3 years later...
セピア色にもなっていない、けれども古いそれには二人の男女が仲良く腕を絡ませ、並んで写っていた。TELL ME ここに、一枚の写真がある。 一見、恋人同士にも見えるだろうが、その答えはノーだ。腕を絡ませているからといって恋人同士ではない。この写真の真実は、女がふざけて絡めさせているに過ぎないのだ。 ふたりは幼馴染――幼馴染とは態の良い言葉だ。この一言で片付けられるのなら、なんと安易だったろう。 一緒だった。何をするのにも自然にふたり集まり、善悪問わず共犯のように色んなことを犯した。それが日常における些細な幸せでもあり、茶飯事でもある。その事実をふたりは気づかないまま過ごし、いつまでも続くかのように思えた。 決定的に終わりが決まったのは、が 夕刻、ヨークシンシティの街中で手に財布を握りしめながら颯爽と歩く女性は、Tシャツにジーンズといったラフな格好だが、どこか様になっている。しかし彼女が目指すはコンビニ。甘い物を口に入れたい食欲という本能のためだ。 今日、久方振りの休日のため、ゆっくりとしたい否、気だるいは、スイーツを調達するために歩いている。このような時、近くにコンビニがあるのはとても便利だ。 見慣れた店員の声を聞きながらビターチョコレートと最近お気に入りのチーズをカゴに詰め込み、店内をぐるりと回る。もう買うものは何もないと判断すると、は会計を済ませてコンビニを出た。 「奇遇だな」 温度差に、ぶるりと身体を震わせて間もなく、随分と懐かしい声が耳に伝わる。俯いていた顔を上げると、片手を上げて突っ立っているクロロがいた。 「なんだ、クロロじゃない」 「……ああ、久しぶり」 年月すらも感じさせないやり取りに、は肩の力を抜いてクロロに近づく。 「ワインでも飲むのか」 袋の中に入っている物を覗きながらクロロが言えば、は無言でそれを渡した。持ていうことだ。 特に文句もないまま、クロロが当然のように受け取ると、の横に並んだ。 「今日、久々の休日なの。夕飯の下ごしらえは終わったし、後は甘いものが欲しくなるかなーって思って」 チョコの気分、そう付け加え、次には「うち来る?」と聞くとクロロは「ああ」と頷いた。 コンビニに来たのだから用でもあったのだろう。しかし、クロロは何も盗らずに歩き出した。 は「どうぞ」と言ってクロロをリビングへ通し、持たせていた荷物をするりと奪い取った。そして、クロロの肩を軽く叩く。 礼を言わないのは、昔からだ。これは団員や他の幼馴染達も同じことだが、ふたりが皆と違うのは「ありがとう」の代わりに肩か腰を、ぽんと叩くことだった。 ふたりだけ、という秘密めいたものは他にも数多にあった。皆にはばれているが秘密基地もそう、ふたりだけの約束、勝手に名付けた星座。目配せ、合図――それ等は言葉で交わした約束でも何でもなく、自然に出来たものだった。 しかし年齢を重ねるにつれ、の中で優しさと女扱いのラインが見えくなる場面が何度かあった。クロロといる時に感じる、矛盾。それがいつ疎ましい感情になったのか、自身、憶えていない。 「あれ……クロロ、なんで包帯なんて巻いてるの? 怪我?」 開放感のあるリビングは一人暮らしにしては随分と広い。部屋の中央にあるソファに我が物で座ったクロロは、「これ?」と言って額に触れた。それから、どこか遠くを見据え、独り自虐的に笑う。 その間、は奥にあるキッチンに向けて歩いていた。エプロンを装着して冷蔵庫に入れてあったボールを取る。どうやら夕飯の準備に取り掛かるらしい。 やがてクロロは、ようやく開口する。「怪我じゃないよ」 「そうだな…オレがオレであるため、か」 「ふーん?」 特にそれ以上興味を示すことなく、は手際よく夕飯作りに没頭した。テレビの電源が付けられたのか、室内は雑音が響いている。 二人分にするため、副菜を即席で準備したダイニングテーブルには十分な夕食が並べられた。