今までの男友達の間で、一体どういった会話をしてきただろうか。記憶を反復し、十代の頃の自分を回帰させるが思えば根深く考慮することはなく、馬鹿話ばかりだった気がする。
 以前、彼らと何が「イイ女」なのか議論したことはあった。あれは大学生だったろう。講義の最中、ヒートアップし過ぎて教授に雷を落とされたのは良い思い出だ。

 友人同盟を結ぶ直前、クロロは言った。
『ボーイフレンドは?』

 どうして、あの時わたしもクロロに同列の質問を返さなかったのだろうか。
 例えば恋人がいないと仮定し、後に出来たとしてもわざわざクロロが言って来ないだろうと、わたしは踏んでいる。
 ここで、わたしたちが結締したこの関係性の条件を記憶からサルベージしてみよう。
 ――そう、2つ目の項目は、こうだった。

 2.どちらか一方が特定の相手が出来た場合この関係を解除できる権利を持てる。

 注目すべき点は後半の”この関係を解除できる権利を持てる”だ。権利を持てる、というだけであり必ず言う必要性はない。
 ここで問題に立ち返るが約半年間クロロを観察しての結論は、彼にとってこの項目は無意味なものである、だった。そして、わたしのための項目ではないかというものだった。
 クロロにとって恋人発言は恐らく、とるに足らない出来事だろう。わたしたちの関係に不必要だと思ったことは、排除する徹底振りが彼にはある。
 恋人――それは、彼の中で些細な存在なのだろうか?


「…でも、はっきり言ってもらわないとわたしが気を遣うんだよね」
「なに言ってんだ」
 ざくざくとカップの底に沈んでいる氷をストローで刺しながら言えば、斜め向かいに座った人物の突っ込みは閃光の如く素早い。
 わたしは知らぬ内に独り言を世に晒していたようで、我に返った時には遅かった。誤魔化すため、残り少ないアイスティーを啜る。
「暑さでぶっ壊れたか」
 先ほど、ようやく合流したジンさんは横目でわたしを見ている。その顔面は呆れ顔だ。
「…もう、それでいいです」
「あっそ」
 数メートル先では、ゴンくんとキルアくんがジュースを買うために走り出している光景が目に映る。わたしたちは、それを見送りながら園内に設置されているパラソルの下で休憩中だ。
 クロロの件に一度、鍵をして何とも微妙なこの空気を身に受けることにする。

 本当にジンさんが来るとは思わなかったため、仕事以外の時間――プライベートを共有する事はないに等しいわたしたちは、気まずいという言葉がお似合いか。飲み会の帰り際や、社内で他愛ない会話をすることはあったが、こうしてきちんとした形はなかった。今日、口数の少ないジンさんの様子で更に拍車がかかる。
 正直、アルコールが欲しい。酒があれば、わたしたちはどうにかなる駄目なオトナだ。何とかしなければならない、そんな思いだけが先行する。
 結局、仕事と遜色ない話題しか、わたしには浮かばなかった。「…まだ、クロロには聞いていないんです」
「ふたりで会う機会がなかなか…もしかしたら今月は無理かもしれません」
「奴とは長期戦の構えだ」
 ズゴゴ、と聞こえたため、視線をジンさんに持って行くとアイスコーヒーを飲干してしまったようだった。ふと見えた、こめかみに滲んでいる汗が、ゆっくりと落下している。
 わたしは今日、邪魔にならないようにと背負ってきた小さめのバックパックからハンカチを取り出すと、それをジンさんに向けて差し出した。
「…なんだ?」
「汗、拭いて下さい」
「いらねーよ」
 ぶっきら棒に言い、シャツの裾を持ち上げて拭う仕草に、ぎょっとする。割れた腹筋が全開で、なぜか周囲を見渡してしまった。
「なんだよ」
「一歩間違えればセクハラかなと」
「…お前、なに考えてんだ」
「痴女を見るような目で見ないでください。見たくて見たわけではないので」
 不可抗力です、も付け加えたかったが一層、揉めそうで取りやめる。
「ゴンくんって本当にいい子ですね。素直だし、すごく優しい」
「……そーかよ」
「そういえばゴンくんってジンさんの事は呼び捨てなんですね」
「ああ…あいつからしたらオレは父親じゃねーからな」
 なんとか痴女の疑念を拭うため、ようやく会話らしい会話を持って行くと、爆弾発言に口から何か出そうになった。もしかしたら、わたしは相当えぐい切り口で確信を付いてしまったのではないかと震える。
 恐る恐るジンさんを見やる。わたしの様子を見たジンさんが、ふんと鼻で哂う。
「血は繋がってる。だが、オレはゴンが小せェときに手放した。だから父親の資格はない。……ま、呼んで欲しいわけじゃねーからな。所詮、呼称だろ? オレがオレであることに変わりはない」
「……」
「会うようになったのは、ここ1、2年の間だ」
「…あ……」
 つっかえていた疑問が咽喉まで来るが、また腹の底に落ちる。毎度の調子で聞けばいいというのにデリケートな問題は勢いや確信がなければ言葉が出て来ない。
 開閉を繰り返すわたしの口唇は、結局なにもせずに閉じた。目線を空になったカップに落とす。隣の影が動く。
「んな顔すんな。あー…つーか今言ったことは忘れろ」
「……忘れませんよ」
 まさかジンさんの身の上話を聞くことになるとは思わなかったが、またいつものテンポに戻ってきたため、安堵感からかわたしは自然と顔を綻ばせた。
 ここでようやく、わたしは今まで固い表情でいたことに気付く。ジンさんの「んな顔すんな」はこれだろう。
 先ほどの疑問が擡げ始める。「ひとつ、聞いていいですか?」
「おう、答えねーかもしんねーけど」
 本当に質問していいのだろうか――不安と好奇心が混ざり合い、ひとつの個体となると、ついにわたしは口を開いた。
「再会前、ゴンくんと会いたいと思ったことは…?」
「…正直、会いたくなかった」
 半分、そうだろうなという思いがあったためか、わたしは左程、驚きもせずにいた。小さい頃に手放した子供と会うのは、幾らジンさんといえ酷く勇気がいるはずだ。
「オレはオレであるために、親であることを放り出した人間だ。世間から見てもろくなもんじゃねー。どのツラ下げて会えばいいのかわからなかったしな。会った瞬間トンズラしようと思ってたくらいだ…偶然だったがな――」
 ジンさんはその時のことを思い出しているか、どこか気まずそうに頭をかいた。
 それから彼にしては、たっぷりと時間を置いてから口を開けた。

