それから、ジンは少しずつアースクェイクを呑み、空にしたらまた同じものを――3杯目が半分を過ぎた頃、閉店の時刻が来た。 カップルが帰ってから何組かお客は来たものの、その客が帰ると奇妙な3人の空間が出来る。何とか取り繕おうとわたしが話題を振ってみるが、シャルはいつもより義務的であり、ジンに至っては口数が少ない。空気が悪いわけではないが、どこか継ぎ接ぎだらけなのだ。 わたしの見解から言うと、大半がシャルだったりする。めずらしく足早と帰っていった彼の様子は不自然だった。いつもなら談笑してから帰るものの、何か違和感があったのだ。原因は言うまでもなく、ジンの存在だろう。 「ね、ジン。シャルと何かあった?」 「なんもねーよ」 丁重に売り上げ金を仕舞いながら、未だカクテルを呑んでいるジンに聞くと即答だった。ふーん、と相槌を打ってみたものの、やはりどうしても疑念は深まるばかりだ。 専用のバッグを持ち、簡易椅子から立ち上がったわたしは、首を締め付けていたタイを緩めた。後は更衣室で着替え、ジンを車で送れば今日の仕事は終わる。 「着替えてくるから待ってて」 「おう」 「暇なら出入り口のカギも閉めてくれると嬉しい」 「調子乗んな」 結局、出入り口を施錠し、厨房のチェックとライトを落としたジンは、裏口で待っていてくれた。最終確認を全てしたか尋ねると、その全てにおいてYESだったため、何だかんだと優しい人である。 私服に着替え終わったわたしは、ジンと共に裏口から店を後にした。案外、ジンは酔っていないらしく、足許はしっかりとしている。車中でシートベルトをしたところまで見届ける限り、大丈夫そうだ。 「それじゃ行くね」 ギアをドライブに入れ、アクセルをゆっくりと踏んだ。夜のハイウェイへと、わたしとジンは流れる車体の一部となるために一歩を踏み出した。 「ん〜〜〜だからそれは――てか、うるせー!」 シャルの前では出来なかった仕事の話をしていると、ニュースを流していたラジオのボリュームを下げたジンは、そう言ってまた話を戻し始めた。今更と突っ込みたいところだったが、わたしは小さく笑いながら相槌をひとつ。 多少、酔いが回っているのもあるのだろう。この人は、とある分野の事となると饒舌だが、後は質問などしない限り、台詞が短めだ。 「ところで聞きたいことがあるんだけど」 「さっきクロロ=ルシルフルに会ってたろ」 思わずブレーキを思いっきり踏みそうになった。わたしはシャルの事について聞こうとしたのだが、ジンからは更にその奥底にあるクロロの事だ。 “さっき”というのは言うまでもなく、わたしがいなかった空白の時間を指している。時間にするなら5分にも満たない中、わたしが刹那に感じていたクロロとの時間。 「あいつはオレを避けたのか」 「…さあね」 「今さら嘘つくな」 「…………避けてるみたい」 本日、二度目の嘘を言ったが結局はジンに暴かれてしまうわたしは学習能力がないのだろうかと自分でもほとほと呆れてしまう。 「理由はなんだ」 赤信号が見えてきたため、わたしはブレーキペダルを何度か踏み、車体を停車させた。車は疎らであり肉眼では、わたしたちの隣にスポーツカー、後ろにワゴン車一台並んでいるのみだ。 反対車線の車が停車したのが見えたため、わたしはライトを一段落とすと向こうも気遣ってか、スモールライトになる。眩さに目を細めることなく、信号が青になることを待ちながらジンへの返答。 「そこまで深く聞いてないから」 面倒と一言で片付けてしまったクロロの言葉に、わたしは虚言を吐いていない。 助手席へ顔を向けると、人工的な光を浴びているジンの横顔があった。この人は、横顔がすごく綺麗な人だ。わたしが初めて彼に抱いた印象がそれだったことを今思い出している。 「少し――」頬杖をつくジン。「考えたんだがな、ビジネス以外にオレと繋がることが奴にとって何かまずいことがあるな」 「……」 ジンと、そしてクロロのビジネスの話は、わたしにとって別世界そのものだ。上に立つ者同士、付き合いがある会社や株主、取引会社――うまく説明できないが複雑な構造があるのだと思う。 それを一括りにし、クロロは受け入れないだけではなく、ジンの見解によればそれ以外にも何かあると言った。わたしは、眉間に皺を寄せ「それは」と聞く。ジンが静寂に溶けるほどの、無音の哂い。 「お前だよ。いい加減に気づけよバカ野郎!」 「……は?」 わたしが何だというのだ。ハの字に捻じり曲がった眉間は、自分でも分かるほど自然に、そして力が入ってる。 ここで後方からクラクションが鳴らされた。前方を向くと、青信号に変わっていたため、わたしはライトを戻すと慌ててアクセルを踏んだ。余程、急いでいたのか背後の車は、猛スピードで、わたしたちの車を追い越して行ってしまう。その様子を見届けながら、マイペースに車を走行するわたしは、人様の車だからだ。