クロロにはビールを、は果実酒を。 アルコールが入れば当前に会話は盛り上り、倍になる。シャルが、パクが――ふたりにとって共通の友の名が頻繁に飛び交っている。だが、やはり会話を盛り上げたのは、ふたりきりの秘密についてだ。 「楽しかったね」は笑った。それから、また様々に話を繰り返して笑い合う。 : 区切りがついたのは、ダイニングチェアからソファへと移動し、クロロが口を噤んだ静寂から始まった。 ストッパーで遮られたドミノのように、クロロは動かない。は小首を傾げて止まった口を覗く。否、クロロを覗く。 「……なんで何も聞かない」 途端、その口唇から先ほどとは打って変わり、真剣な表情と声色が静寂を切り裂いた。同時に、ぶつんとテレビの電源が落とされる。 ああ、とは相槌と共に手に持っているアルコールを一口含む。むしろ、クロロの答えを飲み込んだと言ってもいい。それ以上、何も言わなかった。代わりに、クロロが口を開ける。 「連絡先も居所も知らないオレが目の前にいることを」 「…どうせシャルにでも調べさせたんでしょ」 「そういう意味じゃない」 そう、クロロが あの日から3年。消息不明になったの行方は誰も分からなかった。しかし数ヶ月ほど前、ようやく所在が知れたが、それは予想外の形だった。 ヨークシンシティのど真ん中が、ある人物のポスターや映像でジャックされた。陶器のような肌にビロードを沸騰させる美しい髪、手入れのされた身体、深紅に塗られた魅惑の口唇はコスメブランドの名前を呟く――聞きなれた声と面貌はだった。 クロロはパクノダから連絡が来るまで気づかなかったが、確かにネットで検索すれば3年振りの幼馴染が液晶画面に映し出されていたのである。 裏の世界を選択し、歩んだクロロに対しては真逆の表舞台に立った。誰にも知れることなく、相談することなく、彼女は自分の道を見つけ、堂々と歩いている。夕刻、実のところコンビニの帰り道で騒がれたのはこのせいだ。 旅団の初仕事が終わった祝いの場でお別れもした。何もかも、終わりを持っていた。だが、クロロの中で終わってはいなかったようだ。 ここ――の前にいる事がその証だ。 「…何か言えよ」 は、何も言わなかった。 それから気まずい沈黙が支配し、もうクロロはに突っ込みもせず、も頑として何も言わない。グラスが空になったら互いに酌んで、また喉を潤す。それを繰り返し行った。 先ほど消されたテレビの電源が付けられた。だ。この空気に耐えられなかったのか、リモコンボタンを押して番組選びでもしているようだ。 それか、ただの気晴らし行為だったのかもしれない。考えをまとめるものだったのかもしれない。 数分後、ブツリと音が鳴ると、また静寂が走る。テレビか、静寂かを選んだのは、だった。 「……正直ね、驚いたよ。まさか会いに来られるとは思わなかった」 言いながら手に持っていたリモコンを弄る。電源ボタンだけは避け、チャンネルを変える数字をは番号順に押していった。パチ、パチと定期的にの声と重なっている。 「もしかして…待ってた?」 パチリ。最後のボタンを押し終え、クロロに目線を合わせると、答えは簡単に降って来た。 「…待ってわけじゃない――会いたかっただけだ」 手首が熱い何かに捕まると、は後頭部を強打した。痛いと声を発する間もなく、狂気的な黒瑠璃の双眸に射貫かれている。押し倒されたと気づいたのは、クロロの背後が天井になっている風景からだ。 クロロは片手で器用に額の包帯を取った。そこに在ったのは3年の間に彫られた十字の刺青が刺してあった。思わずは魅入ってしまい、焦点はそこだけに絞られる。 「それ…」 「がいなくなった後に彫ったんだ。団員は13人になって、奴らには蜘蛛の刺青にしてある。あれからルールも増えた」 は、そっと額に触れてみる。見慣れない顔だと思ったのは当然だ。