ever free
ここは昔、秘密基地と呼んでいた。
 閉鎖的になっているそこは、塵山から少し離れた場所にあった。風除けもなく、ぽつん、とただ耐え忍ぶガラクタをかき集めたここは、10年近くも前にふたりが積みあげた思い出の在処だ。塵も思いも時間も、何もかも持っていない無垢なあの頃の全てが集約されている。
 クロロが旅団を結成してからーか月が経った今日、二つの影があった。ふたりは、秘密基地と呼んだ山積みのガラクタを、ただただ見下ろしながら他愛のない会話をしているようだ。時折、笑いと一際大きい声が響いている。
「ウボォーに言われたよ。なんでを旅団に誘わなかったんだって」
 強い北風が吹いた後、男がポツリと洩らした。
「知ってる。あたしもウボォーに詰め寄られたもの」
「そこは疑問に思っとけよ」
 ははっと空笑いをしながら言っている男に、女は男とは違う愉快そうな笑声をひとつ。一通り笑い、はあ、と白い息を吐いて男を見た。目が合うと、極上の笑顔で男に伝える。
「それこそ愚問よ」


 ――
 叫びに近しい声では我に返った。俯いていた顔を反射的に上げるとフィンクスが、もう一度の名を呼んでいる。二度目に聞こえた声には、疑問符がついていた。
 少し遅れて、が「何よ」と聞き返すと、フィンクスは進んでいない飲料を促す。
 手に持っている感覚を取り戻し、は、ふと両手に持っている汗のかいた缶を見た。手の熱のせいで温くなっているようだ。
 その様子を見、は咽喉を鳴らして一気に飲み干すと、缶を床に置いた。そして「風、浴びてくる」と言い、背から飛び交う呼声を無視し、その場を後にした。

 が今いる場所は流星街の一角にある旅団のアジトだ。旅団として初めての仕事を終えた飲み会になぜかも参加している。無論、以外のメンバーは幻影旅団の面々だ。
 本来、旅団ではないは無関係のはずが、冒頭でが観ていたフラッシュバックの人物――クロロが呼び出したのである。
 クロロの意図は分からない。ただ、そこにいる違和感はなかった。幼馴染と言ってしまえばそれまでだが、それは他のメンバーも同様。
 が寝泊まりしている建物に突然押し寄せ、手を引っ張られ、会場であるアジトに連れ込まれた。そして、今は廊下で一人、風と空気と同化していた。
 なぜ数日前の出来事を今、思い出したのか。思いながら、冷たくなっていく指先を反対の手のひらで包む。なんで? と独り言を言えば隣から声がした。
「なにが?」
 は声の主がすぐに判ったのか、驚きもせず返事を返す。「別に?」
「冷たい反応だな…それより一緒に喜べよ」
「盗んだ物があたしのものになるわけじゃないもの」
 全くの正論だと思いつつも、クロロは仕方ないと言わんばかりに溜息を吐いた。そこ等に溢れている女性と同じ反応ではないだろうとも感じていた。これがだと。
「嘘。初仕事、うまくいったみたいで良かった。みんな怪我もしてないみたいだし」
 ああ、と返事をし、少し笑いを込めたクロロは、「ほら」と言って持っていた缶ビールを渡した。は、ん、と返事にもならない声を出して受け取り、視線を落とす。
 今の今までクロロが飲んでいたからか既にプルタブは開けられ、呑口には炭酸特有の綺麗な丸が出来ていた。今さら間接キスが恥ずかしいわけがない。この流星街でアルコールの年齢規定もあるわけではない。
 一口飲むと、炭酸と苦味が舌を刺激した。アルコールはあまり摂取しないためか、ビール独特の味はもう当分いいかとは思った。
 唐突な問いだった。「なぁ、
「ヒュドラ、覚えてる?」
 質問のアンサーは、脳内の引き出しに眠っていた。ふたり幼き日、破り捨てられたファンタジー小説に出てくる怪物の名はヒュドラだった。
 は空想の怪物、そして中途半端に終わってしまった小説の内容を今でも覚えている。その小説は秘密基地の奥底に眠っていることも。
「首が2つある竜だっけ?」
「そう、それ」
 後に本来のヒュドラは首が9つだと知り、ふたりで衝撃を受けた幼き日――本当に些細なことでも冒険であり、知識であり、経験だった。
「旅団にを入れたらヒュドラになるって言ったら団員は目を丸くしてたよ。たぶんヒュドラの意味を知らないだけなんだろうけど」
「……」
は頼もしいよ。頭も切れるし、回転も速い。時々オレが嫉妬するくらいにな」
 ちらりと横目で視線を向けるクロロに対し、もまた視線を送る。目が合った瞬間、はにっこりと笑うと、普段よりも1オクターブ高い声で返した。
「やーん嬉しくて胸ドッキドキ! 、なんて答えよう?!」
「茶化すなよ。真面目な話をしてるんだ」
 は「もう!」と言ってまだ演技を続けている。何度かそのやり取りをすると、いつもの声に戻し始めた。
「あーもーダメ。疲れた」
「……ふう、こっちの台詞だ」
 前髪をかき分けたクロロは呆れた様子で答えていた。
 定期的に並べられている廊下の割れた窓から、お構いなしに風が潜り込んできていた。の指先の感覚は、既にない。それを察したのかクロロは羽織っていた上着を投げてきた。肩に優しくかけたのではなく、文字通り投げつけてきたのである。
 は無言で先ほどの缶ビールをクロロに持たせると素直に上着を着た。今の今までクロロが着ていたせいか、ぬくもりがある。

