ふわり、‘わたし’は、どこまでも飛翔する
‘わたし’は‘あなた’を目指して飛んでいく どうか受け止めて この想いよ‘あなた’に届け =という女性は、基本は情報屋として時には依頼次第でどんな任務も請け負う、万屋――通称ジャックだ。 物語は、マフィアンコミュニティー騒動が世間のニュースを掻っ攫った頃から数ヶ月ほど経過した後の物語である。 三者の記憶を遡るなら数年前。とりあえず今は、始まりから唱えようか。 結末は、あなた次第。これを紐解いた後、あなたは何を思い、何を選択するのか“わたし”は楽しみでならない。 重厚なドアの向こう側には、ノストラードファミリーの若頭――ではなく、黒髪の男性がパソコンの前で世話しなくキーボードを叩いていた。液晶画面が照らす表情は酷く真面目な顔付きをしている。 彼は、やがて溜息をひとつ吐くと肩を鳴らした。 「お疲れさま、リンセン」 「……!! 驚かすな」 ついでに「心臓に悪い」とも付け加えて、背後にいる女性に話しかけた。 「真剣だったから」 もう一度溜息を吐きながら、リンセンと呼ばれた男は目前にいるはずの組員の行方を目で追った。彼らは椅子でぐったりとしているが隆起した巨躯の様子から、ただ眠っているだけのようだ。 これでは見張りの意味がないと思いつつも、彼は、この女性が毎度、同一の悪戯をするため、どこか断念している。 「……それで情報は持ってきたのか、」 「もちろん。早速あなたのボスに報告したい」 と呼ばれた女性は、口唇を弓形に撓らせて答える。機嫌の良いことから首尾は上々のようだ。 「ボスを呼んでこよう」 そう言って起立すると、タイミング良く待ち人が奥のドアから現れた。「」 「予定よりも早いな」 「情報提供者がいてね。それて少し早めに終わったわけ」 ボスと呼ばれた青年――クラピカはノストラードファミリーの若頭だ。予知が出来る娘の能力が無くなったと分かると一朝一夕に衰退したライト=ノストラードの代わりにファミリーの采配は、二十歳もいかないこの青年が振るっている。 クラピカとの出会いは、クラピカが若頭になってすぐのことだった。同胞の緋の目を探している途中、彼女と出会い、そしてクラピカはその情報を買った。直線で敷かれたレールのように安易な出会いだった。 「人払いをしてくれ。話をする」 「了解、ボス」 クラピカが指示すると、リンセンは椅子で眠っている組員を叩き起こして、ドアの向こう側に消えてしまった。気を利かせたのだろう。 その様子を眺めてから、ふたりは並ぶようにしてソファに身を沈めた。漆黒の皮張りは冷淡で柔らかい反比例を持っていた。 「これが依頼されたプロフィール。ちょっと探ってみたけど黒い噂が絶えないね」 ガラステーブルの上に差し出された紙をクラピカは凝視している。顔写真付きで趣味や趣向、また女性の好みや愛人まで情報は様々に書かれていた。 読み終えると、クラピカはスーツの内ポケットから何かを取り出した。ダイヤモンドだ。 「いくらだ。いや、幾つだ」 「一つで十分」 「安いな」 「今回は簡単だったから」 握りしめていた手からダイヤを一粒取ると、クラピカはそれを机上に置いた。大粒のダイヤは薄暗い部屋の中で意地と輝いている。 の依頼料は金ではなくダイヤの数と品質で決まる。なぜなら、その方が彼女にとって都合が良いからだ。 「毎度あり」 そう言って手に取ったダイヤを天井に向けたは一通り眺めると、それを持っていたハンカチに包んだ。丁寧に折り畳み、上着に仕舞い込む。 それから思いついたように声を上げると、猫目のような三日月の双眸を作った。 「追加で更なる情報もありますが?」 「いや、これだけあれば十分だ」 「あたしが言いたいのは緋の目の保持者」 「……幾つだ」 「これは3つ頂く」 こうしてに渡すダイヤモンドを保持していることで、いつしかクラピカには女がいるのではないかと周囲を騒然とさせたが、ご覧の通り恋愛の‘れ’の字もないやり取りで消散されているなど誰が予想しているだろう。 そもそも、こうしてに依頼していること自体がシークレットなのだ。は、どこにも属さないジャック。膨大な彼女の情報量を欲しがる奴はどこにでも転がっている。 故に、例えが外部に漏らさないとしても客の個人情報を、どこでどう売られているのか分からないと考えるのが妥当である。 これはハイリスクとハイリターン。少し脳内を巡らせば誰しもが危惧の念を抱くだろう。彼女は、誰の味方でもない。誰を売るのか全ては彼女次第だと。 ダイヤの数だけ、彼女は働く。ダイヤの数だけ命を狙われ、仲間に引き入れたがる。 それでも客足が途切れないのは彼女への信頼ではなく、情報の信頼性だ。 「ところで、ものは相談なんだが」 ここにいるクラピカも、その内の一人となってしまった。 