お皿にローストサンドとマリネ。魚のムニエルも美味しそうだし、一口ステーキも捨てがたい。
 目移りするほどテーブルには数々の料理が並べられていた。わたしは、それをツンとすました表情で盛り付けている。顔はポーカーフェイスで取り繕っているが、腹の中は食べることしか考えていない。
「オレにも盛れよ」
「今盛ってますから」
「大盛りでいいぜ」
「マナー違反です」
 すましたのが全て台無しだ。隣にいるジンさんは、わたしに指示しながら手で料理を摘まもうとしている。それを諫めるものの、言うことを聞きそうにない。
「ジンさん、行儀が悪いですよ。チードルさんに告げ口しますからね」
「いくらでも言え」
 チードルさんの名前を出したが徒労に終わる。本当に、この人を止める術はない。会長に言ったところでも無理だろう。
「……上司ってなんだろう」
 独り言を呟きながら、ジンさん用の皿にリクエストであった肉を多めに盛り付ける。それを渡すと、ジンさんは「おう」と言って受け取った。次はわたしが食べる用だ。
「良い上司だろうが」
 独り言の返答のようだったが、わたしは聞こえない振りをした。
 そういえば、クロロは何をしているのだろう。


 ジンさんと挨拶回りも終わり、わたしたちはお互いにお腹が空いていたため、こうして料理をご馳走になっている。他のセレブの皆さんは食べ慣れているのか、料理を食べるというよりアルコールを飲んでいる人の方が圧倒的に多かった。
 わたしといえば挨拶もさることながら、会話の最中こうして盛り付けては「いかがですか」なんて言いながらほぼ接客モードでもあった。カフェで慣れているため、特に苦ではないのが幸いした。
 冒頭の通りジンさんの分は既に盛り付け完了のため、ラストは自分用だ。洒落たトングと新しいお皿を取り、盛り付けは少し控えめにバランスよく。アルコールも楽しみたいためだった。最後は店のスイーツで〆ようと思っている。
 フォークを持ってマリネを一口。横からジンさんがわたしの肉を奪っていた。もう突っ込むことに疲れてきたので気にせず譲る。
 会場の壁際で、雑談を交えながらわたしたちは料理とアルコールを胃に入れていた。ジンさんとは新卒のときから下に付き、鍛えられてきたので特に緊張することなく居る。
「そーいや…お前の隣にいたやつ、知り合いか」
「いつの隣ですか」
「会場に着いて早々にオレがいなかった時あっただろ?」
「覚えてませんね」
 嘘を吐いた。咄嗟の嘘だった。ジンさんが指摘しているのは、クロロだというのは容易に理解したが、どうしてかわたしは素直に友人とは言えなかった。
 というのも、元々プライベートを根掘り葉掘り聞かれたくはない。それにこの人のことだ。ビジネスに使えると思えばクロロに近づくだろう。それが、とても嫌だった。
「――クロロ=ルシルフル、26歳。主に輸入物を扱っている会社の社長だ。手腕もいいが何より頭が切れる。それにあの顔、女が放っておけねーな。まぁ、顔だけでこの業界にゃ生きてけねーけどな」
「知ってるんじゃないですか!」
「まぁな」
 しれっと肯定し、そして鎌をかけたこの上司はご覧の通り曲者だ。
 ジンさんがクロロを知っていた事実もそうだが、彼がここまで名前の知れた人物ということに、わたしは驚愕と動揺を隠しきれずにいた。思えば、ふたりでバーにいる時、全員で無いにしろ威圧的な態度の人物に話しかけられた場面があった。それは別世界そのものだった。
 ジンさんの顔が広すぎるというのもある。この人は、どの業界にも知り合いがいる。
「見ろよ。この会場にあるほぼ全ての家具は奴が輸入したもんばっかだ。おそらく、相当気に入られてんだろうな、あの女社長に」
 なるほど、それがクロロがいる理由だと納得した。会場を見渡せば、アンティークものや少し変わった花瓶、椅子、などなど雰囲気が逸脱していると、わたしも感じてはいた。随分と拘り、この会場をコーディネートしたのだろう。
 けれども、羽振りはいいなとは思ったことはあるがクロロからは金持ちという雰囲気はなかった。
「で、お前は?」
「……彼とは友人です」
「その調子じゃ相手にされねーか」
 ふん、と鼻を鳴らしてジンさんは笑った。小馬鹿にされている気がするが、この人にいちいち怒っては身が持たないため聞かない振りをする。
 手元にあるワインを飲んでいると、ジンさんは思いついたような声を上げた。これはわざとだ。
「この後、ダンスタイムがあるらしいじゃねーか。誘ってみろよ」
「え? 嫌ですよ」
 自分でも驚くほど即答だった。わたしは今日、クロロとダンスをしに来たのではなく仕事のつもりで来たのだ。
「オレと練習したろ」
「ジンさんと練習したのは仕事のためです」
 そう、ダンスのお誘いを考慮してジンさんと練習もしていた。ジンさんはガサツに見えて、動画で見たダンスを一発で覚えてしまっていた。
 わたしといえば、ご想像の通り難ありである。仕事もあるため、練習回数は片手で数えるほど。ジンさんとダンスの練習をしているとき次々と指示され、わたしの体は動いていた。出来映えは、形にはなっている程度だ。
「それにジンさんは自分のために言ってますよね? わたしは彼をビジネスだと思いたくないんです」
 ふーん、と興味なさそうに相槌を打った彼は、やがてわたしの頭を、ぽんと撫でた。撫でたというか、どついた。
 どつかれた部分を擦っていると突然、照明が落ちた。薄暗くなった会場のどこからか優雅なクラシック音楽が流れてくる。どうやら噂のダンスタイムのようだ。
 ペアになった男女が音楽に合わせて踊っている。わたしは、それをつまみに更にアルコールを食道に流した。思わず吐いた言葉は、何とも陳腐なものだった。「綺麗ですね」
「なんだよ、やっぱり踊りてんじゃねーか」
「率直な感想を言ったまでです。それに、わたしがダンスを覚えたのはビジネスのためですし」
「その通りだ」
 わたしたちは苦笑して、目前に広がる世界を見ていた。
 ジンさんは相変わらず肉ばかり食べて、わたしはようやくスイーツを口に入れた。メンチさんには後で連絡しよう。美味しかったと。

