※19~20話のシャル視点


 隣のデスクに座っているウボォーがぼやいた。
「あー…ピッツァ食いてェな」

 出社して2時間も経っていない。新卒だった子が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、オレはマイペースにキーボードを叩いていた。
 季節のイベント毎に多忙とはなるが毎度の事で、大して何も感じていなかった。言うならば平穏な日々であり、時々誰かのプライベートを耳にするが、左程重要な事でもなく。
 その中で日常という水面に一滴、波紋を広げたのは冒頭の台詞だ。同じようなことを何度もぼやいているため、オレは呆れた口調で会話に乗った。
「いつもの店に頼めば?」
「飽きた」
「じゃデリバリー出来るところを探してみようか」
「シャル、サンキュー」
「うわ、キタネ!」
 口を尖らせて迫ってくる巨躯に気配を察し、オレはギリギリのところで迫りくるウボォーの顔を押し退けた。
 片方の手でウボォーを押し戻し、利き手で器用に検索していると、今の会話を聞いていたのだろうか。廊下からマチの一声が飛んできた。
「アンタたち、今日はピッツァ?」
「ああ、そうなるかも。マチも食べる?」
「ん。…ところで、どこに頼むんだい?」
「いま検索中」
 パソコン画面に羅列された文字と上部に映る画像。やはり美味しいところがいいし、ここは半信半疑で口コミに頼るのも悪くはない。
 しかし、じっくりと吟味したいところだが、早くしないと受け付けられない場合が多い。または、到着が昼を過ぎてしまう。直接、食べに言ってもいいが今日は猛暑のため、出歩きたくないのが本音だ。
 背後では、いつの間にかマチがいて一緒にパソコン画面を眺めている。ウボォーもまた然りだ。
「ていうか、あの子に頼めば?」
「あの子?」「あのこ?」
 程なくして聞こえてきた声に、オレとウボォーの声が被る。疑問符は付けたものの、オレは一瞬で「あの子」が誰か理解した。子、というほど子供じゃないと思うけど――と、心の中で突っ込む。
「店長の店か…デリバリーはやってないはずだ」
「…んー大丈夫じゃない? 勘だけど」
「店長で誰だよ」
「ウボォーを社長と間違えた人がいただろ」
 オレと違い、ウボォーは純粋に理解できなかったようだった。当然だ。ウボォーと店長は、あの日――店長がめちゃくちゃ酔っぱらった時――以来、面識はない。
 しかし店長が勘違いしてウボォーに頭を垂れたのは未だに笑える。その出来事は、当時みんなで馬鹿笑いをしたものだ。
「おい、シャル。頼んでみろよ。マチも言ってることだし」
「うーん…」
「働いてんだろ」
「夜だけな。それにオレは、店長以外に昼の奴らとの面識は、ほとんどないんだ」
 ウボォーは、ここで黙りこくってしまった。めずらしく食い下がる様子に不思議と思っていたが、ふいに合点がいく。恐らくウボォーは”噂”の店長をもう一度見たいのだ。社長と時間を共有する店長を。
 店長の存在は、オレたち――と言っても10人弱か――の中でもっぱらの噂人だった。営業用の愛想の良い社長ではなく、仕事の時やプライベートの時の社長に体当たりする店長は、色々な意味で刺激以外の何者でもなかった。
 オレやマチのような傍観者、フィンクスやフェイタンのように警戒心を剥きだしにする者など、それぞれだ。
 確実に変化が起きていた。社長は気づいていないのかもしれないが、社長本人にも、無論オレたち周囲にも。
「アンタから言えないなら、社長に頼めば」
「…え」
「だって”友人”なんだろ?」

 ピッツァが食べたいくらいで、わざわざ社長室に訪れるのは、オレくらいのものだ。
 役職が付いているオレたちと違い、平社員たちは仕事の話以外、社長に慄いて話しかけるのもおろか目線を合わせるのですら無理なようだった。女性社員たちにいたっては、憧憬を通り越して崇拝に近いらしい。
「…うむ。ピッツァ、か」
 革張りのチェアに身を沈め、顎に手を当て考え込んでいる社長。
 オレが掻い摘んで事の顛末を言えば、社長は案外前向きに聞いてくれた。
「あいつ…今の時間帯は携帯に出ないだろうな」
「どうする? 電話かけるか、かけないか」
 たっぷりと時間を置き、社長は手のひらをオレに見せて言った。「かけよう」
「OK」
 どうやらあれがOKサインのようだ。オレは、意気揚々と携帯を取り出し、店の番号を画面に表示させると、それを渡した。指先一つで店に繋がるために。
 オレの意図はすぐさま理解された。社長は頷いてから戸惑うことなくタップすると電話が、あっという間に繋がったようで会話を始めている。
 その様子を眺めながら、オレは感じていた。あの店長が簡単に首を縦に振り落すか、だ。これは、言葉にせずとも社長も脳裏を掠めていたことだろう。

