ここの所、が神妙と考え込む場面が多くなったことをクラピカは気づいていた。それと同時に仕事量が増加したのか、週に一度は顔を見せていたのが、最近はめっきりで、ふたりが会うのは実に一ヶ月振りだった。 |
ガラステーブルに置かれている紅茶に手を伸ばしながら、はどこか一点を見据え、黙している。本日は、緋の目の情報ではなくクラピカの顔を見に来ただけだそうだ。 「、私は多忙だ。もう私の顔を見たなら十分だろう」 「……うん」 「…ティーカップはもっと右だ」 「……うん」 すか、すか。の手はティーカップの隣で空を切っていた。呆れたクラピカが指摘するが、本人には全く届いていないようで未だ指先は浮いている。 大きな溜息を吐いたクラピカは立ち上がると、デスクに向かった。デスクには電話対応しているリンセンがいる。パソコン画面を覗こうと屈めば、ようやく動いた。「クラピカ」 「聞きたいことがあるんだけど」 「仕事のことか?」 「大きな声では言えないこと」 「…了解した」 ふたりは、クラピカの自室へと歩を進めた。沈痛な面持ちをしたに、リンセンだけが疑問を持っていた。 「ねぇ、クラピカ。初めて、あたしに依頼した日のこと…憶えてる?」 室内に入った途端、立ち尽くしたままに背後から過去の出来事が掘り起こされた。 唐突な問いに、クラピカは振り向くと訝し気に答えた。 「なぜ今さら過去の事を聞いてくる」 「……緋の目を探してる理由、聞いたことないから」 ふたり、初めて会った路地裏でクラピカは理由も語らず、緋の目の情報のみを求めた。大して気にも止めず承諾して今に至る訳だが、がクラピカへ友人に似た感情を持つようになり、それは興味深く背を押した。理由を、訳を、クラピカを知りたい思いが募る。 その思いが一定値まで溢れたいつかの日、情報収集に長けているが掴んだものは、幻影旅団に惨殺されたある一族に辿り着いた。友人か恋人か家族か、果てはただの人体収集か。の中で憶測が幾つも脳内に思い浮かんだ。 そして死神から電話を貰った後、クロロによって命を天秤に掛けられたあの日、はクモの一部に成った。 無知だったとはいえ、勘違いで無ければ、これは友人への裏切りだろうか。クロロと強奪を繰り返しているうちに人知れずは悩んでいた。だからこそ、真実をクラピカから聞きたかった。 「……座ろう」 一つしかないソファに座るよう促され、はクラピカの後を追うように腰掛けた。ふたり並ぶと、は辛抱強くクラピカからの言葉を待つ。 ふう、と溜息が聞こえたと思えば、昔話は淡々と語られていった。 : 全てが語られると、はいつの間にか握り閉めていた手のひらを開いた。くっきりと浮かぶ4つの爪跡が、どれほどの力を込めていたのか物語の悲痛さを表しているようだった。 痕が残存した手のひらに近づくものがあった。クラピカの手だ。 「ずっと握っていたのか」 「悔しくて」自分に。 「何にだ」 確信だけは言えなかった。 「――」 ソファの背もたれに寄りかかったクラピカは、彼にしては随分とだれた様子で、もたれ掛かった。内心驚きつつも返事をしたは、会話の最中一度も合わせられなかった隣の双眸を覗く。 クラピカの目は先程まで緋色になっていたのだろうか、薄っすらと赤みを帯びていた。 「少し眠りたい」 「…めずらしいね。クラピカがそういうこと言うの」 「私にも眠気はある」 「いいよ、今日は時間があるから見張っててあげる」 にっこりと笑ったは、足を整えて太ももをぽんぽんと叩いた。 初め、クラピカはが何を示しているのか分からなかったが、やがてようやく答えを掴んだ。 「い、いや……結構だ。ダイヤが幾つあっても足りなさそうだ」 「常連限定のサービスです。どうぞ」 「…常連だったら誰でもするのか?」 「ああ、もう…いいから早く」 クラピカの腕を強引に引っ張ると、身体は簡単に倒れてきた。頭がちょうど太ももに乗るよう調節し、は真下にいるクラピカを覗き込む。見下ろされているクラピカは眉間にしわを寄せていたが、そこで何か諦めたのか溜息を吐いてから瞼を瞑った。 