「あそこで踊ってんの、お前の友人とかじゃねーの」
 お互いぽつぽつと話していると、唐突にジンさんが言った。フォークの切っ先を辿ると、女性を連れて踊るクロロの姿があった。絵画そのものに見えた。わたしは、「ああ」と何かを納得したような返事をして微笑む。
「相手はどっかのご令嬢ってとこか。さっき誘われてたしな」
「なんでジンさんが知ってるんですか?」
「食いながら状況把握。常識だ」
「ただ肉ばかり食べていた訳じゃなかったんですね」
 呆れたような、関心にも取れる返答をし、わたしは遠くにいるクロロを凝視した。
 口角は上がっているが、表情は硬い。不本意と顔に書いてある。その様子に思わず、わたしは噴出してしまった。
「……なに笑ってんだよ。気味悪ぃな」
「(失礼な!)これは微笑んでるんです」
「バカ野郎。"微笑み"を辞書で引いてこい」
 いつもの軽口を叩かれ、それも相まって更にわたしは笑ってしまった。すると、わたしの様子を見ていたジンさんは唐突に手に持っていた皿とグラスを抜き取った。困惑していると手を絡め捕られる。
「爪先立ち」
 もはや条件反射だった。すん、と踵を浮かせると持ち上げられた手に力が加わり、遠心力でわたしの体は簡単にターンする。
 一瞬の出来事、目前にはジンさんの顔が先ほどよりも近距離にあった。その顔が、ニッと笑う。
「口端にソース、付いてるぞ」
「?! ちょっと行ってきます」
 わたしは、いつの間にか腰に置かれていた手を振り払い、ジンさんを置いて出口に向かった。その最中、なぜジンさんがダンスの真似事をしたのかを考えていた。折角ダンスを覚えたわたしへの慰めだろうか。
 口許を抑えながら、縫うように人を避けて出入り口のドアを押そうとすると、ウェイターに「どうぞ」と言われて開けられた。一筋の光に導かれるよう、会釈をして会場を後にする。背後からは、まだ音楽が鳴り響いていた。

 ついでにお花摘みして、巨大な鏡の前に立ちメイクを直す。それほど崩れているわけでもなく、口端のソースも取って口紅を塗り直した。
 会場に戻ると、ちょうどダンスは終わっていた。しかし、すぐにまたクラシックが流れ始める。
 わたしは、そっとジンさんを目指して進んでいた。会場内はダンスを踊るために真ん中がぽっかりと開けられている。会場の端にはドーナツ化現象の如く人々が詰め込まれていた。わたしは邪魔にならないよう、壁際を沿って歩く。