「うちに入る気はあるか?」 「ない」 の答えは即答だ。 だが、クラピカもその返答は想定内だったのだろう。静かに笑うと、右手にある念の鎖を、じゃらりと鳴らした。 「ジャッジメントチェーン――あれ、受けたくないな」 「驚いたな。私の能力まで分かっているのか」 「売る気はないよ」 じっと見据えるの眸は、まるで試しているようにクラピカを射る。その目線は、実に純粋だった。 ふ、と瞼を閉じて笑ったクラピカの表情は穏やかだ。 「信じよう」 「……うそ」 「お前は虚言を吐くとき目線を上に向ける癖がある。それがないということは、そういうことだ」 「…隠してるつもりなのに」 「お前は分かりやすくて助かる」 そう言ったクラピカを見て、初めての出会いからを思えば随分と柔軟になったとは胸中で思っていた。 出会いは唐突、真夜中に路地裏を闊歩していたに向かって「目的の物が集まるまで情報をくれ」という完結した物だった。 承諾するなら報酬は厭わない、一つの情報事に上乗せというスタンスが気に入り、はあっさり快諾した。 しかし、一つだけ気に入らないのは当初のクラピカの態度だ。あれはするなこれはするな、果てまで触るな――神経質にも程があった。 それがどうだ。今は全てではないにしろ、粗方のことは寛容的だ。それは緋の目を手にする度に、ふたりの間が徐々に縮まる度に増している。 「クラピカ、あなた頭は良いのにバカね」 「なんだ突然」 「嘘でも何でも「君を愛している! 私の傍にいてくれ…!」て言ったら組に入らなくても、あたしと情報を手にしてたかもしれないじゃない」 過去から現代を渡った思考のラストは、単純な提案で解決するのではないか。 はそう思い、提案してみたが言い終えた後に去来したのは疑問だ。 「考えもしなかったな」 「…うん、あたしももし言われたらどう答えて良いか分からなかったから提案してなんだけど、これでいいんじゃないかって思えてきた」 ふたり真顔で見つめ合い数秒後、同時に顔を伏せる。 腹を抱えて笑っているのはで、クラピカと言えば額に手を置いて笑いを堪えているようだ。 「これ以上は罰が当たりそうだ」 「そうだね」 揺るぎ無い信頼関係が築きつつあった。 クラピカのお陰で金に困ることも、人を見極めることも少なくなった。なぜなら、緋の目のためだと時折、他の情報をリークするのがクラピカだからだ。 もまた二十歳を迎えてはいない。もしかしたら、彼女の人生の中で今が順風満帆な時間なのかもしれなかった。 それを破壊したのは、一本の死神からの電話だった。 『ボクだけど』 「…」 『返事くらいして欲しいな』 「あなたの依頼は受けないと言ったはず。理由は面倒だからだ」 ある日の晩、滞在していたホテルでパソコンを叩いていると、死神からの電話が来た。初めは無視をしていたのだが、異様にしつこいため通話ボタンを押すと、あの会話が始まったのである。 『今回は依頼で電話したんじゃないよ。ボクから君へのプレゼント』 「あたしに?」 『聞くかい?』 「見返りがなければ」 『君は本当にずるい女の子だ』 咽喉で笑うヒソカは愉快そうに告げた。その様子には眉間にしわを寄せて、電話を切ってやろうかと思った。同時に、頭中にあるのは定期的に来るヒソカからの依頼話だ。 それは‘クロロを捜して欲しい’というもの。これを依頼されたのは既に4回に上る。そして、はこれを断る。なぜなら――。 『君の大好きなクロロを××シティで見かけてね。今、君はその周辺の街にいるだろ? ボクの方は逃げられちゃったけど君は一応、警戒した方がいいんじゃないかな』 「……………なるほど、それは重大ね」 ヒソカの言う都市からが今滞在している街までは確かに近い。 「それと訂正したいんだけど、別にクロロ=ルシルフルのことは好きじゃないよ。今後、会いたくない人だって前に言わなかった?」 『知らないのかい? イヤよイヤよも好きの内さ』 こういう話になるとヒソカの言葉は、どんどんエスカレートすることを存知するは、深い溜息を吐くと話を切り替えることにした。 「で、見返りは? あたしのためじゃなく自分のために情報を流したんでしょ」 『君のそういうところが好きだよ』 「さっさと言って」 『クロロを見つけたら教えて欲しい。それだけさ』 情報と情報の物々交換。それは互いの理に適っており、ダイヤなど不必要だ。 返事をしたは「期待しないでよ」と言い放ち、電話を切ろうとしたが、ふとした疑問を抱いて携帯をもう一度耳に押し付けた。 「ところで、なんでこの街にあたしがいること知ってるの?」 気持ち悪い。も、付け足してしまいたいが、そこではぐっと我慢した。 『ボクにはボクなりの情報通がいるのさ』 ここで、ぶつりと電話は切れた。 