車を見送ってから、ようやくマンションに入る。 エレベーターの箱の中で目指すフロアを待つ時間帯。手に持っているレインボーローズを見やった。本数は5本。クロロは花言葉もさることながら、この本数の意味も分かった上で、わたしにプレゼントしたのだろうか。 あなたに出会えてよかった――5本のバラは、感謝の意味。 きっと、わたしたちの関係は、未だ愛やら恋やら友情などに収めるものではなく、まだまだ、この出会いに感謝を捧げる時間なんだ。 バラの花束に口唇を寄せた。わたしも、この聖なる日にクロロに出会った感謝を込めよう。 Merry Christmas!
レインボーローズのもう一つの意味 (無限大) ※EMANONは舞台が日本ではないどこかなので、クリスマスの過ごし方や挨拶、料理に戸惑いましたが敢えてごちゃ混ぜにしました。また本編にも一応季節感はありますが、12月まで変わらずふたりが仲良くしてればいいな、と思います。ヒロインのプレゼントはご想像にお任せ。 お祭りネタなので好き勝手打ちました。それでも楽しんで頂けたら幸いです。 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。良いクリスマスを。 2016.12/24 H田 ↑ 震えるほど古い期間限定で公開していたクリスマスネタを2022年に公開します。 良いクリスマスを! 2022.12/18 |
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(20161224)