――更に更にしてやられた。
 休日の午後、わたしは一人悪態を吐く。


 結局あの後、4人で意気投合したわたしたちは随分と長居してしまい、帰ってきたのは11時になろうとしていた時間帯だった。折角借りた本は読めなかったものの翌日は休日のため、さっさと寝てしまったのが昨日。
 翌日の今日、朝食とも昼食とも取れるご飯を食べた後、早速クロロから借りた本に手をつけた。それが数時間ほど前。
 悪態を吐いたのは5冊目を読み終わった後のことだ。
「してやられた…!」
 過去最高に気になる展開で5冊目は終了し、わたしは悪態を吐いたのだった。
 ここまで予想して5冊までと指定してきたのなら、クロロは随分と悪質なトラップを仕掛けたものだ。キーを渡したところから数えるならこれで三重トラップである。
 わたしもわたしでバカ素直に5冊借りたのがいけないのもある。もっと注意深く、欲深くなればいいものの、しかしこれがわたしだ。
 そういえば、前にクロロが言っていた。素直なところも、お前の美徳だと。
「……」
 いやいや、そんなことはどうでもいい。わたしは、とにかくこの続きが読みたい。
 携帯のカレンダーを覗いた。クロロが帰ってくるのはまだ早い。二週間はかかると言っていたので、今は出発してから10日過ぎたばかりだ。
 電話帳を開く。クロロという文字を見つけ、案外あっさりとタップして通話ボタンを押した。
 耳元でコールが鳴る。もしかしたら、クロロは仕事の真っ最中かもしれない。移動中かもしれない。3度目のコールで切ろう、そう思った。
『――か。どうした、文句なら帰国してから聞くが』
 2度目のコールが終わってすぐに、待ち人は出た。第一声は、わたしが言いたいことの返答に他ならなかった。
 やはり、予感は的中。この男はこんなに良い場面のところまで貸し出ししたのだ。
「…せめて10冊までって書いて欲しかった」
『ふ…気になるだろう?』
「酷い! 気になる! 面白い!」
 くく、と咽喉で笑う声がする。
 そこで、わたしは我に返ると、さっきまであった不安を疑問として問うた。
「ごめん、仕事中だった?」
『いや、移動中だ。今日は休み?』
「うん。久しぶりに家でゆっくりと」
『うちに来ても部屋から出ないだろ』
「クロロのせいでインドアになったかも」
 他愛ない話は続く。わたしたちはふたりで会うときもこうした会話をしているが、電話ではなかった。むしろ電話で会話をするという行動をふたり同時にしなかった。わたしから初めてクロロに電話をしたのだ。
 メールでの連絡も日時のやり取りばかりで、もはや業務だ。はじまりが不確かなわたしたちは、中身もだと改めて気づく。
『――そろそろ切るよ』
「うん、わかった。帰ったらたっぷり文句言うからね?」
『了解。寝ているときにでも喋ってくれ』
「子守歌か」
 わたしはひとつ笑い、それから「それじゃ、気をつけて」と言って通話終了のボタンを押そうとした。『そうだ』
『キーを渡して良かったろ?』
 それは一体どういう意味で言ったのか、わたしにはわからない。
 もう一度、携帯を耳に当てる。
「どういう意味?」
『じゃ、またな』
 一方的に電話が切られると、わたしは訝しげに画面を見つめた。やがて待機画面に切り替わり、夕刻を過ぎた時間帯が示される。
 一度伸びをすると、夕飯の準備に取りかかった。それからの予定は食べた後でいい。
 :
 夕飯を食べ終え、重いお腹を休ませてから食器を洗うと出かける準備をした。家着にも外出にも適したラフな格好をチョイス。よくコンビニに行く格好でもあり、ブラトップ様々だ。
 顔は、もちろんすっぴん。空は、もう薄暗く街頭がぽつりぽつりと役目を果たしているのが証拠だった。帽子もかぶり、それらに紛れてしまおう。
 財布と携帯と、5冊の本を持って家を出た。目指すはクロロの仮宿である。

 コンビニに寄ってビールとカクテルを買った。ビールは数日後、帰国するクロロへ。それをクロロ宅の冷蔵庫に入れるため、もう一つは今日わたしのお腹に入るためだ。
 仮宿は街中の少し端の方にある。ラフな格好のわたしは羞恥もなく、薄暗さもあってか軽快に到着した。ドアの前でカードキーを滑らせ、中に入ると外界よりも深い暗黙が横たわっていた。
「…お邪魔します」
 言って、玄関のライトを付ける。シャルと訪れた時のまま、時間が止まったままの部屋が当然ある。
 わたしは、まずビニール袋にぶら下がっている中身を冷蔵庫に入れた。それから部屋全域にあるダウンライトを点け、本を元の場所に戻した。綺麗に整列された中から律儀に5冊抜き、入れてきた紙袋にそれを入れようとして手が止まる。
「ちょっと読もうかな」
 独り言は沈黙に吸い込まれていく。
 わたしは手に持った5冊の本と共に定位置となりつつあるソファに向かった。ガラステーブルに本を置いて、続きの本を取る。主がいないことを良いことにソファに寝そべった。
 本の続きをめくる。欠伸がこみ上げてきたのは、この心地よいソファと腹具合のせいだ。

