世界中の誰もがキリストの誕生を祝っているわけでもないというのに、クリスマスという言葉は、瞬く間に人々を浮足立たせる。キャンドルにケーキ、丸焼きのローストチキン。大切な人に送るプレゼント。 クリスマス・イヴ――恋人たちにとってメインと言ってもいいのかもしれないが12月24日の今日、わたしはというと。 「いらっしゃいませメリークリスマス! からのありがとうございますに続いてハッピークリスマスの準備は正直キツイ」 息継ぎもせず早口で捲し上げたわたしの頭上から、シャルの声が降ってくる。 「店長ー。早く次のオーナメントちょうだい」 「なんで、わたしたちだけで準備? ていうか、わたし関係なくない?」 わたしは、脚立を二段目まで上り、まあるい金色のオーナメントをてっぺんにいるシャルに渡すため、手を伸ばした。 ※脚立の二人乗りはマネしないで下さい。大変危険です。 「文句言ってないで早くしなよ。仕方ないだろ、他の社員は仕事で飛び回ってるし。ツリーの飾り付けが終わったら、次はケーキの準備もあるんだからさ」 「…シャルって店から出ると途端に強気だよね」 「店の外じゃもう店長じゃないし」 「店長って呼ぶくせに」 ぶつぶつと文句を言っていると、頭上にさっきのオーナメントが落ちてきた。「痛っ…!」 この様子を笑う声はふたつ。真上にいるシャルナークと、そして。 「ふ…口より手を動かせ」 部屋にある唯一の重厚な机を前に、わたしたちをただただ眺めているクロロだった。 わたしがいる場所は、とあるビルの最上階。このワンフロア全てがクロロの会社であり、ビルの表側全ては社長室だ。彼は、ここで毎日指先一つで会社と社員を動かし、時には自身すらも社の一部として動く。 その部屋で、わたしはクロロとシャルと3人でクリスマスの準備をしていた。クロロは手伝う素振りは何一つないので、実質準備をしているのは、わたしとシャルだけだ。後々、他の社員たちも来るようだが、冒頭でシャルが言った通り、多忙のようだった。 なぜ、わたしがここにいるのか。わたしも知りたいくらいだ。 わたしは今年も店でクリスマス・イヴの修羅場を鞭打って超え、疲労困憊のまま拉致られたのだ。車内で言われた言葉は「クリスマスをする」の一言で何が何だか分からないまま、連れてこられた。この時点で夜9時である。 「それにしても張り切りすぎじゃない?」 社長室の側面は、全面ガラス張りになっている。そこにはシルバーのスノーフレーク型やトナカイの大きなウォールステッカーが貼られていた。肝心のサンタがいない、という突っ込みは疲れているので止めておいた。 きらきらと輝くステッカーを眺めていると、脚立から一歩一歩降りるシャルの様子に、わたしは慌てて先に降りる。 「やるなら徹底的にってね」 ひょい、軽々と脚立から降りたシャルの言葉は、わたしへの返答だ。たぶん、いや絶対にクロロ受け入りだろう。 そんなことを思いながら、クロロの方を見るといつの間にか彼はパソコン画面をお仕事モードの顔付きのまま眺めていた。お仕事モード――つまりはオールバック姿で、わたしにとっては珍しくなってしまった姿だ。 株でも見ているのかな、と思いつつ、わたしはクロロを放って次の準備に取り掛かった。次の準備とは、部屋のど真ん中にあるテーブルを陣取っている、なぜかトッピングもクリームも塗られていないスポンジケーキの塊だ。 「店長、砂糖量って」 「もう量ってまーす」 「わぁ〜店長が気が利く」 「…スポンジケーキだけの注文で大体察しが付くよ」 会話を聞いて頂ければ勘のいい方から分かるように、一週間ほど前クロロから「ケーキを予約したい。スポンジケーキだけだ」と謎の注文を受け、厳密に言えばわたしはスポンジケーキとセットで拉致られた。 まさか、さすがにスポンジケーキだけでクリスマスをする訳はない。と、すればこのスポンジケーキに生クリームを塗る作業は、わたしたちになる。 「ほんと周到だよね。ボールもハンドミキサーも用意してるなんて」 「…このイチゴ大きいな」 「あ、つまみ食いはズルい」 「店長、口開けて。ほら」 両手は作業で多忙だ。わたしは躊躇することなく、大口を開けるとイチゴが放り込まれる。大きすぎて食べづらいけれど恐らく高級イチゴと思われるこれは本当に美味しい。噛めば噛むほどその良さがわかる。 「……仕事しろよ」 シャルと二人で舌鼓をしていると、どこからか一喝した声が響いた。言うまでもなく、クロロである。 わたしたちは「はーい」と緩く返事をして生クリーム作りに取り掛かった。曰く、甘すぎるのはだめな社員にいるようで、生クリームの砂糖の分量は通常よりも大分少なめである。 ボールに生クリームと分量よりも三分の一程度の砂糖を投入してハンドミキサーのスイッチを押した。そこそこの騒音を立てながら、わたしは無心でボールを撫で回すように手は円を描く。 その間、シャルはイチゴを洗い、絞り袋を自作していた。