――早く、誰よりも。
 タクシーを捕まえて目指すは言うまでもなく、古巣へ。は迷わず空港行きを選んだ。運転手に空港に行くよう指示し、走り出した車中でバッグを抱きしめる。
 の念は諸刃の剣。目的地に着けば、あっと言う間に身体は意識を手放してしまうだろう。勝手が良いようであの念はかけた相手の状況や命令によっての反動が大きい。
 何せ、幻影旅団の団長であるクロロ=シルシフルに命じたのだ。それは覚悟の上だった。


 出発して既に数日は経過していた。警戒し、日を置いてから目的地へ向かおうかと考えたが、問題ないとが踏んだのは色々な憶測を立てた結果だった。
 今頃クロロは、ようやく手足の自由が利くようになり、その間に電話も何も仲間を呼ぶことは無理だろう。あの場に、誰かが来なければの話だが。
 仲間が来たとしても、わざわざ自分を追わないとは感じていた。
 これはGAME――クロロとだけの、手のひらのゲームだ。

 重い足取りでクラピカのいる場所へと向かう。歩き慣れた暗黙の廊下は、どこまでも続くように思えた。それほど、身体が限界を告げていた。
 金のドアノブを押した先にあるのは、ブラインドで陽光を遮断された部屋がそこにあった。いつも賭博をしているチンピラはいない。未だベッドに寝転んでいるのだろう。
か」
 ただ一人、その場にいたのはリンセンだった。朝刊を読んでいたのか、机には幾つもの新聞が並べられている。
 は、彼に頼りなく笑った。引きずる足で2つのバッグを差し出す。「預かって」
「…なんだこれは。随分重いな」
 渡されたバッグを持ち、僅かな隙間を覗きながらリンセンは言った。そして、きらりと反射した輝きを発見して息を飲んだ。
「宝石…? 全て宝石か?!」
「クラピカは、どこ」
 静かに頷いて、ただ一つの用件を言えば、リンセンは左右に頭を振って答えた。
「ボスは今ノストラード氏のところだ。帰るのは午後になるだろう」
「……そう」
 力無く相槌を打ったは、目線を下に落とした――その瞬間、両膝が意志を失い、華奢な身体は床を目指し横転した。慌てた様子でリンセンが駆け寄り、肩を抱くと未だ意識はあるようだった。
「おい、!」
「…少し……寝かせて」
 それだけ言って、事切れた様には意識を手放した。訳も分からないリンセンは、何度か肩を揺すってみるものの、応答はない。
 ただ本当に寝ているようで、その顔は10代を思い起こすように幼い顔付きだった。
 リンセンはソファにを寝かせると電話をかけた。相手は無論、クラピカだ。

 電話越しで「用事が終わり次第向かう」と冷静に告げたものの、予定よりも早くクラピカはやってきた。リンセンの心中穏やかでない様子は電話越しでも伝わっていたのか、クラピカが廊下を歩く速度は早足だった。
 ソファで死んだように眠るの姿は、二人にとって意外のようだ。
「…本当に寝ているだけのようだな」
「ああ」
「私の部屋に連れていこう。ここにいても邪魔なだけだ」
 邪魔だと言いつつ、を横抱きしたクラピカの手つきは、男にしては華奢ながらも優しい動作だった。
 ふいにクラピカは、軽いと感じたと同時に当然だとも思った。彼女は、女だ。
「……」
「ボス?」
「扉を開けてくれ」
 廊下へと続くドアが開け放たれると、クラピカはその奥に消えていった。その様子を見送ったリンセンは、来客は全て断ろうと思ったのだった。