そして、先程の昔話の続きだろうか。独り言のように呟く。 「、私にとって死は全く怖くない」 「……」 「一番恐れるのは、この怒りがやがて風化してしまわないかということだ」 怒りを風化して――それは「同胞や故郷を捨てる」と同義なのだろうとは瞬時に思った。 彼の感情は、怒りというよりも呪縛や呪いの類にも聞こえる。こういった感情に囚われてしまうのは、常に生者だ。 「私は裏切りたくない。あの日の為に生きてきたのだから」 は、無意識にクラピカの頭を撫でる。一瞬、驚いたようにその身体は揺れたが、また平常に戻った。 「……私はもう、失うものは何もないと思っていた。自分以外、何も持っていないからな」 何度か行き来していたの手に、一回りほど大きな手が包み込まれた。その手が、弱弱しく力を込める。女の手は冷たかったが、男の手は熱を持っていた。 ここで、は違和感の正体に気づいた。自分とこの人は男と女で、今はクライアントなど何も無関係な境界線にいるのだと。 「だが、お前と出会って得るものが増えた」 もしかしたら、これはクラピカの弱音かもしれなかった。 「…、お前は私の生きる糧を無意識の内に攫っていく。私はお前の存在が怖い」 一頻り考え、はクラピカの言葉に何も答えなかった。ただ、握られている手の上に、更にもう片方の手のひらを乗せて「おやすみ」と言った。 クラピカもまた何も答えなかった。やがて安らかな寝息が室内に小さく反響していった。 : : (絶体絶命の文字が脳内に浮かんだ) ――暇な奴は来い。 クロロのこの一言で集まった団員はを入れて3人。コルトピとシャルナーク。後者のシャルナークはクロロと組んで他のルートで迂回し、掃除中である。コルトピとの二人は安全ルートだと言われている道を通り、目的の物を奪うため、向かっていた。 ここは滞在している街一番の屋敷である。有り余る財力で警備は完璧だと情報は入っていた。ただ、やシャルがいるのにも関わらず、ここで誤算があった。 「(なぜあいつらがいる…?!)」 びくん、と身体を小さく飛び上がらせたは動揺を隠し切れず、それでも背後にいるコルトピに手のひらで止まれの合図を送った。 コルトピは素直に従うと、はゆっくりと振り向いて頭を振る。そして冷や汗をかきながら言葉を捲し上げる。 「(コルトピ、すぐに引き返してクロロに伝達して。時間を置いてリベンジするべきだと)」 「(どうして?)」 「(説明する時間は惜しいから結論だけ言うけど今あそこにいる3人組は、あたしたちだけじゃ手に負えない)」 「(?)」 「(足許、見て。ここから奴らのテリトリー。あたしはもう手遅れだ)」 コルトピが‘凝’で足許を見れば、念で出来た境界線があった。恐らくこれが、の言うテリトリーなんだろう。「(もう助からないかもしれない)」 は、手からルージュを具現化すると、それをコルトピの足に塗った。 「‘お願いコルトピ、クロロのところまで全力で行って’」 「(?!)」 が唱えると意志とは無関係に彼は去っていった。それを見送り、オーラを放つ3人組に目線を送る。彼らの一人が、走り去ったコルトピを追うように駆けるがが立ち塞がった。 の念能力の厄介なところは、名前を知らなければ命令が出来無いという所だ。この3人組の名前をは知らない。つまりは、そういうことだ。 「あなたたちの相手は、あたし。自己紹介から始めましょうか?」 この3人組は、3人で念を操る特殊な兄弟だ。が彼らの念能力について知っているのは、ほんの僅かな情報のみだが、こう言われている。 彼らのテリトリーに入ったら最後、生きては帰れないと。 まるで自分の足ではないみたいだ――コルトピは勝手動く両脚を見て、そう思った。 の言うことは正しい。悔しいほど知っている、コルトピ自身が戦闘向きではないと。コルトピは、自分の両手を見てから、それらをぎゅっと握り締めた。 ――コルトピがクロロとシャルナークの所に到着した頃には、既に二人は掃除を終えていた。