それは、土曜日の午後のことだった。
 予定を開けておけ、とクロロに言われたが「土曜は無理」と断ったはずなのに、ロッカールームで独り「あの男の未勝手さよ…!」と愚痴っているとメンチさんに「早めにあがってもいいよ」と言われ、わたしは嫌々ながら現在自宅にいる。
 携帯画面には「この間のドレスを持って来い」と浮かんでいた。この間と聞いて思い浮かぶのはジンさんと一緒に出席したパーティーのことだとすぐに理解できた。この文から大体の察しはつく。
 わたしは諦めて、一度シャワーを浴びてから所望されたドレスを持って家を出た。既に時間は、指定された時刻が間近に迫っていた。

 クロロのマンションに着き、わたしがアクションを起こす間もなく主が出迎えた。そんな気がした、なんてどんな気だ。
 鼻歌でも歌い出すのではないかと思うほど、クロロはご機嫌だった。逆に、わたしは不機嫌だったりする。
 先ほど携帯で釘を刺すように「あのランプの使い心地はどうだ」と書かれたメッセージが飛んできていた。お察しの通り今回の件は、この間のランプが起因している。このドレスを着て、クロロがいったいどんな難題を提示して来るのか不安と苛立ちが募っていた。
「で、無理矢理に店を休ませてわたしになにをどうしろって言うの?」
「ノーメイクできたのか」
「……時間なかったの。メイク道具は持ってきてるから安心して」
「そうか、じゃ早速」
 そう言うとクロロは玄関にわたしを置いてきぼりにして歩き出した。訳も分からないわたしは、クロロの後について行くと到着したのはクローゼットの前。
 そこには黒スーツやシャツがぎっしり詰まっていることをわたしは知っている。けれども、今回クロロがいつもの扉を開けることはなかった。近場にあるコンソールテーブルの引き出しを開けたのだ。
 テーブルの上にある物を退かして、取り出した物を何やら並べている。じゃらじゃら聞こえるそれを背後から覗いて見れば、ジュエリーの数々。
「クロロ……まさか…」
「…変な勘違いするな。前に言っただろ、適当に気に入った物を持ってきてるって」
 ソッチかと一瞬思ったが、違うようだ。それにしても気に入っているからといって、女性物のジュエリーを持ち出すだろうか。相変わらず、その辺の感覚が謎だ。
 わたしが、あれこれと考えている間、クロロはリングにブレスレット、ネックレスを取り出している。もしかしなくても、今日わたしが着飾るものだろう。
「好きなもの、選んでいいよ」
「いや、お任せします」
 何を着飾っても取り繕っても、わたしはわたしだ。

 それから言うまでもなく、クロロの人形と化した。ドレス着用後、メイクブックを片手にわたしをメイクするクロロは、手慣れた様子でわたしを作り上げていく。ほぼ毎日しているこの両手よりも手際が良い。椅子に座ったまま、微動だにしないわたしは、ぼんやりとそんなことを思っていた。
 と、そこで顎を持ち上げられ、強制的にクロロを見上げる形となった。立ちすくんだままのクロロを下からのアングルで、そろそろ見慣れてきた端正な顔が視界いっぱいに広がっている。
 いくら美しい顔でも3日もすれば飽きると誰かが言った。3日ではないにしろ、本当の事だった。わたしの場合は、飽きるというより当然となってしまったのだろう。
「なんだよ、じって見て」
「…クロロが無理やり上を向かせたんじゃない」
「……そうだな。ああ、そうだった」
 一人納得し、クロロは何が可笑しいのか一度瞼を瞑ると、仄かに笑う。それから、抉じ開けたように両瞼が持ち上がった。その奥には、光明が一寸も通らない夜色の眸が平然と在る。
「純粋でいて、鋭利な熱視線を向けられると誰だって……いや、オレは戸惑う。矛盾した事柄は、いつだって心理の扉をノックする。自分の世界に入り込むには打ってつけの題材だ」
「…うん?」
 また唐突に何を言うかと思えば…――これが、わたしの正直な感想だ。
「オレは時々、お前が見えない…読めないんだ。単純に見えて簡単じゃない」
「…クロロは他人の心が読めるの?」
「大体は。……何を考えているか予測は出来るよ。口振りや声のトーン、目線に態度……人によってクセはあるだろうが同じだ。人間だからな。ただ……」
 そこまで言ってクロロは押し黙った。わたしの目を、それこそ穴が開くほど見つめ、何事かと思いながらも静かに次の言葉を待つ。
 顎に当てられていた親指が、すり、と動いた。撫でるといった行為よりも、彷徨っているように感じてしまった。

(クロロ、あなたは今どこにいるの?)
 違う。
(あなたは、いつもどこにいる?)