「司令塔は二人もいらない」冷淡な声色だ。
 からすれば、まるで自分はいらないと言われている気分だった。

「それに、オレはを手足にする自信はないよ」
 予想外の言葉がの双耳を貫いた。あのクロロから、この隣にいる幼馴染から自信がないという弱音染みた言葉を聞くとは思いもよらなかったのだ。
 ビルの屋上から背を押されたような衝撃――敗北感と決定的に切り離された心は、続いた台詞で、まるで生きた風船のように再浮上した。
 この自信に満ち溢れたものを模ったような幼馴染は、いつだって己の頭脳と判断に100%と言えるほどの自信を持っていた。時折、弱い部分を垣間見せるときはあるが、大体は無言のまま寄り添い、空気だけで互いを癒してきた。言葉にすることは決してなかったのだ。
 それがどうだ。聞きなれた声、姿形の良い口唇から確かに告げた。自信がないことは一体どんな意味で取ればいいのか、は幾つかの選択肢を脳内に並べた。
「それは、あたしがクロロの言うことを聞かないから? それとも――…」
 もう一度「それとも」と呟いたが、がその後を紡ぐことはなかった。
「ああ、その通り」
 何も言わずとも、互いに分かり合ってしまっている。
 は胸中で囁いた台詞を"自惚れ"と名付けた。そう、あれは自惚れであり、正解でもあった。
「――だから、手足にしたくないんだ」
 は、零れ落ちそうなほど双眸を見開いてクロロを見上げる。口許を撓らせ、哀愁を纏う横顔は、夜風に身を任せている。揺れる黒髪が暗闇に溶けてしまいそうだった。
「なにそれ。それを言って、あたしになんて言わせたいの」
「何もいらないよ。ただ聞いてくれさえいればそれでいいんだ」
 は真っ先に悪態を吐きたい衝動に駆られたが、冷えた腹の奥底では「やめろ」と冷静な判断を下す客観的な己がいた。試されているように感じたのだ。
 旅団を結成してからクロロは変わった。その幾つかの内の一つは今のように、ストレートな言葉を吐くようになった。弱音もこれに該当する――まるでを繋ぎとめるように。
「……ねぇ、なんで今日あたしを呼んだの? あたしは団員じゃないから、もう部外者だよ」
「部外者? とんだピント外れだな。用があって呼んで、何が悪い。はオレの……――」
 ここまで言って、次に二の次を告げられないのはクロロだった。クロロにとってとは幼馴染であり、戦友であり、常なる隣人だった。これ等を一つにまとめて言葉にすると、一体何者になるのだろう。
 クロロは黙したまま、顎に手を置いて俯いた。彼の中で数多の言葉が朦朧と浮かんでは消え、新たなる文字が生まれるが、どれもこれも、また何もかもが違って思えた。
 そこに、左胸に寄りかかる重みがあった。思案から現実に急浮上したクロロが見下ろすと、が胸に耳を寄せてクロロの心臓音を聞いていた。幼い頃、よくがしていた行動の一つだった。
「…心臓の音を聞かせると落ち着くんだって教えてくれたのは、だったな」
「で、あたしがよくクロロのを聞いてた」
「ああ、そうだった」
「クロロの音、一定してきたからつまらなくなってやめたの」
 密着している2つの体の中心部から仄かに熱が生まれ始めた。クロロの服にしがみ付いた両手は小さく拳を作っている。
 すう、と深呼吸したは何を求めてか、更に更に耳を左胸に押し付けた。トクン、トクン――定期的に鳴る心臓音はただ生きていることだけを教えてくれた。そう、ただ生きているだけを。
「あたしは、昔の音の方が好きだった」
「…」
「……そういえば、あたしねクロロ。流星街を出ようと思ってる」
 クロロを離し、見上げたが言えば、静かに見下ろされている面貌の目許が僅かに動く。些細なその反応に、が小さく笑う。
「もう、流星街ここに戻るつもりはない」
 決別を決めた、あの星空の下では心に決めていた。言うか、言わないか、苦悩していたものだった。
 あの日、決別を決めた日。未だにクロロがを呼んだ理由は分からず仕舞いだが、は、それでいい気がした。
「だから、どちらにしろ手足には、なれなかったのよ」
「じゃ何になるんだ?」
 二つの白い手が暗闇に浮かび上がる。それは、ゆっくりとクロロに向けて伸び、冷たい頬を包み込んだ。幼い頃は身長差はなかったはずだというのに、今は爪先立ちでしか届かない面貌は、作り物のように綺麗だ。
 は、何度か瞬きをする。彼女がカメラだったのなら、この動作で確実にシャッター音が鳴っている。
 この刹那を、切り取ってしまいたかったのだ。
「あたしは、あたしになるために」(あなたのように)
 クロロからの返答はなかった。互いに答えを望んでいる訳ではない。けれども、どこか寂しいと思うのは、やはり人間だからか。
 心の片隅で、ふたり同時にそんなことを思った。