 ――パタン、と何かが閉められる音で、わたしはいつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
 が、滲む世界が眩しくて横向きになり背を丸めてもう一度、目を瞑る。
「起きた方がいいんじゃないか」
 わたしの眠りは、ここで2度目の妨げを受けた。いるはずもない人物の声が幻聴として聞こえてくる。
 ここにはいない部屋の主は、今頃お仕事の真っ最中なはずだ。国内にはいないはずだ。
 知らない振りをして、いやいやと首を振ると今度は、さっきよりも確かな声が降ってくる。
「もう10時過ぎてる。寝れなくなるぞ」
 重い瞼を押し上げて横目で声をした方向に目玉を動かした。滲んだ視界が徐々に鮮明となると、ぼやけた輪郭から端正な面貌が出来上がった。
「おはよう」
 クロロがいる。
「なん……で…?!」
 わたしの目は自分でも認識できるほど見開き、貼り付いた舌のせいで叫ぶには不確定な声は擦れていた。
「不思議なことを言うものだな。ここはオレの仮宿だ」
 ごもっともである。
 クロロはソファの背もたれに腰掛けて、わたしを覗いていた。少し窮屈な距離に両手を伸ばしたわたしは、クロロを押しながら起き上がった。
「だって二週間かかるって言ってたじゃない?」
「昨日、電話で早めに終わりそうだと言ったはずだけど」
 昨日の会話を思い出して、そう言えばそんなことも言っていたような気がするが、これは早すぎじゃないだろうか。
 同時に、わたしはここで寝こけていた事実に恥ずかしくもなっていた。
「そ、そうだけど」
「ソファに垂らすなよ」
 なんのことかと思えば、クロロは人差し指で自分の口端を指していた。首を傾げると、バカにしたような笑いを零してからクロロはキッチンに向かった。
 わたしはその隙に口許に手を添えてみる。よだれだ。
 確かに付いていたねっちゃりのよだれに驚いて、近場にあったティッシュでふき取った。寝顔を見られたよりも、断然こっちの方が恥ずかしかった。
「何か飲む?」
「……水」
「OK」
 どうにか冷静を呼び、深呼吸。ふと体にブランケットがかかっていた。まさかクロロがしたのか――と考えて見て半分くらいないなとも思った。
 わたしはブランケットを畳むとキッチンに向かった。ブラトップをしていて本当に良かったと思う。
「誰か来てた?」
「…なんで?」
「辻褄が合わないな、と思って」
 わたしの言う辻褄とは、一度目に起きたときのドアが閉まる音だ。
 この部屋はワンルームでドアはトイレ&バスルームに続くドアと玄関の2つしかない。その音が閉じられてすぐにクロロの声が聞こえてきたということは、他の誰かが恐らく玄関から帰った時の音だろう。
 そしてブランケットの半分の可能性は、その誰かがかけたことになる。
「パクノダが来てたよ。お前にブランケットをかけたのもパク――ああ、パクノダはオレの秘書だ。一緒に出張していた」
「…やっぱり。クロロがするはずないもの」
「どういう意味だ?」
「明日、パクノダさんにありがとうって伝えてくれる?」
 クロロは仕方ないといった感じでため息を吐き、握り締めていた缶ビールのプルタブに指を添えた。間もなくして爽快な音が聞こえる。
 わたしは、テーブルに置かれていたペリエの壜を取り、コップを借りた。注いで振り向けば、わたしが買ってきた缶ビール片手にクロロが待ち構えている。
「オレに何か言うことがあるだろ」
「あ、お邪魔します」
「違う、それじゃない」
「乾杯」
「……それも違う」
 少し考え、ようやくクロロが言われたい言葉に気が付いて苦笑した。コップをクロロの缶ビールにぶつけて笑顔で言う。
「おかえり、クロロ。お疲れさま」
「ああ、お前も留守番ご苦労」
 少し皮肉交じりなのは、気にしないことにする。
 わたしの言葉に満足したのか、クロロは一気にビールを呷った。帰りの機内で飲んできただろうに、本当にこの人はビールを旨そうに飲む。
 その横で、わたしもコップに口付けた。ひんやりとした水が身体に一本の線を作る。
「そういえば、土産があるんだ」
「え?」
 缶をキッチンに置いて、クロロは玄関に向かった。そこにはスーツケースが無造作に置かれていて、幾つかの袋も積み上げられていた。
 その中の一つを取ると、クロロはわたしに向けて差し出してくる。
「本当に? 悪いよ」
「いいから、開けて見ろよ」