「話にならないな。さっきの女を出せ――舌打ちをするな」

 嗚呼、とオレは額に手を当て苦笑する。そうなんだよ、店長が簡単にイエスと言う訳がない。なぜなら店長は、頑なに社長との距離を律している。これは、オレから見ての展開なわけだが、オレと社長の扱いが全然違うのだ。
 あれこれと考えているうちに会話は終了していた。先ほどの不機嫌さはどこへやら、思いの他社長は上機嫌に携帯を握り締めている。
「どうだった?」
「12時前には間に合わせるそうだ。デリバリー料を払うと言ったら二つ返事でOKされたよ」
 ここで「店長に?」という愚問を言うつもりはない。電話内容からして、社長は店長以外の誰かを丸めこんだに違いないはずだ。
「ピッツァ、楽しみだね」
 笑顔で言えば、社長は目線を下に置いて返事をした。「ああ」
「今日はオレの奢りだ。あいつらに伝えておけ」
「アイ・サー」
 さてさて、ここで疑問がもう一つ浮かぶ。店長は、やってくるだろうか?

 :
「フィンクスはどこだ」
「外回りって言ってたけど」
「どうせ煙草でも吸ってんだろ」
「あっ……二人とも先に行ってて」
 時刻は11時30分になろうとしていた。オレは、ボノとシズクと3人で廊下を歩きながら自分のデスクに向かっていたが、社長の姿が前方から見えたため、二人に先に行くよう促した。
「社長! 店長、来た?」
 デリバリーにしては、少し遅いと感じてしまったはオレたちが贔屓にしている店と比べてしまうからだ。
 パクノダと社長が我が社のフロントで何か話し込んでいる。これはめずらしいことだった。何せ、特に社長は社長室から出て来ない。何らかの理由がなければ、腰を上げることはしないのだ。
 やたらと広い社長室から電話一本でオレたちに指示するのが通例だ。もしかして、どこかに出かけるつもりだろうか。それとも、店長のことを待っているのか――憶測は尽きない。
「シャルか。いや、まだだ」
「遅いね」
「道に迷ってるのかしら」
 と、そこでタイミング良く数メートル離れたエレベーターが景気の良い音を鳴らした。箱が到着すると、ゆっくりとドアが開けられていったかと思えば隙間が開いた途端、何やら騒がしい会話が聞こえてくる。

「ほら、着いたぞ。ピッツァ寄越せ」
「だから、もう着いたから――もう着きましたから大丈夫です」
「お前、頑固だな。よく社長とぶつかるだろ」
「時々ね!」
「敬語、なくなってるぞ」

 いなくなったフィンクスと、来ないと噂していた店長がなぜか言い合いしていた。二人の体格差が歴然としていて、まるで猫とネズミのようだ。ちゅーちゅーと鳴くネズミは、本物よりも強気なのが笑える。
 ここでオレが、ぷっと笑いを零しながら前方にいる社長を伺えば、オレとは反して無表情だった。じっと見据えた先は無論、箱の中の二人。社長は何を思いながら、二人を見ているのだろう。
 やがて、ゆっくりと人差し指を二人に向けた社長は、今さっきの無表情と打って変わり、呆れた表情で言い放った。
「フィン、――閉まるぞ」
 ドアは終われた。上部にある数字を見る限り、箱は下に向かって降りているようだった。点灯するランプが、その様子を教えてくれていた。
 オレは社長の隣に並ぶと、何とも考えなしに話しかけた。
「降りちゃったね」
「…」
「…社長?」
 返事がなく、社長がだんまりしているときは、思案しているのが多い。
 一文字に閉じていた口唇が、やっとの思いで抉じ開けたのは、オレしか聞こえないのではないと思うほど吐息に近い呟きだった。
「見たことがないがいた」
「……ん?」
「あいつ、ああいう表情もするんだな」
「あ…社長?」
 独り言だったようで、オレの返事など待たずに社長は歩き出してしまった。思わず、パクノダと二人で目線を合わせていると「パクノダ」と呼ぶ声がする。
「"店長"に、来いと伝えろ」
「了解」
 いつも通り、パクノダは返事をするとエレベーターの方向を見た。
 徐々に迫る箱。見たことのない社長の面貌と疑問の先。無言のオレたちの周囲にこびり付く蟠り。
 近年、感じたことのない空気だった。