 寒いね、とが言った。何分、何十分いたのだろう。確かに、クロロの手はいつの間にか冷たさだけを持っている。気づかなかったのは酒のせいか、会話のおかげか。
 ぼんやりと考えながらクロロが相槌を打つと、が部屋に戻ろうと踵を返した。しかし、すぐにクロロの方へ振り向く。
「見送りなんて来ないでよね」
 それは、どうしてか"あたし達には似合わないでしょ?"と言っているように見えた。否、感じた。
「…ああ、わかった」
 眉間にしわを寄せてクロロが言うと、は咽喉の奥で笑う。
「それこそ愚問だったね」
 この会話は、内容は違えど数日前、秘密基地でクロロに言い放ったものと同じだった。その事に、ふたりは気づいているのだろうか。

 ふたりが部屋に戻ろうとすると、ベッタリとドアに張り付いている気配があった。ふたりは薄々感付いていたものの放置していた。
 どうやら団員達はとクロロの今まで観察していたらしい。突然、ふたりが振り向いたものだから、ドアの傍から体の一部がはみ出している。
「みんな、こそこそ何見てるの」
「あはは。いや、ちょっと話しかける雰囲気じゃなくてさ」
 観念したのか、シャルナークだけがひょっこり現れて、そう言い訳をした。それから、まるで誤魔化すかのように手に持っていた機械を掲げる。
「これ、修理できたから見せようと思って」
 シャルナークの手には、数日前に子供たちが塵山から拾ってきたポラロイドがあった。一昔前に流行った、いわゆるカメラである。シャッターを切れば、すぐに写真が出、数分もすると写したものが浮き上がってくる代物だ。
 今のように鮮明とした写真にはならないが、興味本位でシャルナークは直してみたのである。
「せっかくだから撮ろうか」
 シャルナークの提案に、面白いように互いを見る。目が合うと、おそろいの顔をした。
「なんで」
「そうよ」
 ふたりで抗議すると隠れていた団員たちが、良いじゃないかなどのブーイングが響く。どうやらカメラに収めていないのは、ふたりだけらしい。
 は、仕方ないと言わんばかりに溜息を吐くと、次におどけた声を出した。
「ダーリン、どうやって撮る?」
 そう言いながらクロロの腕に自分のを絡ませて微笑すると、周りからヒューヒューと口笛とからかいの声が飛ぶ。ピースサインをしたを見て、クロロも開き直ったように声を上げた。
「ふ…そうだな、ハグでもするか」
「あ、それは断る」
「…」
 そうしていると、シャルナークが「こっち」と声をかけてきた。ふ、とふたりでカメラを見れば、すぐにフラッシュが目に焼きつく。クロロが視界の違和感に瞬きをすると、腕に絡んでいた感覚がなくなっていた。
 寂しさを覚えたのは熱のせいだと、ふたり言い聞かせた。

 翌日、は流星街を後にした。暫く歩き、徐に振り向く。小さくなってゆく塵山の風景。もう二度と見ることはないだろう流星街こきょうを目に映す。
 改めて、クロロがいない違和感を覚えたのだった。

 が去った後、渡された写真にクロロは一瞬、見惚れたが目に焼き付けることなく、封印するかのように読まない本に挟めた。山積みになっている本に混ぜ、色褪せないよう、暗闇に閉じる。
「――、オレも行こう」
 それは、失いと共に新たな船出。後悔が押し寄せる海での、航海だった。


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(20161107)

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