「会っちまった途端、もう拒む必要は、どこにもねーって思った」

 やや口許を上向きにして、ジンさんはそう言い切る。わたしは、「そうですね」と相槌を打った。父親失格と言いながら、わたしの目から見たこの横顔は、十分父親の顔付きをしているのだ。
「…二人が戻ってきたら、お昼にしましょうか」
 ここで、わたしはこの話題を打ち切った。ジンさんの事情は恐らくまだまだあるだろうが、今のわたしが聞く立場ではない。そもそも社内の人間ですら疑問に思っていることを、ただの部下であるわたしが聞いてしまった。これは、ものすごい事だ。
 加え、胃が水分だけでは限界と告げている。お腹が空くわけだ、携帯画面を覗くと既に12時を過ぎていた。今頃、園内のレストランは込み合っているだろうが、4人で並ぶのもいい思い出になるだろう。
 会えなかった10年を埋める二人には、新鮮なはずだ。会話をするということは、とても大切だと、わたしは思う。
 が、ここで妙な間があった。ジンさんと目が合うと、なぜか逸らされる。
「なんですか…?」
 だが再度、目線だけでわたしを凝視した。
「…なぜお前に――」
「はい?」
「いや、なんでもねェよ」
「え? 自分から振っといて自己解決ですか?」
「うるせー!」
 一喝し、そっぽを向いたジンさんを見て、どうしてかキルアくんを思い起こした。三十路を過ぎているのに、小学生と変わらない素振りをしたと思えば不覚にも可愛いと思ってしまう。無精髭、生えてるけど。
 笑いを声にし、目線を下に置くと、やはりどつかれる。
「笑うな」
「はいはい、もう笑いません」
 ジンさんを少し知れた気がしたと同時に、先ほどまでクロロについての蟠りが薄れたのは事実。ここは、素直にジンさんに感謝しよう。本人は、何も分かっていないと思うが、わたしは救われてしまった。
 ――子供たちが戻って来た。二人で競争でもしているか、ふたつの影は、どんどん近づいている。わたしは、手を振りながら笑顔で二人の名前を呼んだのだった。「おかえり。ゴンくん、キルアくん」