「見つけた」

 ぐん、と気配なく背後から手首を捕まえられ、後ろに引かれた。横転しそうになるものの、なんとか耐えて繋がれた手首を辿ってみれば、絵画の登場人物が額縁を飛び越えて、わたしの目の前に居た。
「クロロ…」
「そろそろオレは帰るけど、まだいるのか?」
「うん。……帰るの、早いね」
「用は済んだからな」
 ここで、クロロはわたしを解放した。その手はスーツパンツの懐中に突っ込まれ、反対の手は顎に持っていかれた。何かを思案しているポーズだ。
「最後に踊ろうか」
 やがて隠れていた親指は、会場の真ん中を指した。わたしは、それを目で追ってから、かぶりを振る。「ううん」
「わたしはダンスをしに来たんじゃないもの」
 本日、二度目のお断りだ。
「…お前はどこまでも仕事人間だな」
「お互い様ね」
 わたしが笑うと、クロロも穏やかに笑みを作った。そういえば、今日初めてクロロの笑顔を見たかもしれないと思った。暗がりの中、クロロの微笑に安堵を覚えたのは、なぜだろう。
 あの時の、ダンスの最中に貼り付いていた笑みをふと思い浮かべると、わたしは思い出し笑いを一つ。
「?」
「あ、ごめん。こっちの話」
 何となく言ってやらない。本人は完璧な演技をしていると思っているだろうから。
「クロロ、この後は仕事?」
「ああ。一度、会社に戻ってやることがある」
「終わったら飲みに行かない?」
「この格好で?」
「もちろん」
「断る理由はないな」
 今日はホテルのラウンジにでも行ってお洒落に決め込むのも悪くはない。

 :
 数時間後。わたしはジンさんとバーで反省会をしてからクロロと落ち合った。ホテルのラウンジは賑わっており、案内されたのは窓から水面が見渡せるカウンターだった。
 ふたり並び、まるで蜜月のように寄り添って乾杯した。この距離感は席もさることながら、わたしが酔いに任せっきりなのが要因だろう。
「なんだ、酔ってるのか?」
「少し…今日は飲みすぎた。さっきジンさんと反省会してきたんだけど、ちょっとヒートアップして」
「……ああ、あの一緒にいた」「上司」
 思わずジンさんの名前を出してしまったが、軽く説明して気にせず話を進める。クロロは黙ったまま、ウィスキー・ミストを飲んでいた。わたしはブルームーンが入っているグラスを撫でる。
「あの人、もっとあそこで色気出せとか言うのよ? もう、色気ってどこから出せばいいのよ…それに、こんなに大きなパーティーは初めてだし、ジンさんのお小言で傷心」
「肩でも貸そうか」
「お願い」
 即答したわたしは、頭を自分よりもずっと大きな肩に靠れかかった。触れている部分は頭だけでも、スーツ越しに人肌が伝わってくる。
 ふう、と隣からため息が聞こえてきた。呆れているのかと思い、顔を上げれば、見慣れた横顔が見える。その目線は、わたしではなくライトアップされた水面を見据えていた。いや、もしかしたらわたしの知らない世界がそこにあり、目に見えるものばかりではない事を知らしめている気がした。
「冗談で言ったつもりなんだけど」
「え? ああ…ごめん。今離れる」
 確かに素面のわたしだったら、いらないと突っぱねていただろう。
 何だか今更恥ずかしくなり、重い頭を持ち上げようとするとクロロは眺めていた景色から、わたしへと焦点を絞る。
「オレは別に構わないが……例えばオレがこういう事をすると、お前は怒るかと思ってた」
 「構わない」と聞こえて再度頭は肩へと馴染んだ。朦朧とする頭は予想外に心地よく感じられ、このまま眠ってしまいたいほどだった。久々、完全に酔っている自覚だけは、頭の片隅に理性として息していた。
「言ったろ、境界線がわからないって」
「……やっぱり離れる」
「いろよ」
 クロロの言葉に、わたしはなぜか安堵していた。それは彼がわたしを振り払わない事実か、消せない友人関係か、わたしには解らなかった。いいや、解りたくなかったのだ。
 アルコールのせいにしてしまおう、と思うと一人失笑する。わたしも随分と狡猾なオトナになってしまったものだ。
「ここで肩を抱いても?」
「……肩はだめかな」
「腰は?」
「もっとだめでしょ」
「じゃ何を差し出せばいい?」
 恐らく、"友人"のために何かをしてやりたいのだろう。
 友人関係になって間もなく、あれは春季だった。季節の蕾が綻んだ頃、同じような会話をした場景を思い出した。
 あれから3か月以上は経っただろうか。わたしたちの関係は確実に少しづつ、形状と色彩が変化している。この方向性の良し悪しは――わたしたちは――どこに向かうのだろう。
 わたしは優しい友人に感謝して、瞼を閉じた。
「――このままで」

 あなたもわたしも狡い人間だろうから、この意味がわかるでしょう。
 わたしたちの距離は誰より近く見えて、だからこそ手を伸ばしてはいけない。

誰より近く

(綺麗なままじゃいられない)
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(20170419)

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