「一晩考えたんだけど」 は、リュックに詰めてきたカロリーメイツを頬張っている。今は昼過ぎだ。昨日、早目に就寝したはずが、蓄積された極度の緊張と疲労で起床したのは先程だった。 シャルナークの言う台詞は言葉通りだろう。彼は眠ることを必要としない。 「もう一度、団長に電話しよう」 「電話してどうするの?」 「団長に会う約束を取り付ける」 噛み砕いていた顎が、ぴたりと止んだ。眠気眼だった双眸は、驚きに満ち満ちて零れ落ちそうだ。 の反応は真っ当だ。昨日の緊迫した雰囲気を再度味わうなど、気合と度胸が未だ足りない。 「電話する前に内容を聞いてもいい? どういう風に、その団長さんと会うようにするの?」 「団長と会うには難しい。オレたちが策を練ったところで団長には確実に見破られる」 人差し指を立て、まるでゲームでも楽しんでいるかのようにシャルナークは次々と述べる。 「だからシンプルに行こう」 「シンプルに?」 「オレが会いたがってるって。全然消える気配がないから助けてくださいって言うんだ。本当のことだし」 ここでは悩んだ。確かに嘘偽りはないが、果たして面識のないの事を助けるほど曰くの団長は手を貸すだろうかと。 昨日の会話からお人好しにも、優しさも感じられなかったのだ。電話越しから警戒心が見て取れた。 「団員の手も借りようかと考えたんだけど、君が殺される確立の方が高いからな」 「殺され…?」 繋げようとした"る"は口から出ることなく終わった。そう思えば、幻影旅団という連中は盗み、人殺し、時々慈善活動が主だとシャルナークとの会話をは思い返した。 「ま、それはともかくして」 「シャル! すごく重要だったよ今の!」 「大丈夫だって。団長は無意味な殺しはしないからたぶん」 「今さり気なく"たぶん"付けたよね?!」 その後、話し合いを重ね、昨日の携帯を手には深呼吸を繰り返している。場所は2階のベッドルーム、隣にはシャルナークだ。 フォーンをタップして履歴にある一番上の番号を確認する。シャルナークに目線を送れば、頷かれた。恐る恐るはタップし、次にスピーカーも押した。これでふたり同時に聞きやすい。 コールが室内に反響した。ただ、ひたすらに相手が電話に出る事を祈った。 『……――まだ何か用か』 案外早く3度目のコールで男は出た。表情に光明が差したのはシャルナーク、強張ったのはだった。「あの、こんにちは…」 『――……で』 「はい?」 『挨拶をするためだけに電話した訳じゃないだろう? 十中八九、シャルナークのことか。まだ、そこにいるのか?』 何もかもお見通しである。だが、が驚愕したのはそれだけではない。男が真偽を下す前にシャルナークの存在を、まるで受け入れているような口ぶりだったからだ。 「……います。どうすればいいか、わたしには分からなくて、その…」 『…』 「シャルは、どうしても伝えたい人物がいると初めて出会ったときに言いました。それが、昨日あなただとわたしには分かりましたが」 『願いを叶えたのに、まだシャルナークがいる』 「はい。無茶なお願いと重々承知の上です。わたしには、団長と呼ばれるあなたしか頼れる人はいません」 沈黙が走る。己の念能力も理解していない、また信頼も何もないの情報だけで相談したとしても掴むのは空ではないだろうか。不安ばかりが募る中、シャルナークの表情は穏やかだった。 ここで、は確信した。なぜ、シャルナークが団長と会うと提案したのか。それは、シャルナーク本人も知り得ない、会いたいという願いなのではないかと。 「――会ってください」 先程までの臆したは、どこに隠れてしまったのだろう。 「わたしではなく、シャルに会ってください」 鮮明と言い放った声は、誰よりも凛とした発言だった。 シャルナークが冷やかすように口笛を吹いた。は、目線だけで黙るように威圧をかける。 『これはオレの憶測に依るものだが、お前は念能力を手に入れて日が浅い、または理解していない。オレにどうすればいいか聞いてきたのがいい証拠だ……これは罠でないと仮定しての話だが』 「…全くその通りです。実際、シャルと色々試してみたんですけど完全には理解できていない状況です」 『うむ…』 男は何か考えているのか、黙してしまった。 ――ようやく携帯越しから聞こえてきた声は、試行と愉快を織り交ぜたような問いだった。 『命は大事か?』 「はい?」 『命が大事かと聞いてる。オレは罠だと思ったらお前を殺るよ。それでもいいんだな?』 「…それは、わたしがあなたを罠にかけたらと仮定した問いですね」 『ああ、命を捨てる覚悟でオレと会えるか』 殺る、と電話越しの低い声は日常用語のように使っていた。それが脅しではない事は容易に想像できる。 の背に、冷や汗が這う。