 やはり昼時のレストランは込み合っていたが、文句を言うジンさんをゴンくんと宥めながら、何とか席にあり付けた。わたしの隣にはジンさん、真向かいにはキルアくんだ。
 4人でメニューを眺めていたが、あれも食べたいこれもいいという子供たちの様子にジンさんは早くも面倒になったようだった。結局、店員をさっさと呼ぶと食べたいと言ったもの全てを注文してしまった。豪快過ぎる。頼みすぎでしょ、どうするのこれ。
「……よく食べますね」
「舐めんなよ。オレの息子だぜ」
「そこ自慢するところですか」
「育ち盛りだからな」
 少し会話になっていないが良しとして、目前に広がる子供たちの食べっぷりに先ほどの憂慮は無用のようだ。会話など、ほぼなく二人は夢中で食べている。むしろ足りないくらいだ。
 料理が運ばれてきて早々に、わたしは自分の分を既に確保していたため、それを口に運んでいた。お子様プレートのように、たくさんの食べ物が一つの皿に置かれている。
 ジンさんも子供たちに負けじと、片手にビールを持って頬張っていた。真夏のビールは最高だろうに。
「ところでなんで動物園なんですか」
「そこの姉ちゃん、ビール追加」
 あっさりスルーされたが、代わりに応えてくれたのはゴンくんだ。「オレが見たいって言ったから」
「ミトさんがチケットを用意してくれたんだ」
「ミトさん?」
「オレの母親」
「?!!」
「おい、ゴン。誤解招くような言い方すんな」
 驚愕のあまり、わたしは心臓が飛び出るかと思った。まさかここで、最大のタブーとされているジンさんの奥様について話題が来るとは――だが、一喝したジンさんの様子からして少し違うらしい。
「ミトはオレの従弟でゴンの養母。親権はあっちが持ってんだ」
「…心臓がどこかに飛んでいくかと思いましたよ」
「おう、飛んでけ飛んでけ。今頃カバあたりが食ってんだろ」
「あ! オレ、カバのエサやりしたい」
「確かパンフに時間帯が書いてたな」
 咀嚼しながら、キルアくんは持っていたパンフレットを広げた。大人などいらない程の対応だ。わたしとジンさんはハリボテに近い。何せ一人は、ただの酒飲みと化している。
 悟られないように隣を見る。やはり母親の話題はタブーのようで、パラソルの下で話していた饒舌具合はどこへやら。ジンさんは黙したままだ。普通に考えれば、養母という時点で母親が不在なのはわかる。
 ――やめよう。わたしがここで考えても仕方のないことだ。これ以上、関与すれば情が沸いてしまうかもしれない。ゴンくんに、そしてジンさんにも。
「…なんだよ。ビール、飲みてェのか」
「いえ、全然。保護者二人が酒飲みだったらシャレにならないでしょうし、今飲みたいわけではないので」
 目線に気付かれたようだ。わたしは咄嗟の返答をしたが、不自然だったろう。
 ジンさんは、それ以上なにも言って来なかった。

 :
 子供たちがカバのエサやりをしている様子を人だかりから少し離れた場所で、わたしたちは立っていた。携帯の動画機能をフル活用し、二人の様子を撮っているのは無論わたしである。
 よし可愛い、よく撮れてる――ある程度、撮り終わるとお遊びで隣にいるジンさんを映す。彼は、死んだ魚のような目をしながらも、きちんと子供たちを見ているようだ。
「なに撮ってんだコラ」
 にやにやと笑いながら無断で撮っているわたしに気付いたジンさんは、素早い動きで携帯を取り上げた。「あ!」
「もう、いい思い出なんですから別にいいじゃないですか」
「オレを撮るな。あいつらを撮れ」
「そんなに照れなくても…て、わたしは撮らなくていいです!」
 突然、向けられたレンズに自分でも分かるほど頬に熱が溜まった。気温も相まって、今頃わたしの頬は真っ赤だろう。
「勝手な奴」
 ようやく携帯を奪い返し、ここでムービーを終える。
 今日のわたしは、おまけみたいなもので親子としての、またゴンくんとキルアくんの思い出だ。わたしは、確実に無関係であることを自覚している。
「あとで動画と写真、送りますね」
「……いら」「いらなくないですからね」
 隣にいるジンさんを見上げながら、にこりと微笑む。ちくしょーとか聞こえてきそうな表情だ。また少し怯んでいるようにも見えた。
 ここで、わたしは思いついたように携帯を仕舞うと、バックパックからミネラルウォーターを取り出した。先ほどレストランを出た後に買ったものだ。購入理由は主に隣の人物のためである。
「飲んでください。アルコールは水分補給に適してないんですよ」
「知ってっけど」
「……」
「…」
 見つめ合って数秒、折れたのはジンさんの方だ。
 わたしからペットボトルを受け取ると、勢いよく飲み始める。若干ぬるくなっているだろうが仕方ない。また必ずしも冷水が体に良いわけではない。
 ペットボトルが口から離れた時には、既に中身の三分の二が失われていた。ここで突き返されたが、わたしは拒否する。「全部飲んでも構いません」
「たぶんビール臭くて無理なので」
「おま、まじ……オレに遠慮なくなってきたなおい」
 気づかれたか、と思うのと同時にマズイとも感じたが、ジンさんは大して怒っていないようだ。それをいいことに、わたしは小さく笑う。
「半分プライベートなので。それに、わたしをゴンくんとの中和剤にしたでしょう?」
「…」
「なぜ、わたしを選んだかはわかりませんが…――」
 まだ親という立場ではないので、と付け加えようとした時だった。

「お前にとって」

「あ、はい」
 妙に大きな声で言葉を遮られたため、わたしは吃驚しながら条件反射で返事をしてしまった。
 両目を大きく広げ、ジンさんを見ると彼は一度、わたしの視線から逃れるように子供たちの方向を見た。やがて再度、わたしに焦点を絞る。
 その双眸は、張り詰めた弦のように真っすぐと思われたが弓形に撓り、そして百発百中の金の矢が向けられた。それは言葉として、わたしの胸を射貫く。

「お前にとってクロロ=ルシルフルは、そこまで影響力のある奴か」

 "わたし"を生成したあなたが、それを言うの――ジンさん。

金の矢
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(20171217)

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