 ビル一棟には事務所の他にクラピカが時折、寝泊まりしている部屋があった。そこにはガラステーブルとソファ、ベッドが一つずつ置いてあり、重厚な机が窓際に置かれていた。設置されている家具は少ないながらも、どれもが高級だとわかる。
 クラピカはベッドにを寝かせ、ブーツを脱がせてからシーツを被せた。少し痩せたかと思ったが違うとすぐに判断した。
 これは女性の身体なのだ。
「(……細い腕だな)」
 横たわっている白い腕は、余計な筋肉も付いていなければ肉もない。均等に保たれたそれは、クラピカとは違い頼りないものに見える。
 は、これまで一度もクラピカに頼ったことはない。ただ、緋の目の情報と雑談を自由勝手に喋り帰っていく。
 時折見せる、笑顔の奥に在る哀愁の理由。過去、念能力はもちろんのことクラピカはを知らない。知ろうとしたが、それは寸のところで躊躇する。
 を知ってしまったら、これ以上大切な人を増やしてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう――クラピカは常に思い止んできた。
 ましてやは女だ。いくら念能力を使えるとはいえ、何事も安全は保障出来ない。
「(守る…? いつまで、それは)」
 この世界の完全な住人となると足を洗うことは容易ではない。も手を赤く染めているだろうが結局は等しい存在だ。クラピカの近しい人間として危険が牙を剥いて背後に寄り添う。
 何よりもクラピカはシアワセを手にしてしまうのが怖かった。同胞に起きた怒りを忘却の彼方に見送ることが何よりも怖かった。
 の隣で、それを手放してしまうことが恐怖だった。同時に、緋の目と彼女を天秤にかけたら、同胞を取る自分が恐ろしかった。彼女を取ることも怖ろしかった。
「……ん…」
 身じろいだ身体が、クラピカの方へ詰め寄る。薄く開けた口唇に吸い寄せられるよう、ゆっくりとベッドに腰を下ろせば、それは緩く音を立てた。
 無意識の内に伸ばした手が、一点に絞られる。赤く潤う、先ほど魅せられた口唇だ。
 いつかの電話で、この口唇から「会いたい」と奏でられた。その刹那に、心臓が膨れ上がったのは隠しようがない。センリツが近くにいたのなら、冷やかしの目で見られただろう。
 いや、とクラピカはここで否定する。恐らく、当の昔に確信のサインをされている。今も帰ってきて早々、自分のところに戻ってきた歓喜を、ポーカーフェイスを取り繕うのもそろそろ限界だ。
「…傍にいればいい」
 親指で下唇を、そっと撫でる。まるで返事をしたかのように、赤の口唇が揺れる。
 その様子を見たクラピカは、柔く微笑むのだった。

 :

 が目を覚ますと、薄闇がそこら中にばら蒔かれていた。何度か瞬きをして目を擦り上げる。そこでは、ようやく上半身を起き上がらせた。
 左右を確認すると、窓辺のブラインドからネオンが漏れていた。手探りでベッドにあるサイドランプのスイッチを捜し当てると、部屋は一気に模様を見せる。
「クラピカの、部屋…?」
 以前、一度だけここに訪れた記憶が蘇る。あの時は、散々嫌な顔をされたと当時の感情もフロートした。
 ふと、サイドテーブルにメモ書きを発見したは、ライトにそれを寄せて読んだ。内容は、【起きたら呼べ】と書かれていた。
 テーブルにはもう一つ、汗の掻いたペリエの壜も置かれていた。クラピカにしては、珍しい配慮だ。
「…雨でも降るのかな」
 ひとり笑ったは、壜を取ると咽喉に流し込んだ。常温だが、それでもクラピカの優しさが身に沁みた気がした。

?! もう起きて大丈夫なのか?」
 事務所に行くと、室内にはクラピカしかいなかった。は狼狽するクラピカに少し驚愕しつつも部屋に足を踏み入れた。
 クラピカが座っている場所は、よくリンセンがいる椅子だ。彼がいないということは、他の仕事を任せられているか休みを貰ったのだろう。もしくは、ふたりに気を利かせて帰ったのだろう。
「ごめん、ベッド占領してた。何日くらい寝てた?」
「10時間くらいだろうな」
 予想よりも遥かに早い目覚めであった。が思うほど左程、無茶なことでは無かったのだろう。
 相変わらず、この能力の加減が判らないとはひっそりと思った。
「いきなり倒れたと聞いて驚いたぞ」
「ああ…あたしの能力ね、さじ加減わからないのよ。ちょっと反動があって」
「具合が悪いなどではないんだな?」
「うん、寝たらすっきり。ありがとう」
 元気な様子を見せてが笑うと、ようやく安堵したのかクラピカは肩の力を抜いた。彼らしくもなく、ふう、と息を吐いて椅子の背もたれにもたれ掛かる。
「もしかして心配してくれた?」
「もちろんだ」
「会いたかったよ、クラピカ」
「…そうか」
「そこは、私もだ! ていうところ」
 わざと茶化して言えば、クラピカが仕方ないと言わんばかりに口許に笑みを宿らせる。
「私もだ」
 にとって、それは予想外の返答だったのだろう。キョトンとした表情でクラピカを見た後、逆に照れたのは彼女の方だ。
「…ただいま、クラピカ」
「ああ、おかえり」
 しかし、その甘い空気は一変、クラピカの厳格な言葉で一蹴される。
「元気で何よりだ。では、さっさと緋の目の情報を持ってくるんだな。あれから何ヶ月経ったと思っている? これ以上遅れると報酬を減額することも考えなければならない」
「……労わるって言葉、知ってる?」
 目線を合わせて数秒、ふたり同時に微笑む。
 日常が帰って来たのだとは思った。気ままに仕事を請け負い、こうしてクラピカと交流し、償いのダイヤをかき集める。
 これ以上は望んではいけないのだと、心のどこかで決めてしまっていた。