二度目とはいえ、やはり緊張してしまう。 「はっきり言ってこれは予想外だった。お前、あいつの何なんだ?」 ――その調子じゃ相手にされねーか。 数カ月前、ジンがパーティー会場でぼやいていた台詞が唐突に蘇った。更に、あいつの何なんだという疑問に、わたしも疑問符だらけだ。 「えー…と、彼とは友人……じゃなくて、わたしとクロロはEMANONになったわけで…」 「EMANONだ?」 彼とは友人だと答えたわたしは、あの頃と変わらぬ心情のまま応えようとしたのだが、ここでNOだと記憶の中のクロロが背中を押した。そうだ、わたしたちはEMANONになったのだ。友人でもなく、とはいえ何が特別なわけでもないEMANONに。 「友人という名前を止めにしないか、てクロロが」 「目的は?」 目的、と聞いて脳内をフル回転してみたが、思えば特にこれと言った理由は見当も付かなかった。もしくは、わたしが今、思い出せないせいなのかもしれない。 「しらない」 「目的もなしに、そんなもん提案してくるわけねーだろ」 「え、何か狙いがあるの…? え、えっ…! クロロがわたしのことが好きとか?!」 「自惚れんな」 「ですよね」 シリアスな展開だったはずが、冗談を言えば雰囲気は幾分か穏やかな空気に包まれた。笑い合いながら、結局は何も解決できないまま、わたしたちのドライブは続く。 ジンは、今まで聞いてこなかったクロロについて話題を振って来た。特に隠すことはないため、わたしは素直に話し出す。会話をするようになった切っ掛けであるカクテル言葉、仮宿のキー、先日の出来事。 この時、運転に集中していたわたしはジンが何を思い、どういった面持ちで話を聞いていたのか知る由もなかった。 ――パーキングエリアに車を駐車させ、エンジンを止めたところで、わたしは深い息を吐いた。緊張が解かれたことにより、肩の強張りは消え、ハンドルを強く握っていた手は血流が良くなった気がする。 ん、と横から瞬時に何か差し出されると、わたしは目を凝らす。薄暗い車内の中なにかと受け取れば、それはタクシーチケットだった。これを使い、帰れという事だろう。 「ありがとう」 「さっさと帰ってクソして寝ろ」 「クソはしませんが言われなくても寝ます」 わたしは一笑し、車から降りるとキーをジンに渡した。無言で受け取ったジンは、颯と背中を向けて歩き出した――と思いきや、一度振り向く。ついて来いと言われているようだ。 大人しく後をついていくと、マンションのエントランスに辿り着いた。それからタクシーを手配している様子から案外、面倒見が良かったことを思い出す。 「何もそこまでしてくれなくても良かったのに」 「うっせ」 へそ曲がりの照れ屋は、ここでも発揮である。 「…カクテル言葉、知ってんだよな」 唐突な疑問は、どこかで聞いた台詞に似ていた。アンサーは、あっという間にその台詞を言った人物と声がリフレインしている。 あの時と、ほぼ同じ言葉。「うん、少しだけなら」 「違う、お前じゃない。クロロがだ」 ここで、わたしは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしてしまった。目蓋を大きく押し上げた先には、冗談を欠いたジンの顔だ。その気迫に圧倒されながら、わたしは頷く。 「クロロが、うちの店でよく飲むカクテルはなんだ」 「マティーニ」 ここまで言い切ったが、わたしは「あ」と無意識に声を上げると大切なことを付け加えた。「待って、ちょっと違う」 「”ジン”じゃないの、クロロは」 「?」 無論、わたしの言う”ジン”は、上司であるジン=フリークスではなく。 「ジンじゃなくてウォッカにして貰ってるって言ってたから――ウォッカマティーニ。それがクロロが欠かさず飲むカクテルよ」 ジンは、顎を撫で上げると意味深な笑いをひとつ。「選択、か……んでもって"ジン"ではない」 間髪入れず言われた言葉を、わたしは知っている。記憶の奥底からフロートするのではなく、目の前のそれを掴み取ったに近しい。そして久方振りに聞いた”ウォッカマティーニ”と”選択”という言葉に、我に返ったかのよう視界がクリアになった気がした。 クロロからの質問の答えを持ち去っている事実。あの時クロロは「面白い」と言っただけであり、決して”正解”ではない。あのままわたしが話し続けられたのは、勢いでしかない。 「タクシー、来たぞ」 思考の洪水から救い出してくれたのは、わたしをそこに突き落としたジン本人だ。何か考えていたのにも関わらず、彼はそれをわたしに言わぬまま、タクシーの方向へ顎をしゃくる。 生半可な返事をし、エントランスを抜けて生ぬるい空気を吸った。ハザードランプを付けたタクシーが、すぐそこでわたしを待っていた。 思考の洪水 |
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(20210625)