「シャル、今週の金曜日二人で出かけない?」 わたしとシャルは、立場は違えど同僚である。わたしにとって安心できる数少ない男性だ。 男、という生き物は全てにないにしろ、わたしという存在を‘女’と認識する。わたしはそれが苦手だった。 男女の友情は成立しない。未だ十代の頃、わたしはその幻想を信じていた。でもそれは男という生き物を何も分かっていなかった、無垢な存在だったからだ。彼氏が出来ても、わたしの中にある男女の友情は諦めきれなかった。 友人らには、もっと距離を保てだとか言われ散々だ。別に全員の男がわたしのことを好きになるはずもないと言うのに。けれども、これは女としての危機管理能力のレベルを上げる事と同義のような気がする。 適正の距離を保たないといけない配慮が正直面倒だ。その配慮を取っ払ったのがシャルナークの存在だった。 「実はお勉強会という名のバー巡り、しようと思って。上司からOK出たよ」 「飲み放題じゃん」 お客は時に有力な情報をくれる。どこのバーのマティーニが美味いだとか、バーテンダーの人柄が最高だとか。それはわたしたち同業者にとっては気になるものだ。 「そうなの! 気になってるバーのリストアップもしてるんだけどね」 わたしは経緯と共に、もう一人のマスターが来れない事も説明した。初老の彼は、シャルよりもバーに立っている時間が多いせいか、もはや看板マスターだ。 最初、そのマスターに話したのだが、若い者に任せたと断られ、今に至るのである。 「あー…待って。金曜は確か……ちょっと時間ちょうだい」 「いいけど」 「実はあっちの方の打ち上げがあるから今週は無理かもしれないんだ」 あっち、とは――シャルは元々、他社の社員で、うちのマスターとしての仕事は趣味に近いらしい。それでもいいと引っ張ったのがわたしだった。 シャルの条件としては本職を優先とのこと。わたしはそれを快諾した。 ついでに言えば、あっちの社長はこの事を承諾済みのようだ。税金対策はうまくやれ、が社長の言葉だったとか。 「そっか……でもあっちを優先して全然いいよ。急いでないし」 「時間帯によってはOKかもしれないからさ。聞いてみる」 そう言ってシャルは携帯を取り出すと、何やら高速で打ち始めた。少し間があって景気の良い音が聞こえて来る。 「構わない、だって」 「本当? ありがとう!」 「でも顔は出したいから8時とか9時くらいがいいんだけど」 「じゃあ、9時に。一件目のバーで待ち合わせしようよ」 わたしはリストアップしていたバーのメモをシャルに見せた。シャルは頷きながら、返事をしている。 「んじゃ、この店からスタートして効率よく回ろっか」 ついでにバーの情報も集めてくれるという、頼もしい相棒だ。 ――約束の金曜日。 本来はシャルも出勤日なわけだが看板マスターにお任せしてきた。どうもありがとうマスター。 自宅を出る前にシャワーを浴びて普段控えているメイクをする。あまり派手なのは、わたしの接客業には向いていないので、こうしたプライベートのときにするメイクは楽しい。とはいえ、別人レベルにまでするメイクではないが。 流行りの口紅、普段は結っている髪を下ろし、緩めになってきたパーマを生き返らせた。服装はどんな店にも合うようにカジュアル過ぎず、シャツにフレアスカート、お気に入りのトレンチコート。アクセサリーは最低限の物、理由は酔っ払うと失くすから。ヒールを5センチ以下のパンプスをチョイスしたのは、酔って挫いた時の痛さが痛感済みだからだ。 自宅で軽く夕食を済ませ、わたしは待ち合わせのバーに向かった。途中のコンビニでウコンを買うのを忘れないようにと思いながら。 待ち合わせのバーに、シャルはまだ来ていないようだった。 わたしは、挨拶をしてきたバーテンダーに微笑みながら、カウンター席を選んだ。ここにいた方が彼の人柄や作り方がよくわかる。 待ち人がいることを伝え、とりあえず自分の好きなカクテルを頼んで待つことにした。悪酔いしないように、飲み方の順番を頭に叩き込みながら、ペース配分を考える。 行きたいバーは絞り込んで全部で5件。過去、恐くて10杯以上は試したことがないため、一軒につき2杯まで。あとはシャルに任せよう。 ――シャルが来たのは、わたしのカクテルが出来あがってすぐのことだった。