数秒間、携帯画面を眺めたは、鼻で笑った。 「……嘘つきめ」 ヒソカは、クロロはを見つけると近づくだろうと踏んで、わざと情報を流してきたのだ。全てはクロロと戦いたいために、己の欲望の為に。 それの駒になる気もない。いっそヒソカがクロロを殺せば逃げ回らなくても済むだろうが、今度はヒソカの矛先が自分に向けられるのも厄介だった。 は本日二度目の溜息を吐くと、背後にあるベッドに携帯を放り投げ、椅子の背もたれに体重をかけた。ギィ。 「ようやく終わったか」 頭上から降って沸いた声は、久々のものだった。 ドッと汗が噴出し、条件反射で取った行動は、この場から離れることだ。が、飛んだはずの身体は、力強い両手に肩を掴まれて拒めない。 何もかも遅いと踏んだは、念は解除せず諦めたように問うた。 「いつからいたの」 「電話の最中だ。いつ、くしゃみが出るか冷や冷やした」 ならば、ヒソカの会話も筒抜けだろう。 噂の男は、背後で虎視眈々と出番を待ち構えていたのだ。 「早速だがオレとの約束を憶えているな?」 「あれは約束じゃなくて脅迫だよ」 は瞼を閉じて、当時の事を思い出していた。 ――これから語られるのは、クロロ=ルシルフルとの出会いと、少しの甘いお話。 § 「ジャック、除念師を探してくれ」 事務所も持たない、拠点も決めていない、ホテル暮らしのを見つけること自体が、実は困難だったりする。大体の客は誰かの伝手を貰ってに連絡を入れてくるのが多々だった。 それにより、依頼者と一々会わなくても成立するこの流れは、顔も広まらないことからにとって好都合だ。ダイヤは、指定されたロッカーや公園、仲介人を通して渡される。 このやり取りに慣れているにとって、昼下がりのコーヒーブレイク中に言われたこの台詞は衝撃的だった。 男は、太陽に似つかない黒服を身にまとい、額には包帯が巻かれていた。年齢は、よりも上だということ以外、見当がつかなかった。 壁沿いに連なるテーブルの端にはいた。男は、の隣に座り、唐突に言ってきたのである。 疎らにいる客たち。決して満員ではない店内のテーブルにわざわざ座ってきた様子に、初めはナンパかと思った。少しの羞恥と驚愕のため、知らない振りをした。 「なんのことですか?」 「君はジャックだと聞いたけど違うの?」 「……」 「隠しているようだけど君の情報はハンター専用サイトで確認できる」 「知ってる」 一般人には広く知られていないだけだが、ハンター専用サイトでを検索すればあっさりと見つかることは把握済みだ。しかし、ハンターは、ほんの一握りの存在。 一応ハンターライセンスも持っているだったが、これは諸刃の剣だと後々気づき、全ては後の祭り。けれども、それ以上に情報は手に入る。 ふう、と溜息をついたは手元にあるコーヒーを覗いた。少し考え、男の要求に答えた。 「あたしの知る限りの除念師は3人。けれども、除念するものによって人数はもっと絞られる。いったい、どういう内容の除念をしたいの?」 場所を移動して男は、淡々と情報を喋りだした。誓約と制約で出来たジャッジメントチェーンたるものを心臓に刺されたこと。内容は、今後念が使えない、仲間の接触も不可能のこと。相手は鎖使いだということ。 ここまで聞いて、ふとは疑問に思った。説明の中には、不要な情報まであることに。そして、鎖使いと聞いて一人思い立ったことを。 「…丁寧な説明を、どうもありがとう。でも、その中には不要なものが雑じってるね」 「ジャックと言っても情報が主な仕事なんだろう?」 浮上した憶測を一旦消し去り、両腕を組んでは悩んだ。今の内容を聞いて、色まで付けた情報を貰ったのはいいが、ご期待に添えるものはないと感じてしまったのである。 「そのプレゼントを頂いて言うのもなんだけど、あたしの知る中に、あなたを除念出来るほどの人はいないと思う」 「……やはりか」 「もう何年か早ければ一人紹介できたけど、残念ながらその人ボケちゃってもう除念は無理なのよ」 そこまで聞いて男は、顎に手を置いて何か考え始めた。やがて、の目線を合わせる。 酷く澱んだ双眸だと感じたのが、にとって実直な感想だった。 「じゃ依頼を替えよう。オレを東まで護衛してくれ」 「ん?」 東、と聞いて余りにもアバウトな目的地にの表情は面白く歪んだ。それでも、男の表情から冗談で言った雰囲気はない。 「待ち人が東にいるらしい。オレはここから東に向かわなければならない。さっきも言った通り、オレは今念が使えないからな。何かと不便なんだ」 「東ってどこまで?」 弧を描く口唇は未来を予期するように確信を抱いていた。 「――どこまでもだ」 |
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(20160721)