Moreover 2 years later...
男の一人暮らしにしては綺麗だな、とは思いながら、きょろきょろと室内を見渡した。その様子を見、足早との方へと向かった男の両手には、缶ビールが握られている。DICE ソファに身体を沈める。 ほらよ、と差し出された缶ビールにしかめっ面をしたは、渋々それを受け取ったがプルタブを開けるか悩んでいた。目前に座った男は早速ビールを咽喉に流し込んでいた。 「なんだ、ビール嫌いだったか?」 「車で来たから」 「最初から言えよ」 新発売の缶ビールの模様には、期間限定と書かれていた。そして目を引く色――それは昔良く意識していた、赤だった。 「用件が済んだらすぐ帰るからいいの」 の続く言葉は、確かに"フィンクス"と模った。彼は昔よりも更に体躯が逞しくなり、身長も伸びたようだった。ラフなジャージ姿に、金髪をバックにまとめている。そして相変わらず眉無しだ。二人は、6年越しの再会だった。 ここ数日フィンクスが寝床にしているアパートにはいる。言うまでもなく、本来の主は別室で事切れているだろう。元主は綺麗好きなのか棚等は、きっちりと整理整頓されていた。所々、フローリングが荒れているのはフィンクスのせいだ。 「久しぶりなんだ、ゆっくり話そうぜ」 「お生憎様、多忙の身なので」 「おう、テレビ見たぞ。別人だな」 「…修正してないからね」 眉間に皺を寄せ、不機嫌を露わにしたに、フィンクスは相変わらずだと思いつつ、咽喉で笑った。 「ま、いいわ…はい、これ。パクに渡しておいて」 「女は好きだな、こういうの」 はバッグからブランド名が書かれたプラスチックバッグを取り出すと、二人が隔てているテーブルの上に置いた。少し呆れ顔をしながら、フィンクスはそれを一望する。 中は、新作の口紅が隠れている。パクノダの分と、気を利かせてかマチに似合いそうな色も一本。クモにはもう一人女性がいることを知り、無難の色を更に一本詰めて、合計3本の口紅が入っていた。 直にパクノダに渡したいところだったが、互いに都合が合わないため、ヨークシンの隣町にいるフィンクスを経由することになったのだ。フィンクスがヨークシンまで行くと言ったが、目撃されると面倒なため、こうして深夜、隣町までが出向いたのであった。 「マチともう一人の女の子の分も入れておいたよ。付箋で名前を書いておいたから間違えることはないと思うわ」 「…相変わらずだな」 「なにが?」 今までの能率的な様子にフィンクスは懐かしむように言うと、は純粋無垢に問うた。返答を待っている。 「こういうところとか、だ」 具体的に言わない様子に怪訝しながらも、は立ち上がった。どうやら用件が済むと撤退するのは本気の言葉だったらしく、腕時計を見ている。 「帰るのか」 「もう夜中の2時なんだけど。お肌のゴールデンタイムが終わったのが残念」 「終わったなら諦めろ。話したいことは色々あるんだ」 「帰って眠らせて」 肩を鳴らし、バッグを持とうとすれば、いつの間にかフィンクスがそれを奪い取っていた。 「返して」 「お前は知らないと思うが」 ぷらぷらとバックを揺らしてフィンクスは愉快そうに続けた。 「お前たちの"秘密基地"をみんなに言いふらしたのはオレだ」 「えー…今更カミングアウト? 知ってたけど」 「…知ってたのかよ」 「だってクロロがみんなに言うはずな――」 そこで、は口を噤んだ。並べる予定もなかった名前、呼ぶことを躊躇う人物の名前。ふたりの卒業をしてから2年経っただろうか。もう、呼ぶことはないと思っていた。 クロロ――墓穴を掘った、そう思った。 「団長…いや、クロロは」 来た、と抉られた心臓が痛い。 まるで助け船かのように携帯の着信音が室内に反響した。やけに大きく聞こえるその音でフィンクスの言葉が途絶える。 