待ち合わせの場所に、とコルトピが現れないため、様子を見に行こうとしていたところだった。 「団長」 「コル、はどうした」 無理矢理に全力疾走させられていた両脚はクロロの前に着くと、がくんと膝を落とした。ようやく自分の意思で動くようになったものの、膝は未だがくがくと震え、限界だと言っている。それでも、コルトピは懸命に立ち上がると一つ目でクロロを見上げた。 「からの伝言。時間を置いてからリベンジした方がいいって」 「…詳しく説明しろ」 事の顛末を間違えることなく伝えると、クロロは顎に手を当て、俯いた。隣にいるシャルナークもコルトピの話を聞き、彼なりに考え込んでいる。 「テリトリー、か……詳細が分からない限り確かに厄介だな」 「恐らく踏み込んだら条件を突破しない限り出られないかもね」 3人に沈黙が走る。 やがて決断を迫ったのは、この場で権力を振り翳す時間とシャルナークの一声だった。「団長」 「どうする?」 ――退くか、助けるか。 コルトピ曰く、は言った。『時間を置いてからリベンジするべき』 クロロは空を仰いだ。それから、また地に視線を落とし、のいる方向に目線を滑らせ、決断する。 彼は幻影旅団の団長なのだ。 「――退こう」 クロロは、の言葉を信じた。の命よりも、彼女の言葉に信頼を置いた。 彼は幻影旅団そのものであり、クモの意思こそクロロであり、個人よりも旅団としてを選択する。 これこそ、クロロ=ルシルフルという男だった。 今回のアジトは街から離れた空き家だ。何年も無人のせいか、室内は蜘蛛の巣があちらこちらと覆い、意味の持たない椅子やテーブルが置いてあった。 帰ってきた3人は、まず団員を集めるため連絡を取った。二時間内には、フランクリンとマチが来るようだ。 「シャル、例の3人について調べてみてくれ」 「アイ・サー」 シャルナークが出て行くと、クロロは壊れかけのソファに座った。まだ何か考え込んでいるのか、自身の思考に潜り込んでいる。 コルトピはクロロの傍に座ると、ただじっと隣からのアンサーを待っていた。 : 二時間後、シャルナークが戻ってきたことを皮切りに続々と団員は揃った。今日の出来事を聞かされた二人は、神妙な面持ちで終始を聞いていた。 「オレが調べて分かったことは、この3人組が来たのは全くの偶然だった。どうやら屋敷の主が別件で3人を呼んだみたいだね。それでオレたちが入ってきたから急遽手を貸した、ということは想像に難くない」 「運が悪かったね」 「――本当にね」 まるで、そこにいたのが当前のように会話に入ってきた声に、その場にいた全員がドアの方向へ焦点を絞った。 明星は、まだだ。薄暗い室内で颯爽とドアから向かって歩いてくる女は、疲労を覆い隠した表情でも衣類は血と埃で汚れていた。 「! 無事だったのか」 「ちゃんと見てよシャル。五体満足じゃないでしょ?」 シャルナークに問われ、は苦笑しながら答えると手に持っていた何かを掲げた。 それは、腕そのものだった。左の肩から数センチほど下のところで、あるべきものは無くなっている。念で止血しているのか、腕から血が垂れ流されている様子は無い。 「マチ、ナイスタイミング! 悪いけど――」 「ん、そこに座りな」 唯一壊れていないチェアに腰を下ろしたの顔色は、月光で分かるほど青白くなっていた。余程、念を使ったのだろうか凛とした毎度の覇気はない。 マチの指示に従い、念縫合している間、それでもクロロは容赦なかった。 「コルと別れてからの経緯を教えろ」 「…テリトリーに入ったあたしは、まず時間をかけて一人の男に念をかけることに成功した。腕一本飛んだけどね」 ぎゅ、と引き釣られた感覚に眉を顰めると、腕は定位置の場所に馴染んだ。震える手でゆっくりと五指を動かしてみるが違和感はない。はマチに「ありがとう」と言えば、「お疲れ」と彼女にしては優しく微笑んだ。 「で、それからそいつに‘手伝って’貰って抜け出せたわけだけど、それから必死に残りの二人が追いかけてくるものだから撒くのに時間がかかったわけ」 「やつ等の能力は分かったのか?」 