子供ガキがオレを見てくるのと似てるんだ。あいつら、時々なにをやらかすか分からない生き物だろ?」
「ガ、子供ガキ……」子供と同じ扱いか、という突っ込みは敢えてしなかった。
 わたしが呆れた口調で言うと、クロロは気の抜けたサイダーのように雰囲気が丸くなる。それから、テーブルに置かれていた口紅を取り、片手で器用にキャップを剥いた。
「ま、特にこれといって困ってるわけじゃない。むしろ一興といったところか。…口、少し閉じて」
「ん…」
 ルージュの先が、ゆっくりと口唇をなぞる。どうやら、わたしの顔を無理やり向かせたのは、このためのようだ。
「もう少し開けていい……OK、そのまま」
 ――塗り終わることを確認し、わたしは癖で口唇を内側にまとめ込んだ。ぱ、と口を開けるとクロロが、わたしの口唇を凝視してから言った。
「男が女の口紅を塗る行為は、あとでそれを取るという意味があるらしい。つまり、」
「キスしたい?」
 にやり、と笑った口唇が憎たらしく撓る。「ああ」
 初めてバーで会話をしたあの日から、このようなやり取りを幾つも重ねてきた。クロロなりの戯れにも少し慣れてきているためか、近頃のわたしは狼狽もせずに反撃の火蓋を切る。
「それ、塗るんじゃなくてプレゼントじゃなかった?」
「どっちも意味があるんだ」
「どちらにしろ出来ない相談ね」
「今日のカクテルもブルームーンか」
 口から心臓が飛び出るかと思った。クロロの言った「今日のカクテルも」というのは、前にホテルのラウンジでわたしが頼んだカクテルであり、その日のわたしの心情そのものだったからだ。ブルームーンのカクテル言葉は、"出来ない相談"。
 後付けと言ってしまえばそれまでだったが、酔いが覚めた翌日に、わたしはどうとでも良い互いのカクテル言葉に噴出したのだった。ついでにクロロが飲んでいたウィスキー・ミストの意味は、"戸惑い"だ。
 ここまで思考を働かせ、いつの間にかぽっかりと開口していた口に力を込めた。同時に、「やられた」と思った。今ので度肝を抜かれたのは確実にわたしの方だ。
「そうね。いつでもわたしのカクテルはブルームーンにしなくちゃいけなくなるね」
 苦し紛れの返答だ。わたしは腕を組み、口許を弓形にして何とでもない素振りで言った。すると、クロロは咽喉で嗤ってから「それでいい」と呟く。
「オレは奇跡の予感を信じるよ」
「……!」
 ああ、もう。やられた。
 ブルームーンの、もう1つのカクテル言葉は"奇跡の予感"なのだ。

 勝敗が決すると、わたしたちはまたいつもの調子に戻った。それはあっさりと、キスの"キ"の字すら異次元に感じるほどだ。
 クロロは先ほど選んだリングとブレスレットを付けるよう言ってきた。シンプルなジュエリーだ。眸くらい大きな宝石が付いていたら、わたしは悪趣味と罵っていただろう。
 何年経とうとも、そういうのは似合わないし、自分で稼いでもいないものを我が物顔で着用するなど、わたしにとってそれは不合理だ。
「……違うな」
 最後にネックレスを付けるのかと思えば、クロロは眉間にしわを寄せ、またクローゼットの方に行ってしまった。
 暫くして持ってきたのは、宝石なんてものは付いてなくて。
「ショール?」
 一回転して首に巻き付かれたショールは肌心地がよく、しっかりとわたしの首に馴染んだ。けれど少しの違和感がある。
 なぜなら、恐らく今からわたしはクロロの付き添いで何らかのパーティーに同行するのだろう。それは間違いなく内容はどうあれセレパと呼ばれるものだ。
 パーティーというのは本来、露出多めが当然と聞いたことがあった。結婚式では花嫁のために幾つかの規定はあるだろうが、パーティーは違う。むしろ肌見せしていないことがダメなんだと、セレパに行った友達が教えてくれたことを、わたしは覚えている。
 だから、過剰に露出されると思っていた。ドレスはベアトップタイプになっているので、打って付けだと。
「立て――よし、いいな」
 起立すると満足気にクロロは頷き、またクローゼットに向かった。あの中は、軽く人が住めるくらい広く、そこで自分も着替えるのだろう。

 待っていると、やはりパーティー用の黒スーツを着たクロロが出てきた。髪はオールバックにまとめられている。
 ただの黒スーツかと思ったが、目を凝らすとほぼ同系色のストライプが引かれていた。ジャケットを靡かせると地味に思われるそのスーツの裏地は洒落た柄が潜んでいた。ベストも着込む普段見慣れない格好は、この間ジンさんと仕事で行った、あの日のクロロだった。
 しかし雰囲気は一緒でも、その時と違うのはスーツ込みで全て別物だろう。ネクタイもワインレッドではなかったはずだ。