どくどくと脈打つ心臓を知りつつも、は知らない振りをした。いつもの、ポーカーフェイスを持ってくると何食わぬ顔でフィンクスからバッグを奪い返し、携帯を取り出した。 画面には仕事仲間から連絡が入っていた。返事を打つその間、幾つかの予測を立てながら指を動かす。携帯を仕舞うと隣にいるフィンクスに、何も言うつもりはない素振りで偽りの笑みを作った。 慣れ親しんだ名前を口にしてしまえば言霊になり、真実になってしまいそうだった。言葉にすることを避けていた。ただ、の中で褪せてはいた。極力、思い出すようなことは避けていたのだ。 黒髪、本、星空、赤、そして――名前。 日常にある、本すら読むことを無意識に遠ざけるようにしている。それは けれども、あの日。出会ってしまった。 濃厚だった流星街での日々は記憶から離れることを知らず、稀にこうして気が緩むと飛び出してしまう。心地よい思い出は、今となっては辛苦を持っていた。 クロロを引きずっているのかと、は何度か自分を嘲笑った事がある。それは感情にしろ、何にしろ、どちらにしろも、煩わしいものであった。 取り残された感じがする。歩き出していない気がする。 置いてきぼりを食らった背後の軌跡は、きちんとした足跡などなかった。隣の道を見ると、綺麗な足跡があった。 結局のところは、根本までは納得できないでいるのだ。所詮は他者で別物で、個々にある存在としていることは理解できてはいるが、なぜ、どうして――と。 長老たちの会議に選出されなければ幻影旅団というものは生まれなかった。団長と言うクロロも誕生しなかった。幼馴染のクロロとして隣にいたはずだ。何もかもが我がままで身勝手な夢だ。綺麗とは言いがたい、の路。 クロロで言う”団長としての立場”がの中で”クロロ”と言うわけではない。一番ではない。 目指すものは幾つかあった。その幾つかの内の一つを選択して、今に至る。ただ、の中でしこりが大きかっただけのこと。引きずるほどの、大きな"しこり"がクロロの存在だった。 「ずっとお前を気にかけてた」 長い沈黙の後に出たものは、止めていた言葉の続きらしい。 「5年の間、ずっとだ」 フィンクスは険しい顔付きをし、の返事も待たぬ間に更に続ける。 「お前には、この意味が分からないはずがねェ」 「やめて。もういい」 話すらしないと勝手に決めている。幻影旅団の噂は、裏の世界では随分と大きな存在になっていた。既にA級首の犯罪者に、手の届かない場所までクロロは上り詰めた。 「昔話をするためにフィンクスと会ったわけじゃない」 これ以上のことを、クロロの存在をは己の世界から消した。あの頃のクロロで十分だと、現在のクロロを一切受け付けないようにする、一つのけじめ。 星空の下で、時間が止まってしまえと思ったほど美しい刹那の中で止めておく――これは、なりの決意だ。 「こうでもしねェとお前は来ないだろ」 「自分からこの役を買ったのね」 「…さぁ、どうだかな」 もしも、クロロの話題が来たら、どうするか。ここに来る前、予想は確かにあった。 やれる、自我を保てる――しかし、その自惚れは泥沼に沈んだのだった。 仕事では冷静に的確に、かつ効率的に自分すらも客観的に捉え、は今の地位を築いた。初め、メディアに出るつもりなどなかったが広告費を浮かせるため、周囲の提案もあり、自らが広告塔となってしまっただけだ。本来、芸能界などに興味はない。 ただ、コスメには興味があった。数多の出会いと別れを繰り返し、今では誰もが知るブランドになった。この達成感は流星街では味わえない、紛れもなくがみんなで掴み上げた功績だ。 光の中に立つと、当然に黒影が出来る。振り向けば、足下から伸びる影は徐々にくっきりとした輪郭を作り出し、良く知る幼馴染になる。