1)念のない世界(現パロ) 2)舞台は日本じゃないと思います 3)オリジナルに溢れてます 大学を卒業して数年、世に言うOLになりピンヒールを履いて出社する事に慣れた頃、わたしは今エプロン姿でここに立っている。ここ、というのは街角にある小さなカフェだ。 ここでは名ばかりの店長として主に接客と日々の売り上げの数値と睨めっこする。時折、厨房に入るときもあるがドリンクの準備やシェフに指示を出すときくらいだ。 ただのOLのわたしが、どうして街角のカフェにいるのか。その理由を語るには時を半年程、遡らなければならない。 じゃ、店舗の偵察をしてみろよ。 本社勤務だったわたしが飲みの席で上司に言われた言葉は、誰もが降格という二文字を思い浮かべるだろう。それは当然のことで、本社勤務からの店長など、降格以外何ものでもない。 『確かにわたしたちが液晶画面に向かって数値とデータと茶を啜っている間、店舗はいったいどうなっていたのか、この手で利益を生むにはどうしたらいいのか、わたしはずっと考えているのです! 実はうっすらプランもあります! わたし本気です! ――て、今言いましたけど…!』 ついでに企画も立てろ、と上座でネクタイを蝶々結びに結んでいるふざけた上司の一言で、わたしの企画が発動した。そして実現したカフェが今のわたしの職場である。 元々、系列の店舗としてカフェを構えていたが、わたしの発案によりここは夜になるとカウンターバーになる。ホールを簡易スクリーンで仕切り、ドアを開ければカウンター席だけの店に早変わりだ。 ただ、カウンターの中に何種類ものアルコールを揃えることと雰囲気を出すためにその場所だけ改装をした。わたしの企画があっさり通ったのは安上がりだったことだ。そして何よりもこの場所の立地が美味しい。カフェや洒落た居酒屋が犇めき合うここで“夜”をやらないわけがない。 控えめの照明と在り来たりなジャスを演出。あとは腕が良いマスターを確保すれば完璧だ。実は一番頭を抱えたのはそこだったが紆余曲折を経てわたしの思い通りの雇われマスターを二人確保したのだった。 店の名前は、<サンアンドムーン> 夜の顔になる店には、ぴったりの名前だ。 「店長は今日“夜”のシフト入ってるんですね」 「あ、はい。もう帰りますけど後はお願いしてもいいですか?」 カフェ一、古株の人に言って、わたしはバッグを持ち直した。 週二回、わたしは“夜”にも顔を出している。ほぼ雑用と接客だが、その全てが勉強にもなり、不謹慎かもしれないが本社にいるときよりもずっと楽しんで仕事をしている。 普通、本社から店舗勤務になるのは降格扱いなのだが、自らここにいるわたし自身、降格とは思っていない。給料はバーがなかなか好評とのことで本社勤務の時との差は、ありがたいことに左程ないのだ。 お疲れさまです、の挨拶を背に受けてわたしは一眠りするために自宅に向かったのだった。 わたしがバーにいるのは火曜と木曜。多忙を極める週末を避けた結果だった。 一度シャワーを軽く浴びてから化粧をして夜用の制服をバッグに詰める。昼に来たジャケットを軽く叩いてそれを着ると、わたしは自宅を出た。もうすぐ“夜”の時間が始まる。 バーメイドは少し珍しいらしく、女性客の減少に危惧を抱いたが、後にそれは徒労に終わった。女性だからこそ来ていただける常連も増えたのだ。 それと関係ないのかもしれないが本日は火曜日。とある常連客が来る。わたしの中で緊張の30分が始まる曜日なのだ。 「もうすぐ10時ですね」 「いつもの用意しますか?」 「いや、今日は違うのを頼むかもよ?」 わたしが射止めた腕良し顔良しのマスターの一人と冗談を言い合う。彼は副業としてここに来てくれているので、シフトは週3日。そして火曜日が週一で合う時間だった。 「やっぱり変わらないと思う?」 マスターは良い笑顔で「うん」と頷いた。年齢の割りには童顔のこの顔にカウンターにいる女性客の視線が痛い。 「でも」マスターが言いかけたときドアベルが乾いた音を鳴らした。壁掛け時計を覗くとぴったり10時。噂の彼だ。 「いらっしゃいませ」 口許だけに笑みを浮かべて言えば、彼は一瞬だけわたしに目線を合わせるだけで後はいつもの定位置であるカウンターテーブルの端に座る。ここは彼の特等席のようだ。 「マティーニ」 そして座ってすぐに彼はそれを口にする。 いつものですか? など聞けずに半年の月日が経ってしまった。というのも、彼はここでそれしか喋らないので、声を失うと同義だとわたしは勝手に思いこんでいる。 「かしこまりました」 マスターと目線で合図してわたしは冷蔵庫からオリーブを取り出した。