楽しそうだ。 「出来た?」 「もう少しかな」 角が尖ってきた生クリームを見ながらシャルに言った。腕は少し疲れてきたものの、もう少しだと思えば頑張れる。 「それくらいでいいんじゃないか」 「OK」 スイッチを切って、こびり付いた生クリームを落とすと、わたしはパレットナイフを持った。しかしながら、ここからが問題である。 「一応聞くけど、シャル……生クリームをケーキに塗ったことある?」 「あるわけないだろ。一応聞くけど、店長は?」 「あるわけないでしょ」 わたしが店にいてやることといえば、売り上げの勘定と店員の統括、時々新メニューに口を挟むことくらいだ。厨房は専らメンチさん達に任せっきりで調理は簡単なもの以外何もしていない。 二人で顔を見合わせた後、ここまで何もしていないクロロを見やる。彼は、わたしたちの視線にすぐに気づき、顔を上げた。にっこり、わたしは笑ってみせる。 「…………ん? なんだよ、その不気味な笑みは」 「(失礼な)クロロ、今日何もしてないよね?」 「見ての通り仕事中だ」 「生クリーム、塗って欲しいな」 「下手でもいいから塗れよ」 「ここはパーフェクトヒューマンのクロロの出番だって、わたしは思うの」 クロロからは大きなため息、隣からくつくつと笑うシャルの声がする。 わたしがなぜクロロを推したかといえば、未経験の3人の中、消去法でクロロが適任だと思ったからだ。クロロなら何でもやれる、そんな押しつけがましい自信がわたしにはあった。 「飾り付けはお前たちでやれよ」 椅子から立ち上がったクロロは、タイを緩めながら歩き出した。 同時に、隣でシャルが独り言を呟いた。「鶴の一声ってやつだな」 一声じゃなくて、二声だったと思うけど。 ――動画を撮ればよかった。 そう思わせるほど、クロロの手際の良さは、その辺にいるパティシエを超えていた。絶妙な厚さで塗られたケーキの表面はムラなどなく、ただのスポンジケーキだったものは、瞬く間にケーキとなるべく姿を変えた。 極めつけは、絞り袋から生まれる生クリームが芸術的。側面に彩られる手付きがすごい。 「これでいいか」 「…良すぎでしょ」 「さすが社長」 ぽい、とわたしに未だ生クリームが入っている袋を手渡して、クロロは颯爽と元の定位置に戻っていった。 見とれている場合ではない。時間は、10時を過ぎていて、一人胸中で眠いわけだと呟く。 「店長、ぼーっとしてないでイチゴ乗せて」 「…センスが問われるね」 ナイフで器用にイチゴをカットしているシャルに言われながらも、一粒イチゴを手に取った。頭の中で計算しながら、そっとイチゴを置いてゆく。 サイドに真っ二つと切られたケーキの中には、クロロが塗ってくれている最中、既にイチゴを並べて上段のケーキを乗せている。後は、表面にイチゴを乗せて板チョコに"Merry Christmas"でも書いておけば十分だろう。 もう少し、もう少し。そう思っていると横から予想外の質問が刺さってきた。 「オレ、てっきり店長は社長とクリスマス・イヴを過ごすかと思っていた」 「んっ?!」 動揺は言葉にするなら、ただ一言だったが指先だけは違っていた。 「シャル…!」 時既に遅し。 なぜか動揺しすぎて、イチゴを力強く置いて(というか押して)しまい、無残にもスポンジケーキにイチゴがめり込んでしまった。 「うわぁ…見事に陥没してるな」 「ど、どうよう…」 ちら、とクロロを見るが、いつの間にかクロロの姿はなかった。わたしたちが真剣にトッピングしている間、どこかに行ってしまったらしい。 うーん、とシャルは一通り悩み、やがて、ぽんと手を叩いて笑った。 「よし、埋めよう」 「埋め、る?」 「生クリームで」 証拠隠滅ってやつですね。 残っている生クリームを総動員させて、めり込んだイチゴの上に生クリームを塗りこむ。その上からバレないように板チョコを乗せておいた。もちろん、板チョコに書かれているのは先ほど言った"Merry Christmas"だ。 「なんとか形になったね」 「上出来じゃん」 「…誰かにめり込んだイチゴが当たるかと思えば、逃げたい気持ちだけど」 「いいんじゃないか? 別に毒でも入ってるわけじゃないし」 「そ、そうだよね。ちょっとラッキーなロシアンルーレットだと思えば」 ひそひそと会話をしていると、背後から「出来たのか」と聞こえてきた。振り向けば、出入り口から登場したクロロが近づいてくる姿があった。 「うん、どうかな?」 「ほぉ…お前にしては上出来だ」 満足気に頷いたクロロの様子に、わたしとシャルは胸を撫で下ろした。 どうやら、これからオードブルが運ばれてくるらしく、その対応や社員と連絡をしていたらしい。時刻は11時前――もう寝る時間だが今日は諦めよう。 これから、わたしたちのクリスマスパーティーが始まる。 |
Index<<< >>>2/2 |
(20161221)