注目してみれば、普段見たことのないスーツ姿のシャルがいる。 「こっち」 わたしは小さく手を振って隣に座るよう促しているとシャルは二度見してから、ようやくわたしのところまでやってきた。何か気になることでもあるのだろうか、少し驚いた顔をしている。 「一瞬、誰かわからなかったよ」 「え? なんで?」 隣に座り、カクテルを頼んでからシャルはそんなことを言ってきたので驚いたのはわたしの方だったりする。 「だって雰囲気が違うだろ? 髪を下ろすとこんなに変わるんだなーって思ってさ」 「褒めてる?」 「もちろん! 君は残念美人だ」 「褒めてない」 : それから、ふたりで他愛ない話をしながら2杯飲むと次のバーへ――と梯子した。シャルはわたしほど酒に弱いわけではないらしく、的確に感想を言ってくる。 と、すればわたしはというと。 「――もう、世界が滲んでる」 「店長、もう帰りなよ」 「いや…あと一軒頑張りたい」 4件目の途中から、わたしは酔いに加え猛烈な眠気と戦っていた。ふわふわとどこかに飛んで行きそうで、申し訳なくもシャルの裾を掴みながら最後の店へと向けて歩いていた。 シャルと押し問答しながら目的場所はもう少しと、わたしは自分を奮い立たせて、しっかりと足を踏ん張った。ヒールが5センチ以下で本当に良かった。 「あっ」 そこで道しるべとなっていたシャルが足を止めた。ぼんやりとした双眸でシャルを見上げれば、嬉しそうな顔で手を上げていた。 「みんな二次会? それとももう三次会かな」 そして「ごめん」と言ってわたしを振り払うと、小走りをして行ってしまった。 わたしは目頭を押さえ、ぎゅっと力を込めてからシャルの後姿を目で追う。シャルは、数メートル先にいる集団の輪に飛び込んでいった。 何やら親しげな様子で、会話を弾ませている。回らない頭をゆっくり回転させてみれば、予想がようやく追いついた。今日、先約があった同僚だろう。 一人で立っていられないほど酔っているわけではない。わたしは、この内にどうにか酔いを覚まそうと大きく深呼吸したり、手のひらのツボをぐいぐい押してみる。 「店長、紹介するよ」 そんなことを何度か繰り返しているとシャルに手首を掴まれ、無理やり歩かされた。 縺れそうになる足をなんとか保ちながら輪の中に着くと10人ほどの男女がいた。先ほどよりも幾らかましだが、ぼやける視界は鮮明としない。 「こちら、うちの社長」 「どうも初めまして、シャルナークさんにはいつもお世話になっております」 こちら、と紹介されて上を見上げれば熊みたいな巨人がいて、わたしは慌てて頭を垂れた。肉体派の社長は新しいな、と思ったことは口にしない。 すると、くすくすと笑い声が聞こえてきて頭上では会話が始まっていた。 「おい…シャルんとこの店長よ、完全に酔ってんじゃねェか」 「ウボォーが社長だったらうちの会社終わってんな」 「会社すらないね」 「みんな集まってもないわね」 「そもそも何会社だよ」 「みんな本当のこと言っちゃダメだよ」 「…シズク、はっきり言ってんじゃない」 「……おい、お前ら。いい加減にしねェと切れるぜ」 どうやら、わたしは勘違いしたようで頭を上げれば言い合いが始まっていた。 「あの、ちょっと…」 責任を感じて止めようとするものの、わたしの声は届いていない。 隣のシャルといえば「仕方ないなぁ」なんて言いながら楽しそうだ。 「違うよ、あいつは社長じゃなくてオレの同僚。社長はこっち」 両肩を持たれ、くるんと回転される。今さっきの出来事で頭と目は多少クリアになっていた。 だからこそ、わたしはそこで驚愕した。 「オレの名はクロロ=ルシルフル――社長だ」 目前のオールバックの男は、彼だった。 「なんで言ってくれなかったの」 ラストのバーでわたしたち――彼含めシャルの同僚たちとボックス席にいる。 わたしはソファー席の端に座り、隣には彼がいて、テーブルを挟んだ向かい席にはシャルがいた。他の人たちはと言うと、すぐ近くで飲んでいるのだが、わたしたちとは切り離された空間の中で騒いでいる。 若い人向けの店で本当に良かったと思う。彼らの他にも騒いでいる集団がいて、一軒目などの雰囲気のバーだったら他の客に迷惑だったろう。 「だって聞かれなかったしさ」 言い訳にしては理に適っている。 わたしはため息を吐いて隣の彼を見た。