週末や平日に限らず、あの日を境にクロロと出かけることが多くなった。お互いの仕事の都合で会うのは夜で、酒と月と黒に塗り潰された宵が常にわたしたちの周りにあった。 社長という肩書きを持っている割には、わたしたちと変わらない金銭感覚や生活をしているのには吃驚した。わたしのいないところで大きな買い物などをしているのかもしれないけど。 バーのドアノブを開けると、「いらっしゃい」のシャルの挨拶が飛んできた。手を振るとシャルは笑顔で手をあげる。 「2件目?」 「うん、シャルのカクテルが飲みたくて」 今日は土曜日。店が多忙と予想される土曜はシャルともう一人のマスター二人で運営している。彼は会釈をしただけで、黙々とシェイカーを振るっていた。 カウンター席は、2つ席が空いていたが離れていたため、お客さんに謝罪しながら詰めてもらう。何となくクロロは端の方が落ち着くかなと思ったわたしは、さり気なく端に追いやったのだが、逆にさり気なく遮られてしまった。 座る直前にクロロを見上げて、その意図を窺おうとしたが彼からは何も読みとることは出来なかった。 「何にする?」 「マティーニ」 「モスコミュール」 「了解」 それから、わたしたちは再度乾杯した。グラスの端に刺さっている、スライスされたライムはあとで突いてやろう、なんて思いながら。 その頃、隣のクロロは齧ったオリーブを置いた小皿を隅に追いやって、わたしとは違い少しずつマティーニを口に運んでいた。今日、クロロはいったいどんな‘選択’をするのだろう。 わたしは彼がマティーニを頼む時、話し出すまで待っている。案外、退屈ではない。 確かに楽しく時間を過ごしているが、毎瞬毎分と会話をしているわけではなかった。時にふたりでいるのに、お互いに存在をなくしてしまう時間が出来る。それでもクロロといる沈黙は、不思議と嫌ではなかった。 シャルが無言で銀の器におつまみを置いていく。わたしは「ありがとう」と言ってローストアーモンドを摘んだ。 「前から聞きたかったことがある」 「ん?」 口に含んだばかりのアーモンドを噛み砕きながら、ようやく切り出したクロロの横顔を見た。クロロは、マティーニから目を離さず、そのまま言い続ける。 「これが友人というものなのか?」 「は?」 「オレとお前のことだ。オレたちが友人関係を結んで一ヶ月が経とうとしている訳だが、こうして飲みに行くだけが友人なのか?」 わたしはクロロの問いに、一瞬コスモが見えた。もっと分かりやすく言うなら、何を言っているんだこいつは、だ。 「要は友人の定義ってなに、てこと?」 「それだ」 わたしはここで、とんでもない疑問が一つ浮かんだ。 クロロって友達いるの――? 「じゃ聞くけど、わたし以外の誰かとどこかに出かけたりするでしょ?」 「時々、社員とは飲みには行く」 「休日は?」 「本を読むか、あるいは仕事だな」 「……」 決定的である。このクロロ=ルシルフルという男に友人はいない、もしくは極少数ではないかと。 そもそも、友人になろうという一言、また友人の定義を聞くことがアウトだ。社員以外の交流はどこでしているのか、まったく謎である。 わたしとこうして出かけているにしても、週の大半を他の時間に割り当てられるだろう。しかし、まるでクロロは、その匂いがしないのだ。 「プライベートのこと聞くけど」 恐る恐る、わたしは口を開いた。 「異性の友人って呼べる人、いる?」 「いないな」 「じゃ過去にそう呼べる人は?」 「…いないな」 なんてことだ。 わたしは、かれこれ約一ヶ月間プライベートに足を突っ込んだことは、ほぼない。人によっては嫌がる人もいるだろうし、特に彼に関しては特殊な環境の中。もはや、わたしたちは友人というより同盟に近い気さえしている。 クロロに近づくとき、わたしは手探りの中、見えない夜道を歩いているようなものだ。だが、予想に反してプライベートや距離感を気にしている場合ではなかった。 「…可哀相な人を見るような顔をするな」 「え? 顔に出てた?」 「ああ」 クロロは、真顔で突っ込んだ後、フッと笑ってマティーニを飲んだ。 「相手がどう思っているか分からないが友人と思っている奴はいる。ただ、女性を友人と呼べる奴はお前が初めてだ…いや、こちらが友人と思っても相手がそうでない場合が多い、と言った方がいいのか」 「たぶん好きになっちゃうのよね、女の方が」 クロロが黙ったことから、わたしはこれを肯定と受け取った。 