「あいつらには一人一人役割があって、一人が欠けると絶対領域たるものは崩壊する……けど、たぶん殺しちゃだめなやつかな。一生、そこから出れない可能性がある」 「……」 「3人の最大の能力はテリトリーから逃さないことじゃない。その中で自分たちが優位になることだ。力が半減すると思ってもいい…ガードできると思ったのが全然だったから」 クロロは黙っての言葉に耳を傾けていた。 「…………なるほど」 やがて立ち上がると、の情報を基に彼なりの自論を展開していく。 「の情報から察するに、その絶対領域たるものは限定を示唆しているものだ。一定の範囲内に念で出来た領域を作り出し、そこに誘き出して狩る」 クロロは人差し指を立てると確信に塗られた憶測をさらに紡ぐ。 「これは更に憶測によるものだが能力が半減と推測するに一人はテリトリーを作り出し、一人は能力半減の役割をし、最後の一人は三人を繋ぐ補佐を役割としている。三人一緒に圧倒的優位に立つには、繋ぎが不可欠だ」 ここで立ち上がったのはシャルナークだ。「まとめてみましょう」 「つまり、奴らのテリトリーに入らなければいいってこと。‘凝’を怠らずにしないと」 「でも、それなら簡単すぎる気がしないかい? もっとおびき寄せる何かがあると思うけど…ま、勘だけどね」 「…お前の勘は頼りになるからな」 次々と憶測や意見、提案を言い合う団員達にはただ一人感心していた。 今までクロロと共にいて理解してきたが、潔い良い決断力と真実に近い憶測は的を得ている。これこそカリスマというのだろう。 同時に恐怖も感じていた。これは一歩間違えれば、崇拝になると。特にコルトピやマチ、ノブナガなどはその気がある。 ここで(じゃあ、いつか自分も?)と考え、は一人否定する。そもそもクロロの善悪と自分の善悪は根本的に違う。 「誘き出して狩る、なんてまるで蜘蛛みたいね」 ふいにが思ったことを口にすれば、フランクリンが静かに笑った。 「どっちがクモが教えてやらないとな」 団員たちは皆、不適に笑う。幻影旅団は欲しいものは奪う。ただ、それだけだ。 「コル、シャル、マチ、フラン。各々ペアを組め」 「了解」 「え? あたしは?」 名前が呼ばれないことに気づき、は少し驚きつつ、自分を指して聞いた。 「お前は留守番だ。オレは単独でいい」 クロロは無表情のまま、淡々と告げる。何か考えがあるのか、その理由を述べる気はなさそうだ。団員たちも、それを分かっているようで誰も何も言わない。だけが、疑問を持っていた。 「留守番するくらいなら帰りたいんだけど。シャワー浴びたいし」 「……」 「…はいはい、お留守番も仕事の内ってことね」 睨んだつもりはないだろうが、クロロは無表情のままを見下ろした。その双眸が酷く怒気が孕んでいるように思え、はあっさりと白旗を上げる。しかしながら、クロロの眸に宿る怒気は、彼女に対してのものではない。 その威圧感に耐えられなくなったは、役目を果たすために駆け出していたある団員に声をかけた。「コルトピ」 コルトピに近づき、は彼の前で屈んだ。会話をしやすいように、彼女なりの配慮だ。 「足、大丈夫?」 「大丈夫、平気」 「全力って言っちゃうと限界まで走らせられるからちょっと心配だった」 「びっくりしたけどね」 髪から唯一覗く一つ目が、瞬きを繰り返した。まん丸としたその眸は無色に見えて、どこか嬉しそうに歪む。 は苦笑して答えた。「ごめん、驚いたよね」 「気にしてないから」 そう言うとコルトピは、他の団員の後を追うようにドアの奥に消えた。 二人の様子を見ていたクロロが、先ほどまでになかった笑いをひとつ。 「ふ…お前、コルには優しいんだな」 「違うよ」 立ち上がったは、舌を出して答えた。「クロロ以外には優しいんだよ」 後日、屋敷内で奇妙な惨殺死体が発見された。3つの死体全て、左腕が切り取られていたのだった。 ( |
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(20161107)