それに向かって「消えて」と言えば、物哀しい表情のクロロがいた。幻想にしては、胸が痛い。 だがそれは、全て心のバランスを保つための選択肢。は、賢い生き方を選んだのだ。 クロロを見たくないというのは、本当だ。会えばもう以前のように幼馴染として見る自信はなく、恋と抱くには抵抗があった。 にとって、クロロは恋や愛やらで片付けたくはない。それを死守するためには、この方法が一番だと踏み至る。 人は、これを逃避という人もいるだろう。 恋と名付ければ、脆くなる。愛にするなら傷つけ合う。まだ、二十歳を超えたばかりで精神的にも大人になっていない。一時的な感情で片付けてしまうことは出来なかった。 純粋で、臆病で――これを違う言葉にするなら、大切な"宝物"だ。クロロとの想い出は、無二のものだった。崩したくはない、砂の城だった。 「――フィンクス、ありがとう」 の顔は、今日一番と言ってもいい、自然な笑みだった。 「あたしとクロロのこと、心配してくれたんだね」 フィンクスが何かを言う前に、人の気配を察した二人は同時に息を殺した。誰か来たのかとは頭を巡らすが、分かるはずもない。ここは他人の家だ。 というよりも、この部屋の主を殺してしまったのだから、まずくはないだろうか。この疑問は現在の家主へと向けられる。当のフィンクスは、「とりあえずお前に迷惑かからない程度に殺ってくる」と言いながら玄関に向かった。ドアが開く音が遠くですると、何やら話し声が聞こえてきた。 そこで、再度どこからか着信音が鳴った。自分の携帯かとは即座にバッグを漁ったが、無言の携帯が手元にあるだけだった。 ふいにフィンクスが座っていたソファへと目線を移すと、そこには着信を知らせる光を放ちながら携帯が震えている。持ち主を呼ぼうか考えていると、あちらから「出てくれ」と聞こえてきた。 まだ殺していないことから、知り合いのようだ。積もる話でもあるのか、携帯を任せられるのも困ったものだとは溜息を一つ。 しかし――知らない奴からの電話を取れと? もう一つ溜息を吐くとは仕方なく携帯を手に取った。登録していないようで、番号だけが表示されている。 適当に留守番電話の物真似でもしようと、は軽い調子で通話ボタンを押した。 ――ただ今、留守にしております。ピーッという発信音の後に… ――オレだ。用件を言おう ――今の聞いてた? ――伝えてくれるんだろう? ――オレオレ詐欺じゃないんだから 電波越しに伝わる声は、その後、確かにの名前を呼んだ。声の低さに何事かと思ったが、これが団長としてのクロロの声なのだろう。初め声を聞いたとき、はまさかと思ったが、そのまさかだ。名前を呼ぶ音は、優しい声色だった。 は、切ろうかと反射的に指が動いたが、その指を押し留める。もっと聞いていたいと思ってしまった。クロロの前では、理性などただの塵だ。 登録しておけよ、とはフィンクスを恨んだ。同時に、もしも登録していたのなら心の準備は出来ていただろうと思う裏で、名前が表示していたなら出なかっただろうな、と自分の行動をシュミレーションしてみる。 顔は見えないが、確か繋がっていた。割れたはずの、切れたはずのふたりが偶然を超え、ここに成り立っていた。 ――元気にしてるのか? ――それなりに、かな ――…ふ……曖昧だな ――そっちは元気そうね ――そうでもないよ。こう見えても多忙でね ――団長だもんね ――……なぁ ――なに ――約束、憶えてるか ――…どの約束? ――何でもいい ――そういうクロロは? ――オレは全部憶えてる ――…… ――39個、全部だ ――…そう ――その中で最も重要な約束をもう一度言おう ――いや、全然いらない ――聞けよ ――や、いらないって ――"隣にいて" じゃ、と残して電話は一方的に切れた。