 §

 甘い記憶と共に、時は早送りを図った。クリアになった時間と現実に、は破顔したが、これは決して花色のものではない。
 両肩を捕まれている手は予想以上に熱く、今にも振り払いたい衝動に駆られたがイエスノーを答えなければ、背後にいる黒影は離さないだろう。
「笑っているのか」
「考え事」
 時間は残されていない。
 は、長息な溜息を吐くと一つ提案した。
「わかった、クモに入る。けど――」
 くるりと頭だけ後ろを向いて、は数ヶ月振りのクロロを見た。彼は、今日は団長としてここに来ているようでオールバックに羽の付いた黒コートを着ていた。共にいる時は、時おり髪を下ろしている姿からラフな格好まで幾つかあった。
 冷酷に見下ろしている様子は"団長"そのものなのだろう。漆黒の双眸は、どこまでも光がない。
「条件付きで半年の猶予をちょうだい」
「どういうことだ」
 椅子を半回転すると、クロロは一歩下がり、やはりを見下ろした。何を言うのか、それとも罠か。クロロは隙一つなくを警戒している。
 は足を組み、両手を上げてひじ掛けにもたれた。何もしない、と彼女なりの白旗である。
「自分の命、または仲間の命の危機以外、人殺しはしない。けれども命令は忠実にこなす。もしも、くだらない理由で誰かを殺せと言うなら、あたしはそれには従わない。これで3度目になるけど、あたしの念能力って殺るには不向きだしね」
「うむ」
「幻影旅団は盗むことが主なんでしょう? それは従う。あなたに望み通りの物を並べるから、条件下の人殺しをしないあたしの働きを半年間、見て欲しい。このスタンスで良いならクモに入る」
 顎に手をあて、クロロは一頻り考え込んでいた。は、じっとその様子を窺っている。
 やがて、クロロは頷いたと思えば、片方の口許を釣り上げて確信を問う。
「理由を教えろ。人殺しをしない理由をな」
「あたし、優しいから」
 即答に黒目をまん丸と見開いてクロロは黙った。見たこともないクロロの表情に、笑い始めたのはの方だ。「ふふ、その顔」
「なる程…理由は分かった。だがお前だけという特例はしない。オレが殺せと言ったら殺せ」
「……」
「クモではオレの命令は絶対だ」
 は、見るからに嫌悪感を露わにした表情を作ると大きな溜息を吐いた。そう、このクロロ=ルシルフルという男が、折れるはずがないのだ。
 この条件を飲むはずはないと心の片隅で感じてはいたものの、言わなければ自身、己を許さないのだろう。
 人差し指でチェアの肘掛けを二度叩いた。舌打ちをしたは、腹をくくったのか、やけに大声でクロロに言い放った。
「…………了解。じゃ、そういうことで。よろしく、ルシルフル」
 にやりと片方の口許を撓らせたクロロは、満足気に――否、誇らしげに返した。「団長だ」

 やがては嫌々ながらも、腰から臀部にかけてクモの刺青を刺した。この番号を選んだのは、何となくという理由だった。
 初めは、相当疑っていたのかクロロはクモの刺青を見るまで定期的に電話をしていた。早めに刺したのはそのためだった。
 クロロはの能力を知りたいからか、下準備も兼ねてか、随分とを引っ張り回した。そのため、ほぼ拠点としていたホテルは利用することはなくなり、世界各地に飛び回ることになってしまった。同時にそれは、緋の目の情報も掴みやすかった。
 クロロは案外とアバウトで「ヒマな奴は××に来い」や盗む場所によって個人に連絡したりとまちまちにあった。毎回同行しているは、その都度仲間が変わり、久々に会った仲間の名前を間違えることは多々だ。
 一度、仕事が終わると解散し、また数週間後に会う――もはや、これが日常と化していた。