シャルナークの生きてきた世界とは、こういう世界なのだと思い知らされた気がした。 「…」 の肩に添えられたものがあった。無感覚の、シャルナークの手だった。らしくない表情は、幾つもの感情が交じり合い、他になんと声をかければいいのか分からない様子だった。 あの矛盾がシャルナークの心をノックした。これでいいの? と。 (殺られる) 「あります」 これは怖いもの知らずとは違う、売り言葉に買い言葉とも違う。 「これは罠ではありませんし、それに」 そう、シャルナークも言った通り―― 「わたしの生命線、すっごく長いですから殺されないと思います」 彼女は、一周回ってバカなのだ。 『…………なるほど』 「…団長さん?」 『オレの名前はクロロだ。クロロ=ルシルフル。団員でもない奴に団長と呼ばれるのは不本意だ』 「…はあ」 『OK 今から言う場所に来い』 この後、驚くほどあっさりと日時と場所指定をされ、電話は切れた。最後、男は一度愉快そうに笑っていたが、それはの発言か、彼女自身かシャルナークは思案する。恐らく、どちらもだろうと。 「くくく…生命線長いとかどんな理由それ」 「…祖母譲りの手相判断」 電話が切れて早々に、シャルナークまでも笑っている。一体どこにツボが入ったのか、ここ数日で見た中で一番、頬が緩んでいる。こういう姿を見る度に、やはりから見てシャルナークは殺人を犯す人間には見えなかった。 、と肩に手を置く仕草も懸念した表情も、言葉には無かったが伝わるものがある。あれは明らかに心痛していた。 「さて、一笑いしたことだし、早速出発の準備をしようか。時間あるからもう少し休んでもいいけど」 「ううん、出よう。カロリーメイツ生活は飽き飽きしてたから」 昨日今日と非常食品しか口にしていないは、リュックに忘れ物がないかチェックしながら答えた。流星街にはスーパーもコンビニもない。故に、きちんとした食事はしていない。 早出の理由は他にもあった。電話をしている最中、めずらしくシャルナークが口を挟まなかったのだ。それが、どうしても気にかかった。 解き放ってあげたい――しかし、ここで忙しなく動いていたの手が、ぴたりと止む。願いが叶えられたら、シャルナークはどうなる。 「?」 「…なんでもない。行こう」 この思考を流星街に置いて行こう。知らない振りをして、土にでも埋めてしまおう。 ふたりは、流星街を後にした。お互い矛盾を抱えたまま、指定された場所まで何事もないように目指した。 連絡用にと、は自分の携帯の他にシャルナークの携帯を持って来た。中には色々な人物の名前が羅列されている。プライベートに踏み込むつもりは、には無い。一度その件について、大丈夫かと聞いたことがあったが「適当に消しておく」と言われたきりだ。 「タクシーで行く?」 「帰りはどうする気?」 「…レンタカーにする」 目的の場所は都市部から随分と離れた場所にあった。地図を確認すると車移動は必須のようだ。 手続きを済ませ、小さめの乗用車を借りた。ガソリンは満タン、恐らく帰ってくる分には問題ないだろう。帰って来れればの話だが。 「車で2時間ってとこかな」 「、幽霊とドライブってレアだと思わないか?」 助手席を埋めたシャルナークが、どこか愉しそうに言った。連られても破顔すると、ギアをドライブに入れる。 「じゃドライブスルーで何か買わなきゃ」 「オレ、フィレオフィッシュ」 「わたしはチーズバーガー」 「ビールも欲しいね」 「結局コンビニに寄るんじゃん」 談笑しながら車は発進した。 途中、コンビニに寄り、ドライブスルーもしてはバーガーを頬張りながらアクセルを踏んでいる。街中を抜ければ、あとは平原の中の一本道を、ひたすらに走るだけなのだ。手の付けないフィレオフィッシュもビールも、ふたりは敢えて突っ込まなかった。 夕刻を知らせる橙色はシャルナークの金髪を更に美しく彩った。陽光に透けた髪が、まるで景色に溶けてなくなってしまいそうだ。が横目で隣を見ると、風を感じることが無い髪が靡いているような錯覚すら覚える。それほど、にとって隣人は幻影でも幽霊にも見えなかった。 「シャル」 「ん?」 「シャルの金髪、綺麗だよね」 「そう?」 頷いたに、シャルナークの手が伸びてきた。さらり、と掬われた髪が跳ねる。 「オレはの髪の色もいいと思うよ」 「…わたしが初めて声をかけた理由ね、シャルの髪が綺麗だったから」 「そういえば、今日みたいな時間帯だったね」 「あの時、話しかけなきゃ今がなかったと思えば、不思議な感じがする」 一つ笑いを零したを眺めていたシャルナークは、顎に手を置いて考え出すと、やがて頭を振った。 「…そうかな。オレはそうは思わない」 窓から沈みゆく太陽を見据えるエメラルドの双眸は、一体何を求めているのだろう。