隣では、マスターがステアの準備に取りかかってる。 その客――彼は火曜日の10時、決まってこの時間に来る。このわたしでも分かるほど仕立ての良い黒スーツを着こなし、黒髪のオールバックは威圧感が半端ない。故にわたしが緊張する理由はそこだ。 出来たてのマティーニに、わたしはカクテルピンで刺したオリーブを添える。ゆっくりと彼の真っ正面にマティーニが満たされたカクテルグラスを置き、小皿も添えた。人によってはカクテルピンを置いたり、オリーブを置くためのものだ。 「お待たせしました」 言い終えると同時に彼は、ピンを持つとオリーブを一齧りして、それを小皿に置くとマティーニを喉に流した。それっきりオリーブは彼の中で用無しになる。最初の一口だけオリーブを必要とする、彼の飲み方だ。 その様子を見てからわたしは他の接客に入った。 客によって楽しく会話をしたい話を聞いてもらいたい、放っておいて欲しいと大まかに二つのパターンが存在するのだが、彼は明らかに後者だった。それは初めてこの店に来たときからマスターと雰囲気で悟っていたため、わたしたちは気に止めることなく彼を扱っている。彼の「マティーニ」以外の声が聞けない理由はここにあった。 「ねえねえ、そこの人…格好良いね」 しかし、時々こうして女性客が彼に干渉しようとする時がある。大体ここで、わたしの汗は止まらない。 なぜなら、わたしの勝手な思いこみに過ぎないのかもしれないが、彼は一人でしじまといたいだけであって戯れたいわけではない。たぶん。 けれども、女性客が声をかけたいのは良くわかる。彼の顔立ちは誰が見ても誉め称える美貌を兼ね備えていた。目鼻立ちの端正な面貌――声をかけられずにはいられないだろう。 「オレは? オレはどう?」 毎度であるわたしの動揺に見かねて助け船を出したのはマスターだ。本当、まじ天使と心で叫んだ。 「マスターもいいけど、マスターって格好良いというより可愛いじゃない。あっちの方がいいな」 強敵だ。今回の敵は二ヶ月に一度いるかいないかの強敵である。大体はマスターの巧みな話術や可愛い仕草により流れてしまうのだが、ここまではっきり言う客は珍しい。 わたしは、妙に火照った体を沈めるように首に結んだタイを軽く叩いた。なぜならこの後の待ち受ける展開が目に見えているのである。 「ねえ」腕に触れようとした時、彼はまだ半分残っていたマティーニをあっと言う間に飲み干した。わざとだろうか、音を立ててグラスを置き、立ち上がると財布からお金をわたしに差し出す。自然な流れで受け取り、ぎこちなく笑みを作る。 「今お釣りを――」 彼はかぶりを振ると、颯爽と背を向けて歩き出してしまった。 「あ、ありがとうございました」 その背に向かって声を放つ。わたしの予想図はここまでだったが、いつもと違う展開がひとつ。 彼は振り向くと自分の首元を人差し指で、とんとんと叩いた。わたしが首を傾げると気のせいかもしれないが、少しだけ微笑んでドアの向こう側に消えてしまった。 疑問符を浮かべながら思わずマスターを見る。マスターも不思議そうな顔をした後「ああ!」と声を上げてから笑った。 「タイが曲がってるって言いたかったんだと思うよ」 「うん?」 顎を引いてタイを見る。 「本当だ。シャル、直して」 「ここでは雇われでもマスターだけど?」 「マスター直してくださいお願いします」 確かに、盛大に曲がっていたタイを金髪マスター・シャルナークに直して貰っている最中、わたしは今さらながら思い出した。彼が来る前、シャルは「でも」と口にしたことを。 「……マスター、あのお客さんが来る前に"でも"て言ってたけどその次に何を言おうとしたの?」 シャルは結び目を整え、そこをぽんと叩く。それから意地の悪い笑顔を向けた。 「いつかマティーニ以外を頼むかもね、て言おうとしたんだ」 シャルのその言葉の意味を知るのはもう少し後の話だ。 本日、彼がいた時間は10分。最短記録だった。そして、注文以外にわたしが初めて彼とした交流だった。 それからわたしたちは、ふてくされた女性客を宥め、代わる代わる来る客の流れを見てから店を閉めた。 先にシャルを帰してから売り上げを数え、それを金庫に入れるまでがわたしの仕事だ。 店を出ると12時を過ぎていた。バーにしては早仕舞いだが、うちは平日ここまで。週末はもう少し遅くまで開けている。 大通りに出てタクシーを拾う。未だ消えることのないネオンの洪水を眺めながら、わたしは火曜日の彼を、とても楽しみに待つのだった。 火曜日の彼 |
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(20160608)