「お呼びですか団長」
「ああ、こっち」
 今回は初めてアパートに呼ばれたは、ズタボロのドアを壊す勢いで入るとクロロは部屋のど真ん中に鎮座しているソファにいた。目線は見開いた本に止まっており、まだ話しをする気はないように思えた。
 は無遠慮に入り、室内を一望した。部屋は床も壁も本で埋まっていた。いつか床が抜け落ちるのではと思うほどだ。
「ねぇ、窓くらい開けたら」
「……」
 ぺらり、本のページが捲れた音がした。それが返事のように聞こえ、は勝手に窓を開け放つ。サッシから軋んだ音がした。
 季節は、初夏を迎えようとしていた。乾いた風が、の髪を撫で上げている。
「少し閉めて」
「OK」
 外界との繋がりを半分に遮断させる。そこで、は今更ながら疑問を持った。
 どうやら今日のクロロは、団長としているわけではないようだ。
 初めての出会いである護衛でクロロは随分とフランクだった。特に後半、共に住んでいるときは、言葉が砕け過ぎて誰か分からなくなる程だ。
 髪もオールバックではなく、下ろしている。めずらしい光景に、は近づいてソファの隙間に、自分の尻を押し込めた。クロロは詰めようとしない故、妙にぴったりと寄り添う形になってしまった。
 それでもに感情はない。それはクロロも同様なのだろう。
「今日はルシルフル?」
「長いからクロロでいいって前に言ったはずだけど」
「あなたの名前は呼びたくない」
「なんで?」
 ぱたん、と本は閉じるとクロロは真ん中から端の方へと移動した。二人掛けのソファは、ここでようやく均等が取れた。
 とても20代後半には見えないほど、クロロは幼い表情をした。
「あたしたちは、これでいい気がする」
「……近づきたくないのか」
「…何を言ってるかわからない」
 は咄嗟に嘘を吐いた。それは確信に塗られた真実だったのだ。
 初めての出会いからクモに入り、想像以上に一緒にいる。その中でクロロ=ルシルフルという男を垣間見てしまった。
 確かに冷徹で残酷なことをあっさりやりのける。共感は皆無だ。
 それでも、仲間だけに見せる優しさや旅団として、団長としての完璧なまでな采配は、見事という他無かった。憶測は常に真実となる。
「嘘だな」
 ふ、と破顔するこうした表情は、とても人間を血祭りにあげる人には見えない。漆黒の双眸は時に輝きを増す。
「お前は嘘をつくとき、目線を上に上げるんだ」
 クラピカにも言われた言葉だった。

 その後、遅れて来たコルトピと3人で次にターゲットとなる場所の把握と会議をしてから解散した。
 帰り際、クロロはを呼び止めると本棚から一冊の本を差し出した。真っ赤な表紙の本は血よりも鮮やかで、が触れれば彼女の陶器のような肌と素晴らしく似合っていた。
「なにこれ。読めってこと?」
「オレはまだ読めてないんだ。読んだら感想、教えて」
「あたし、あんまり本を読むのが早い方じゃないよ?」
「いいよ」
 両手で持ちかえて、本の題名を目線で追う。題名だけでは一体どんな内容か知り得なかったため、は当然のようにクロロに問うた。
「これ、ジャンルは?」
「恋愛系らしいな」
「ルシルフルもそういうの読むんだ」
 意外だと驚きつつも、どこか可笑しくては笑う。そして、それを大事に胸に寄せると「仕方ない」と言って歩き出した。
 廊下の端では、コルトピが立ち止ってこちらを見ていた。追いかける様に、は足早に駆ける。
 ふいに振り向くと、ドアはちょうど閉められた後だった。古ぼけたドアは、きちんと締まっていないように思えた。
「なに、それ」
「うん、団長から借りた」
 コルトピに話しかけられ、は慌てて答えた。赤一色の表紙をコルトピにも見せる様に差し出す。
「これ知ってる?」
「ううん」
 二人で並びながらアパートを後にした。がこれを捲くるのは、もう少し先だ。


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(20161029)

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