数多にいただろう過去の女性たちに半分の共感と哀悼の意を唱える。彼の隣で、いったい幾らの恋が死んだのだろう。 「、お前は男女の友情はあると思う?」 「クロロにしては青臭いこと聞いてくるね」 二十歳も過ぎて、いい大人にまさかこんな質問をされるとは思わなかった。ましてやクロロにである。 わたしは、奥歯に引っ付いているアーモンドを舌でそれとなく取りながら正直に答えた。 「…昔は信じてたよ。仲の良い男友達がいたから信じてた。でもね」 そこまで言ってどう言葉にしようか少し悩んだ。それを急かしてきたのは、もちろんクロロ。「でも?」 「男女の友情は成立しない。でも100%じゃない」 「曖昧だな」 「ただ信じたいだけなのよ」 「さしずめ、オレたちの関係は完璧ということか」 「そういうこと」 クロロはわたしの方を向いて口許に笑みを宿した。吊られるように、わたしも笑顔を作った。 このクロロの笑みの意味を、この時のわたしは知らなかった。 バーを出て解散の雰囲気になると、わたしたちは大通りに向けて歩き出した。随分と暖かくなってきた季節でも、まだまだ夜には半袖は早い。 ジャケットのボタンを留めて、気持ち寒さを凌ぐ。その仕草を見たからだろう。 「寒いのか?」 隣にいるクロロが聞いてきたのだ。 「少し風があるから」 「そうか」クロロは口許に手を当てた。彼が何か考え事をするときの合図だ。 知り合ってから十ヶ月程だろうか。こんな癖まで解るくらいになるなんて思いもよらなかった。 「マフラーをしていたら貸していたよ」 「いいよ、そこまで」 「恋人同士だったら、ここは肩を寄せ合うだろう」 「たぶんね」 「じゃあ友人だったら?」 「……マフラーでいいんじゃない?」 「生憎、持ってないんだ」 何を言いたいのだろう、この男は。 わたしは訝しげにクロロを覗いた。わたしよりもずっと高い位置にある面貌は、からかって楽しんでいるのかと思いきや、案外真面目な顔つきをしている。 「…境界線がわからないな」 ‘男女の友情’についてだということは分かった。 ついには足をピタリと止め、空を仰いでぶつぶつ言い始めた。こうなったら手に負えないので、わたしは辛抱強く待つ。 「温めるためには物質が必要…それが物か人で大分違う。そこで隔てるのが、そもそもなぜ温めようとする動機が出るか…――」 声が止んだと同時に冷たい風が吹いた。わたしは身震いをして咄嗟にクロロを壁に見立てて風避けにさせる。 その様子を見て、クロロは思い立ったような声を上げた。 「…そう来たか」 「どれ? ていうか想像タイム終わった?」 「はいつもオレが思いつかないことに気が付くな」 「クロロが考えすぎなんだよ」 真上にある後頭部が、横顔を見せる。 「オレは隣のやつが寒いと言ったから温めようと思った。お前が寒いと言ったからだ」 「え? わたしのせいなの?」 「いや、違う。お前は正直なだけだ」 くるりと振り向いて、クロロはわたしと向き合うとバッグを持っていない手を掴んだ。 握ったのではなく、言葉通り掴んだのである。そこには情などではなく、本当に物を掴んだのに過ぎない。そう思わせるほど無造作だった。 わたしは、掴まれた手の行き先をぼんやりと眺めた。手は、心臓よりも少し上のところで止まった。 「こうして熱を与えられたらどうする?」 「もっと丁寧に優しくしてくれたら喜ぶけどクロロがしたらだめかな」 「どうして?」 「うーん…これはわたしの考えなんだけど」 本当に何と言っていいか悩む。なぜなら世の中には、セフレキスフレソフレなんて言われている関係もあるからだ。だが、わたしたちが望んでいるのはそういうものじゃなくて、少なくとももっとフランクな、言うならば笑い飛ばすほど健全な関係だ。 掴まれた手に力が込められた。急かされている気分だった。 「友達同士って、手繋がなくない?」 「今時のJKはすると聞いたけど」 「いいよ無理にJKとか使わなくて…じゃなくてそうきたか! えっと、じゃシャルと手繋がないでしょ?」 「シャルナークは社員だ」 「じゃあクロロは誰と手を繋ぎたいと思うの?」 返信が一方通行で、わたしは会話の路頭に彷徨った。挙句、答えようとしたものの、結局はクロロに問うてしまって意味がないことに気づいた。けれども、ここは順々に紐解いていかないと駄目だと思った。 