 有無を言わせぬ言葉に、おずおずと手を伸ばして袋を受け取った。中を覗くと、綺麗にラッピングされた箱がある。
 手を突っ込んで出して見ると赤いリボンをあしらった、随分と可愛らしい箱が姿を見せた。
 プレゼント仕様に驚いてクロロに目線を送れば、手のひらで次を急かされる。早く開けろということだろう。
 テーブルに置いて、リボンを抜き取った。包装された紙も丁寧に解けば、中から出てきたのはダンボールの箱。それすらも開けて中身を取り出すと、わたしは驚愕した。
「これって…」
 いや、待て違うと即座に思いとどまる。
「似たような物を探してみた。…ま、主に走り回ったのはパクだけど」
 目の前にあるのは、わたしが欲しいと言っていたステンドグラスのランプだった。駅前の店に飾られていたあれは、いつしかなくなって、それからずっと忘れていた。
 けれども、それよりも豪華なランプがこれだ。本物か偽者か見分けが付かない宝石が縁取りされ、ランプの笠部分にスワロフスキーだろうか。それらがぶら下がっている。
「……率直に言ってもいい?」
「ああ」
「ありがとう。でも、ごめん貰えない」
 こんなにも豪華なものをあっさり貰うほど、わたしは図太くない。
 クロロは面食らっているのか、無表情のままだ。わたしがなぜ断ったのか、まったく理解不能なんだろう。
「欲しいと言っていたのはお前だ」
「そうだけど、貰えないよ。これ絶対高いし、これに見合うお返しなんて出来ない」
「もっと利口に生きろと言ったはずだが」
「あの時の断り方と今は少し違うの」
「訳がわからない。お前は素直なのかそうでないのかも…わからないな」
 そう言って、やはりクロロは考え込んでしまった。
 ――わたしは、母からの教えできつく躾けられていたものが幾つか存在する。
 貰い物は、きちんとお返しをしなさい。常に挨拶を出来るようになさい。爪先立ちではなく、自分に見合った人と一緒になりなさい。
 などなど、色々とある。特に最後のはわたしの人生に関わることだからと小さい頃から言われていた。
 長い沈黙を破って出たものは、逃避を許さない問いだった。
「どうしたら受け取る?」
「どうしたらって…」
「お前がタダで受け取らないのは理解できた。これに見合うお返しをお前がすればいいと言うことだな?」
 この人は、こうと決めたらわたしに逃げ場など与えない。冷徹で残酷に優しい人だ。
「どうすればいい? いや、その見返りはオレが決めるべきか」
 撓る口唇は綺麗な弧を描き、クロロは楽しそうに目を細めた。
 嫌な予感しかしなかった。
「考えておこう」
「う、受け取るって言ってない」
「決めたら連絡するよ」
 反則に狡猾を詰め込んだ話にわたしは怒りを通り越して呆れてしまった。
 こうなったクロロは止めようがない。誰か助けてと言ったところで、世界中を探しても、そんな人はいないのだ。わたしの味方など、どこにも。
「今日はもう疲れたから、そろそろ帰れよ」
「(勝手に決めた…!)なにその用済みみたいな言い方」
「そうだ。もう一度ありがとうが聞きたい」
「……あ、アリガトー!!」
 何とも不本意な「ありがとう」だ。
「ああ、こっちもビールありがとう」

「まっすぐ帰れよ。おやすみ」
 ――パタン。
 追い出される形で、わたしはマンションを出た。何が起こったのか、困惑しながらドアの前で呆然と佇んでいると、もう一度ドアが開けられ、紙袋を二つ渡される。「忘れ物だ」
「それと、危ないからタクシーを使えばいい。うちの会社に付けても構わない」
 言いたいことだけ言われ、再度ドアは無常に閉められた。袋の中には、漫画本が5冊。もう一つの袋には、案の定お土産のランプ。後者は、そこそこ重い。
 クロロが疲れたとか、半分嘘だ。あの男は、今後をどうするか頭で練り上げているに違いない。

 エントランスを出て、大通りでタクシーを拾った。車では、あっという間に着く自宅が遠く思えた。
 車内で、わたしはようやく気がつく。スッピン見られた。

ドアは無常に閉められた

(クロロの三重トラップを考えるのが楽しかったです!)
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(20170220)

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