「シャル!」

 程なくしてこの空気を破ったのは、店長の一声だった。オレの名前を呼び、駆け寄ってくる姿に苦笑が漏れる。店長は本当に嬉色満面なのだ。
「フィンクスともう一回降りただろ」
「ああ、うん……」
 気まずそうに目線を泳がせる店長。
 どうやらオレは、社長の影に隠れていたようで店長から見えていないようだった。探し物を見つけたように駆け寄ってきたのが、良い証拠だ。
「シャル、こいつ本当頑固だな」
 ゆったりと、こちらに歩んできたフィンクスが言った。店長が頑固なところは――ないと言えば嘘になるが、基本的に彼女は素直だ。少し綺麗な言葉で表現すれば”無垢”だろう。それが仇になるほどに。
「そう? 素直な方だと思うけど。どうせフィンクスがからかったんだろ」
「オレは普通だ」
「その普通がダメなんだよ」
「…それはオレを全否定してると同義だぞ」
「女々しいな。このくらいで傷つくなよ」
「おい今なんて言ったコラ」
 軽快に笑ってみるが、青筋の立ったフィンクスには手遅れのようだった。あ、ちょっと面倒。
 オレはこの会話を無かったことにするために、ピッツァに話題を持ってくることにした。「ほら、フィンクス」
「食べてみろよ。店長の店のピッツァ、本当にうまいから」
 蓋を開けて促すと、フィンクスも腹が減っていたんだろう。不機嫌ながらもピッツァを口に運ぶと青筋が消えていった。
 この会話の間、店長はパクノダと話している。どこか遠慮がちの台詞の後、オレに目線を寄こす。毎度の如く、助けろということだ。
 が、オレが毎回、店長を助けるわけがない。店長は人間的に好感はあるものの、オレにも優先順位がある。
 店長の両手を占領している紙袋を奪い、そっぽを向く。この態度で、もう分かるだろ、店長。
「早く来てちょうだい。これも仕事なの」
 手厳しいようで真実であるパクノダの声が響いた。店長は、何か考えているのか一寸間を作ってからパクノダの姿を追う。
 その後姿にオレは笑いかけると、「車は駐車場に移動しておくよ」と叫んだ。すぐに飛んできた台詞は感謝の言葉だ。
 隣で二枚目のピッツァを口にしているフィンクスに、みんなのところへ持って行くように誘導する。店長から奪った紙袋を置いたら、オレは一仕事をしてから昼食だ。

「お、やっと来たぜ」
 今日は奥にある会議室での昼食だ。オレたちは、それぞれ部署が違うため、また午後に会議の入っていないこの場を使うことになった。
 騒ぐみんなの会話を耳に流しながら紙袋の中を取り出そうとすると、注文していないはずのポテトの山があった。サービスかとすぐに思ったものの、ここでもう一つ予想外なものがある。
 それは、洒落たマスキングテープによってぐるぐる巻きにされている2本のエナジードリンクだった。手に取って裏を返せば、”シャルへ”と書かれているメモがある。見開いて読むと、自然にオレの口許が緩んだ。
 内容は、ポテトはサービス、先日バーで助けて貰った事と注文への感謝。故の2本。そして、エナジードリンクが足りなかったため、マチやシズクに渡せないことへの悔いが書かれていた。つまりは、こっそりと飲めということなんだろう。
「何にやついてんだ」
「…別に。なんでもないよ」
 椅子に座り、チキンを頬張っているフィンクスに指摘され、オレは、さり気なくドリンクをポケットに突っ込んだ。
「車移動して来るから先食べてて……ってもう食べるよな」
 呆れ口調で言い放ち、そそくさと会議室を出てエレベーターに向かうと、オレは足早に箱へと乗り込んだ。ポケットに突っ込んだドリンクを取り出し、眺める。口角が上がるのを自分でも感じていた。これは、嬉しいという感情だ。
「…もう、本当にさ」
 店長の顔がめちゃくちゃ好みで、いやそれを無しにしてもこの世の偶然が合致していたら、オレは君に、もっと違う感情を抱いていたのかもしれない。
 そして、思う――。

 見たことがないがいたと社長は言った。
 オレも同じだった。憂い顔のような、初めて宝箱を見つけた少年のように、二つの矛盾を綯い交ぜにした社長の表情など、これまで見たことなかった。
 店長――いや、
 君はオレたちにとって起爆剤なのかもしれない。

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(20170830)

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