これはクロロというよりも、恐らく幻影旅団の団長としての証明なのだろう。 徐々に見下ろされている面貌が近づいてきた。黒髪が頬にあたる。 ――心臓が馬鹿みたいに鳴っていた。ここにいることが嬉しかった。 「……あたしを、どうしたいの」 「…………わからない」 「キス? セックス? あたしはその対象だった?」 「…どうだったかな」 「どっちにしたらいいのよ」 「選んでみろよ」 互いの吐息が拾える距離で、選択を迫っている割にはクロロ自身も咀嚼しているようだった。その中身をが必死に読もうとしても、それは動く口唇だけが辛うじてわかるだけだ。逆光でクロロの顔を読み取ることはできない。 は先ほどから全身に共鳴している心臓音に、胸中で舌打ちをする。平常心を保てなかった自分が心底憎いのだ。 クロロの事を恋人候補としては見ていない。無論、体だけの関係も望んだことは一度もない。ただ、同性でも孕む嫉妬と言うものが存在していたことは事実だ。 ふたりだけの秘密基地に他人が、しかもクロロが招き入れたことは悔しさと独占力で心が充満したこともある。読んでいない本について少しも判らない手前で、他人と話している空間が居た堪れなくなる。男女問わず、クロロの隣は自分なのにと変な嫉妬も沸き起こる。 だが、これらは全て恋とは関係のないものだった。同性同士でも見られる、ただの"取られた"というものに過ぎない。故に、答えを要求するクロロの行動は、にとって戸惑いそのものだ。 「クロロは、いつもずるい。 「ああ」 「何よ、それ。意見くらい言ってよ」 「ただ、会いたかったんだ」 「……ずるい、ずるい。クロロ、それずるいよ」 は瞼を閉じ、ただ"ずるい"を言い続けた。それを聞きながらクロロは時おり相槌を打つだけで、会話とも言えない言葉が広いリビングに木霊している。 ずるい ああ ずるい うん ずる、い
そうだな 何分、何秒経ったのかわからない。それからは疲れたといわんばかりに眠気を呼んだ。元々、アルコールも入っていた。連日の仕事で疲労もある。眠る状況ではないが、にとってどちらか答えを出すと言うのは、少なからず恐れがあった。 は、クロロが自分の前に現れた意味を、薄々勘付いていた。 黙していると、頭上からクロロが声をかけていたが、寝たふりをすると長いだろうと思っていた呪文が止まる。代わりに、首にくすぐったい感触が、胸にはクロロの頭の重みで苦しみを覚えた。会えなかった長さの、想いの重さだろうか。 どうやらクロロは耳を寄せての心臓音を聞いているようだった。思うほど、鼓動は早打っていない。 初めてだった。クロロがの音を聞くのは、初めてだ。 「……落ち着く、なんて…嘘だな」 どういった意味でクロロが、そう呟いたのか。は、ここで思考を止めたのだった。 しゅんしゅんと鳴る音での意識は、ゆっくりと浮上し始めた。コーヒーの香りと共に、誘われるようにして目を醒ますと、ソファで寝ていることに気づく。 上半身を起き上がらせ、キッチンの方を見ればクロロが勝手にコーヒーを淹れている姿があった。まるで夢のようだと、なぜかは思った。 気だるい足取りでそこに向かう途中、クロロがに気づく。 「おはよう。コーヒー、飲む?」 何事もなかったように、クロロが言うと、は「うん」と頷き、マグを取り出した。お気に入りのマグは、既にクロロが使っていた。 さっ、とマグを用意すれば、早速コーヒーが注ぎ込まれた。その間、はトレイを用意すると、二つのマグがその上に置かれる。連係プレーの手際の良さは、前々からだ。 ソファに身を沈めながら、ふたりは煎れたてのコーヒーを口に運ぶ。一口、二口と咽喉に流し込みながらニュースキャスターの声が双耳をすり抜ける。会話は、ほぼ無かった。 朝、ふたりの会話は少ない。というよりも、が目覚めるまで遅いと言うのがある。