彼はワイングラスを手に無言のままだ。 「そうなんだけどね…」 全く腑に落ちない。そもそも二人は店で話していたはずだが、他人行事だったではないか。 とはいえ、わたしの言葉を吐いたとしてもシャルに丸め込まれそうなので、それ以上はやめた。 「あ、そうそう。うちの会社は家具とかインテリア中心の輸入物を扱ってるんだ。何でも取り揃えてるから社長に頼めば何とかしてくれるよ」 「ええ?」 「だって店長、この間ランプが欲しいって言ってたじゃん」 わたしがシャルに洩らしたランプとは、駅前の店に飾られているステンドグラスで出来たランプの事だ。どうやら売り物ではないらしく、店の隅にいつまでも飾られていて、その店を通る度に足を止めてしまうのだ。 「わたしが欲しいって言ったのはあの駅前にあるお店のランプよ。それに店じゃなくてわたし個人が欲しいわけで」 「駅前ということは、あの角にある店のことか? なら、うちの店だな」 「え?」 「譲ってもいいが」 「…そこまでは……いいです」 「相変わらず固いな。もっと利口に生きろ」 癇に障る言葉は至極正論に思えるが、わたしは眉間に皺を寄せてしまった。今は店長と言う肩書がないせいか、アルコールの力か、感情が表に出てしまう。 彼の言葉は痛いほど自分で解っているのだ。 「わたしが今ここでお客さんといること自体が困惑してるの、解ってるんでしょ?」 「敬語を使ってない限り、君は店長と言う肩書を置いてきている。だからこそオレは今客じゃない。オレの名はクロロ=ルシルフルだ」 「同じよ」 わたしがきっぱり言い放つと、彼は持っていたワイングラスをドンと置いて、わたしに振り返った。異様な威圧に彼から離れようと体が勝手に動いていた。 「勝手だな。自分は外に出て個になり、客は個としてみない」 「……っ」 矛盾を孕んでいるのは分かっていた。わたしは常に勝手に作ったわたしのルールに従っている。 店の外に出ても客は客。それでも、わたしは店を出た途端、店長の肩書を捨てる。彼はこの矛盾を指摘しているのだ。 「それなら そう言うと彼は、バーテンを呼んで何か頼み始めた。 重い沈黙の中、わたしは身を固くしてその時を待っていた。シャルや他の社員たちもわたしたちに注目していて、誰もなにも言って来なかった。 ――暫くしてバーテンが置いていったのは、4ショットのテキーラだった。彼はその中の一つをわたしに向けると、含みを匂わせた声と表情で言ってきた。 「オレも君も今日は酒を飲んでるし、酒の強い弱いは自分のスペックだからこの辺りについては互いにドローだ…だが、ハンデをやる」 彼の言いたいことは分かった。 「わたしが1杯を飲み干す前に、あなたが3杯飲み干せば、そっちの勝ちね」 「正解。付け加えるなら、飲んだらちゃんとグラスはテーブルに置くこと」 「OK…で、この勝負は何を賭けるの」 彼は待っていましたと言わんばかりに口許を撓らせた。 心臓が、緊張と不安で高鳴るが、これは嫌じゃない。 「提示した条件を飲むこと。一応言っておくが、オレは無茶なことを提示するつもりはないから安心しろ。君に負けても今まで通り店に行くよ」 「……」 「オレが酒に強いことは知ってるな? 挑発する訳もなく、100%オレが勝つ。それでも、君は 正直に言えば、わたしはクロロ=ルシルフルと名乗る男のことは嫌いじゃない。週に一回の会話と売り上げは美味しいし、何よりも人間としてこの男を尊敬している。時おり意味が分からないようなことを発するが、知識が豊富に湧く時間はとても有意義だ。 だからこそ厄介だった。わたしの作り上げたものを一蹴してしまうこの男が、歓喜と同時に辛苦も舐めている状況が、わたしを追い立てる。 「シャル、救急車の準備よろしく」 「了解。あ、動画も撮っとこ」 わたしが突き付けられたテキーラを掴むと、彼は視線を下に向けて静かに笑った。勝者の笑みだろうか、余裕の頬笑みだろうか。それとも、何か他に言いたいことでもあるのだろうか。 やがて彼もまた一杯目のテキーラを持つと「誰かカウントダウンしろ」と言っている。 握りしめたテキーラを見下す。ツンとした臭いだけでも、わたしを更に酔わせた。 |
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(20160712)