 なんだなんだと近づけば、「両手首を出せ」と言われ、言われるまま手を伸ばすと、コンソールテーブルを漁っていたクロロはひとつのガラス瓶を取った。それを、わたしの手首に吹きかける。香水だ。
 なるほど、と変に納得してから、両手首をこすり合わせて耳下にも擦る。次に太もも付近にもワンプッシュ。肩を掴まれたかと思えば、背後から髪にも一振り。自分自身が香水に酔ってしまいそうだ。
 げっそりとしていると、クロロも自分に香水を吹きかけてから、ネクタイピンと時計を選び、器用に取り付けた。
「……行くか」
「なんとなく予想はしてるけど何のパーティー?」
「お披露目会という名のビジネスだ」
「わたしの役目は黙ってにこにこよろしくやってればいいのね」
「そうだ。理解が早くて助かる」
 テーブルの上に置いてあった携帯を手に取り、クロロは車の手配をしている。
 ――やがて到着の連絡がくると、わたしたちはエントランスに向かった。そこには既に黒塗りの車が停車していた。
 嫌味なくごくごく自然に後部座席のドアを開けたクロロは、わたしに乗るよう促す。紳士の鏡だ。マンションの玄関先で履けと言われたヒールを鳴らして乗り込めば、すぐに隣をクロロが埋めた。
「フィン、XXXホテルまで行ってくれ」
「了解」
 フィン、と呼ばれた運転席にいる金髪の男性もまた、スーツを着ていた。彼は、返事をしてすぐにドライブを入れ、ハンドルをきる。

「ていうかね、こういうのはたぶん恋人を連れて行くものだと思うのよ」
 発信して早々、わたしは呆れた口調で言い放った。俯いた先にある自分の爪を見て、ネイルくらいしてくれば良かったなと思いながら。
「だろうな。だがオレには今現在そういった女性がいない」
「代役はいくらでもいるでしょ? 会社に一人や二人くらい」
「社員は社員だ。同行には向いてないよ」
「わたしだって向いてないよ」
「お前は友人だ。それに、オレにお返しとやらをしなければならないんだろ?」
 クロロの方を向くと、ニィと意地悪く笑っていた。本当、嵌められたと思う。ぐうの音も出ない。
 それを言われると胸が痛いのだ。何だかんだと言って、わたしはあのランプを気に入っている。
 ため息を吐くと、バッグミラー越しに運転手の彼と目が合った。思わず、じっと見つめていると目元が細められる。値踏みされているのだと、すぐに解った。
 この人もクロロとの付き合いが長い幼馴染の人なんだろう。以前、マチさんやノブナガさんと話をしていて、クロロがいかに慕われているか、わたしは再確認している。
 居たたまれなくなって隣人に目線を移すとクロロも、わたしをじっと見据えていた。少し驚いて肩を揺らす。「な、なに?」
「いや、感慨深く思っていた」
「感慨深く?」
 どの辺が、とも、意味解って言ってるの、とも聞きたかった。
「自分の手で磨き上げたものを、これから他人にお披露目することを思えば愉しみでならない。さしずめ、アーティストの醍醐味というところか」
 頬杖をついて、さも当然と言わんばかりにクロロは言った。
 思わず、わたしは上半身を引いて、クロロから離れる。時々この人は、どこに愉しみを見出しているのか分からない。今がまさにそれだ。
「わたしはクロロの人形でも見世物でもないよ」
「ふ……確かにそうだ」
 クロロを差し置いて窓を覗くと、夕刻を過ぎた街中は賑わいを見せていた。
 今日は土曜日。家族連れ、カップルなど街を闊歩する人々の足が心なしか軽やかに見える。
「――お前はオレの友人だ」
 そして、この男の心も。

 ホテルの玄関先に、車は滑り込むようにして停まった。さっさとドアを開けたクロロの後を追うように、わたしも腰を動かすと運転席から呼び止められる。「おい」
 振り向けば、真面目な顔付きと目が合う。少しの敵意と期待――そう思ったのは、わたしの錯覚かもしれないが、彼の双眸は色々な感情が織り交ざっているように思えた。
「ヘマすんじゃねぇよ。言っとくが今回のパーティーでうまく丸め込めばでかい仕事が来るかもしれないんだからな」
 初耳です知るか。と、悪態を吐いてしまいそうだった。こちらとて来たくて来たわけではないのだ。
 わたしは、にこりと笑って答えでもなんでもないお礼の言葉を放った。
「ありがとうございます。運転、お疲れさまでした」
 つん、と背を向けると相手も同じことを思っているのか「けっ」と聞こえてくる。苛立ちを懸命に隠し、車から両脚を下ろせば頭上に手が差し伸べられた。
「笑え。今から、それがお前の"お返し"だ」
 わたしは、きょとんとした顔をしてしまったが、ゆっくりと笑みを作り出し、返事をする。「ええ」
「任せて、相棒」
 相棒と呼んだ人の手を取って立ち、目の前に構えるホテルを見上げた。わたしを見下ろしている巨大なホテルは、閉塞するように聳え立っている。

相棒

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(20170528)

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