流星街にいた時から、このような事が日常茶飯事だったクロロにとって、気にする様子はないが、どこかきごちないのは仕方ないだろう。 ――飲み終えたマグを片付けていると、クロロは帰ることを告げた。は、シンクに2つのマグを置いて水を貯める。 そう、とようやくと返事をしたが、そっけないのは眠気だけでないことくらい、クロロは知っていた。 「じゃあな」 玄関先で言った言葉は、クロロらしい完結したものだった。 ドアが閉じられた後、はそこから動けなかった。何か考えているのか、ただ一点を見つめ呼吸しているのかも分からない。だが突然走り出し、大きな音を立てベランダに続く窓を開けた。今までの鈍い反応が嘘のように、俊敏な動きである。 その勢いのまま柵に貼り付き、身を乗り出したは、ちょうどエントランスから出たばかりの背中に向かって叫んだ。 「――クロロ…!」 呼ぶと、すぐに目的のものが表を向く。それを見て、は昨夜から無表情だった顔を笑顔に変えた。 クロロが欲しかった、あの笑顔だった。 「好きだよ。幼馴染として、大好きよ」 黒瑠璃と称した双眸は、驚愕に満ちていた。 やがてクロロは3年もの間、潜めていた笑顔でに返事をする。 「ああ、オレもだ」 これはふたりにとって、明らかに曖昧な関係を断ち切る卒業だった。 からすれば、離れる事は前々から覚悟が出来ていた。あの星空の日の、3年前に クロロからすればの様子をメディアを通じて知れたことは誤算だったが、どこか歓喜を覚えたのは事実だ。それから今日に至るまで、クモとして、団長としてい続けたが、ふと虚無感に苛まれた瞬間にクロロは居ても立ってもいられなくなり、シャルナークに電話をしていたのだった。 数日もすれば、あっさりシャルナークはの居所を掴んだ。送られてきた住所、ヨークシンを目指すため、飛行船に飛び込んだ。 ネオンがちりばめた夜景を上空から眺めながら、瞼を閉じても何をしてでも思い浮かぶのだった。 何十億といる人類の中で、ただ一人のに会いたかったのだ。昨晩、二度言った通り、ただに会いたかった。 ――これが恋というものなのか。 幼き頃から考えもしなかった事が、離別してから”会いたい”という動機に変化するは不思議なものだ。だからといって恋と断定するには、クロロの中で些か動機に不十分だった。恋ならばに男が出来たときにでも嫉妬が沸き起こっているだろう。 では、なぜ今頃このような思いに駆られたのか。 一生会えないわけではない。けれども、意思がなければ会えない。 飛行船を下り、空港内を歩きながらあれこれ模索している最中、僅かな光明を見つけた。手のひらよりも小さく、鈍い そして突然目の前に現れたら、は、どういった態度と表情を見せてくれるのか。期待を寄せ、目的のマンションを目指している途中、コンビニの前でそれは起きた。 『 あれから、ふたりが会った話は誰も聞かない。 「……懐かしいな」 ひらり、と本から飛び出してきた写真を、クロロは拾い上げた。仲良く並んでいるふたりの内の一人は、紛れもなく自分で、10代だった若き頃の姿に独り言を洩らす。 の近状や噂は、時折パクノダやマチから話を聞くものの、卒業からふたりが会うことはなかった。例え他の団員が呼び出したとしても、そこにクロロがいるとが顔を出すことは一度もなかった。 思えば、卒業と共に決別だったのかもしれない。そう思うと、クロロは写真を、また元の本に挟もうとしたが、放り投げたコートの中で携帯が鈍く泣き出した。 懐かしんでいた時間を邪魔されたのが嫌だったのか、クロロは溜息を吐きながら、携帯をコートから取り出した。表を向かせると、ディスプレイには登録していない番号が浮かんでいる。 「……」 この知らない番号がであればいい。そう願いながらも、クロロは鳴り続ける携帯を眺めている。 |
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(20161217)