こんな単純なことですらクロロは疑問を持つ。特に人の感情や動機、また自分について彼は迷い子だ。 クロロは、真顔になって一点にわたしを見据えていた。やがて出した答えは予想の範疇だった。 「繋いだことはないな。自分からは」 「今までの彼女はどうしてた?」 「繋ごうとは思わないよ」 ここで「なぜ」「どうして」をわたしは使わない。わたしたちがこの関係を結ぶ前から、「Why」というものは彼にとって逆行になることをわたしは感づいていた。また振り出しに戻って彼の岐路を断ってしまう。 クロロは、わたしの手を更に更に持ち上げて、ようやく答えた。 「自分から手を握ったのはこれが初めてだ」 「これ‘握った’、じゃなくて‘掴んでる’んだからね」 わたしは呆れながら言う。何でも知っているようでなにも知らない、継ぎ接ぎだらけの男だ。わたしが惹かれたのはこれが原因でもある。 こんなに博識で、通常を知らない男に好奇心を抱かないはずがない。 「手を握るって、ほら…ドラマのシーンとかである――」 「ああ、あの指と指を絡めるやつか」 合点がいったのか、クロロは掴んでいたわたしの手を放すと、もう一度わたしの手を取って指の隙間に自分の指を入れてきた。そして、ぎゅっと力を入れて、これだこれだと言わんばかりに満足気にしている。 いや、握るってこれだけじゃないんだけど。 わたしは突込みよりも早くこの現状の打破を取った。 「ちょ、ちょちょちょだから違う!」 思いっきり振りほどいてやれば、あっさりと手は離れた。本気で心臓に悪い。 わたしは深呼吸をひとつし、腰に両手を当てて言った。 「だから友達同士はしないでしょ、て話で」 「先に言ってきたのは、お前だろ」 「そうなんだけどね?!」 このループをどうしたらいい。思わず真顔になる。 わたしは二十数年の間に培ってきた全ての知識と閃きと経験を手繰り寄せて考えた。色々なわたしが挙手をして様様な改善策を言い合う。わたしの中の全レギオンよ駆けろ。武器を持て。勝鬨を吼えろ。 ピーン、と脳髄に一閃が光速した。これしかないと思った。 「ねぇ、クロロ。もう他人を基準にするのはやめようか」 わたしは、がっしりとクロロの両腕を掴んだ。くしゃりと歪んだスーツが今から言うわたしの言葉を嘲笑っているかのように見えた。 「わたしたちは、わたしたちなりの友人になろうよ」 クロロはまだ分からないのか、それとも続く言葉を待っているのか、わたしを見下ろしたままだ。 「お互いに、ひとつひとつ確かめ合ってルールを築き上げていくの。だってこうして考えても、きりがないじゃない?」 ここでクロロは頷いて、納得したようだった。わたしはその様子に安堵して、クロロを開放すると、胸を撫で下ろす。 大変なカロリーを消費した気がするが達成感という重みが胸にあった。 「じゃ早速1つ聞いていいかい?」 「うん?」 クロロはわたしの隣に並んで、先ほどと同じように指を絡め、見せ付けるように繋がれた互いの手を持ち上げてきた。 「これは?」 「――! だから、これはダメだってさっき言った!」 絶対わざとだ。 ぶんぶんと手を振って嫌がる素振りをしても、双手が剥がれることはない。頭にきて睨みながら見上げれば、クロロがめずらしく声を上げて笑ってから手を放した。 握られた手が、じんじんと熱い。クロロの手は、もちろんわたしの手よりも大きくて、何よりも体温が高くて正直驚いた。でも熱いのは、それだけが理由ではなくもっと別の何かだ。 またひとつ、彼を知った熱だ。 「オレたちのルールか…悪くないな」 一通り笑って、クロロはわたしではなく、どこか遠くを見て答えていた。わたしにはそれが、ここにはいない誰かに捧げる独り言に見えた。クロロはいったい誰に話しかけているのだろう。 初めてマティーニの話をしたとき、クロロは店に入る前には考えたい事を頭に入れていると言ったのだから既に脳内では選別が始まっているはずだ。では今のこの状況までも想像できたのか、少し気になる。 「手を繋ぐのがだめなら、今のオレはお前に何をしてやればいいんだ?」 「いち早くタクシーでも拾って」 そっぽを向いて答える。クロロが少し笑う。 今のわたしたちには、これくらいがちょうどいい。 今のわたしたちには、 |
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(20160805)