シャルナーク自身、何も分からなくなっていた。 初めは、クロロにヒソカのことを言うため。今はクロロに会って、何かを確かめたいため。だが、ほんの僅かに残存する、心の中の隙間は、未だ空白のままだ。ここを埋めることが出来るのは、誰か。 「例えあの時がなくても、オレはといつかはこうなっていたと思うよ」 「どうして?」 無垢に聞いてくる。既に二十歳も過ぎているというのに、この女性は鈍感なまでに純粋で、所謂危ういのだ。時折、善悪を持論で引っ繰り返してしまうバカさ加減は脱帽の粋だ。 苦笑したシャルナークは、さも当然のように答えた。 「オレを見つけてくれるのはで、しかオレに話しかけられないから」 ふたりは出会った。お互い、生者と亡者として邂逅した。 「ちょっとした運命だね」 「ロマンチックが抜けてると思うけど」 しかし、これを運命といわずに、なんと呼ぼう。 ふたり同時に笑う。シャルナークは沈みゆく太陽を、は続く岐路を、ただ見据えていた。ふたりの目線の先は例え違っても変わらないものがある。流動的世界は、誰も彼も平等に世界を魅せてくれる。 ――最後の時間が迫っていた。 指定された場所は、古い洋館だった。手入れがされていないのか、柵の向こう側は草木が生い茂り、出入り口のドアは、どこか傾いているように見える。 ふたりが到着したとき、既に太陽は失墜していた。月光が我が物顔で空に蔓延っている。人工的な灯かり一つ無いここで、どこからか聞こえてくる鴉の鳴声が不気味さに拍車をかけていた。 「……なんか出そう」 車から降りたが言うと、隣のシャルナークが鼻で笑う。 「もう怖いものなんてないだろ」 「あ、そっか」 隣には、幽霊がいる。その一言で勇気が沸いたのか、は意気揚々と歩を進めた。壊れかけのドアに力を込めれば、すんなりと大口を開けられ前のめりになってしまった。それが余程、洋館内に反響したのだろう。 「来たか」 遥か頭上から声が降って来た。が見上げると目前には2階に続く階段があり、最奥には幾つかの窓とドアがあった。それを背景に一人の男のシルエットがある。月明かりだけでは、ここまでしか確認できない 「クロロ、さんですか」 「そうだ」 逆光では男の面貌までは見えなかった。感情の読み取れない声のみがに与えられた情報だ。男は、慎重と狐疑を織り交ぜたような視線を送っている。 シャルナークが小さな声で「団長」と呼んだ。これがシャルナークが会いたかった団長かとの好奇心は膨れ上がる。 「そこにシャルナークがいるのか」 「はい。やはり見えませんか」 「ああ、何も見えないな」 抑揚のない声が反響したと思えば「こっちだ」と言って歩き出した。は見失いそうになる後姿を追うように、慌てて階段を上った。途中、躓いて転びそうになると横から腕が伸びてきた。シャルナークだ。「よ、と…」 「ごめん、見えなくて」 「そこ、もう少しで踊り場になってるから」 「うん、わかった。ありがとう」 腕一本での体を支えたシャルナークのそれは、生前鍛えられ上げたものだ。ベビーフェイスには不釣り合いな、鋼のようにしなやかな肉体。 その様子を上から眺めていた男の目線は、明らかに奇異だった。鋭利な視線に気付くと、再度は小走りで男の方に駆ける。 暗闇ではあるが、僅かな光でも理解したものがあった。この団長と呼ばれている、クロロという男はオールバックの髪型に額には十字のような模様があり、また端正な顔付きをしていた。黒のロングコートがこの景色から男を曖昧にしているようにも見えた。 「電話でもそうだったが演技にしては巧いな」 「…演技じゃありません」 「ああ、だろうな。あのポーズで器用に体が止まるのはありえない。念を使ってる感じもなかった」 思いもよらない肯定に、は驚愕の表情を見せた。ぽっかりと開いた口唇が何か呟きそうに開閉を繰り返している。 「フッ…ま、話をしよう。全てはそれからだ」 鼻で笑った男が、踵を返して再度歩き始めた。もそれに続くが、ふと、シャルナークが隣にいないことに気づいた。背後を振り向くと、ぼんやりとしたシャルナークが佇んでいた。 「シャル?」 「……ん? ああ、今行く」 暗黙に支配された廊下の先に、既に男はいない。奥からドアの開かれる音がしたことから、まだずっと先なのだろう。 横に並んだシャルナークが問う。「怖い?」 「うん、怖いよ。でも怖いのは今の状況じゃなくて」 自分よりも背の高いシャルナークを見上げたは、彼女らしくもなく至極真面目に答えた。 「これが解決した後が怖い」 「…なに言ってんだよ」 それ以上、シャルナークからは何も返ってこなかった。 |
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(20160825)