切れた、と言っても切ったのはの指だった。 続く言葉が、未だあったのかもしれない。けれども、はその向こう側を見るのも聞くのも嫌だった。矛盾していると自身、自覚している。 あれだけ明確に言われた末路を、もう覗きたくはない。決意が鈍行する。 だが、ふと思えば「じゃ」と言ったのだからクロロも同じく、それ以上を望んでいないのだろう。 お互い"隣に――"という約束を破ったんだ、とは苦笑した。結果的には、良かったと思う。けれども、やるせないこの思いは一体何なのか。 「?」 ふいに背後から呼ばれた声で我に返ると、は苦笑を薄くしてバッグを持つ。そして、フィンクスの方へと歩み寄ると、手に持っている携帯を渡した。 「クロロから来てたよ」 続いて「パクとマチによろしく」と言い、その場を去った。背後からもう一度、フィンクスが呼び止めたが、気づかない振りをしている。 今の自分の顔を他人に見せるのは嫌だった。涙など感傷的なものは流れていないが、今さっきまで流れていたクロロの声を振り払う事など出来ないことに、情けなさを感じたのだ。 「おい、待てって」 が玄関に着くと、そこにはフェイタンが無言で佇んでいた。フィンクスに呼ばれて立ち止まったわけではなく、久々に見た彼の姿に驚愕して両脚は止まってしまったのだった。 「フェイタン、久しぶり。全然、背伸びてないね」 「……殺されたいか」 が笑うと、青筋を立てたフェイタンの両拳が震えている。禁句だったと言いながらは、目線が変わらない彼を通り過ぎ、玄関のドアノブに手をかけた。 呼び止めたのは、フィンクスだ。 「」 「知ってるか? クロロはお前のことお前って言わないんだ」 「え? ちょっと何言ってるのかわかんない。フェイタン通訳よろしく」 「2人称の話ね」 「ああ、なるほど」 「待て、今の会話でオレがバカみてェじゃねーか」 が笑うと徐々に冷静を取り戻す。…「つまりは、そういうことだ」 「あたしをお前呼びしないのが何だって言うのよ」 「だから名前でしかお前を呼ばないんだよ! もう分かるだろ? 本当に女かよお前」 「フィンクスが乙女チク過ぎるね」 フェイタンの一言で爆笑したは、腹を抱えながら「じゃあね」と言い捨てアパートを後にした。ドア越しでは、二人の言い合いが始まっている。 車のキーをバッグから取り出したは、階段を降りる前に人の気配がないことを確認し、車中に乗り込む。運転席に座った途端、独り3人のやり取りを思い出し、もう一度笑う。しかし一瞬にして真顔になると、ハンドルを両手で握りしめ、泥水のように重い溜息を一つ。 決別したと、思っていた。 後日、クロロはテレビに映るを目にした。花々に埋もれ、眠り姫をイメージしているのだろうか、人気急上昇中の俳優によって目覚めさせられる。 持っていたリモコンを置き、両手を胸の辺りに組んでから、クロロは食い入るように画面を見据える。俳優がの手を取り、引き寄せる。抱きすくめられた途端、カメラの位置が俳優の背後に回る。画面にあるのは、男の後頭部と微笑むの面貌だ。 ――赤だ。 赤が似合うと言ったのはクロロだった。故に、クロロの中でといえば赤だ。素直で"赤"を身に付けることが多かった、あの美しき日々。 クロロと呼ぶ声、伸ばされた手、寄せられた身体――流星街を出ていくまで、この見知らぬ男が触れていたものは、確実にクロロが独占していた。春を謳うような彼女の心地良さをクロロは全て憶えている。 「似合うよ」 流行りのリップ色があるというのに、の口唇は、深紅の口紅とドレスが着飾れていた。 液晶画面の向こう側では、自慢の幼馴染が笑っている。 |
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(20171012)