いつの世にも、ゴッド・ファーザーと呼ばれる人物が存在する。 その男の誕生パーティーは盛大なもので、マフィアだけではなく各界の著名人たちが名を連ねた。その中に、田舎者と後ろ指を指されていたノストラードファミリーも並んでいる。 あの事件から約二年。クラピカが若頭となってからは、随分と敵は少なくなってきたが、まだまだ妬みは尽きない。 その輪の中に、=の姿もあった。彼女にとって情報収集するのに打って付けのパーティーなのである。この場を誘ったのは、無論クラピカであった。 まるで恋人同士のように腕を組んで歩く姿に、すれ違う人々の誰もが振り返った。賞賛、嫉妬、奇異――ふたりが並ぶとその見た目から、至極目立つ。 秀麗な美貌はクラピカはもとより、もまた二年前よりも幼さが抜けたためだろう。 「まぁ、お似合いのカップルね」 「ありがとうございます。マダム」 事は順調に進んでいた、はずだった。 すれ違い様に純白のドレスは、瞬く間に赤に染まった。ぶつかった拍子にかけられた染みは、まるで地図のように。 特に慌てることも無く、とクラピカは一度会場を退席した。焦燥感など見せたのなら、相手の思う壷だからだ。 「替えのドレスを用意させよう」 「ううん、いいよ。もう少しで終わる時間だし。クラピカ一人で行ってきなよ」 ホテルの一室を借りて、ふたりで今後を話し合う。確かに、もう少しでパーティーは終わりを告げるだろう。もまた情報は狩ったようで満足気にしていた。 ただ、背中に貼り付くワインは不快のようで、タオルで叩くように拭いているものの、うまく出来そうに無い。 「背中を向け」 それに見かねてか、クラピカはからタオルを取ると、ドレスを摘み上げ丁寧に拭いていく。 「避けることも出来ただろうに」 「ああいうの見てると、わざと笑顔で返したくなって」 は「気にしないでください」と極上の笑顔で返し、相手を怯ませた。貸しも出来たことだと気にも留めていない。 ふ、と笑う背後の様子には狼狽した。 「あ、今性格悪いって思ったでしょ」 「いや、頼もしいと思っていたところだ」 「頼もしい?」 「こうでもなければ、この世界で生きてはいけない。連れて来てよかったと思っている」 言いながら、ドレスを摘み上げるクラピカは、まだまだ納得するまで拭くようだ。 それを見かね、申し訳ないと思ったのだろう。は後ろ向きのまま、器用にクラピカの手首を捕まえた。「いいよ、もう帰るだけだし」 「あと少し」 「いいって」 華奢な身体が、いやいやと捻るがドレスを摘む手は放す気配がない。 が嫌がったのは、それだけではなかった。臀部には蜘蛛の刺青がある。これをまだクラピカには見せられないのだ。 一週間前、クロロは「許さない」といった。とすれば、今はまだ新参者が名乗りを上げるまで待ち、クモ継続の方が賢明だとは踏んだ。クモの刺青を無くしたところで、どう逃げるかが肝だと思案している。 強い人材を見つけたとしても、あの甘怠い両腕から逃げなければ、能力が盗られることは必須。 は何を擲ってでも、どう転んだとしても、クラピカには直に言わなければならないと思っている。しかし、そのタイミングを掴めずにいた。 否、怖いのだ。クラピカに拒絶されることが、何よりも。 「もう、クラピカ」 体を捻ると、布の破れる音がした。勢いのまま、はその場で躓きそうになりながら、くるりと身体を反転する。 元々、が着用していたドレスは、背中の大きく開いたバックレスドレスだ。これはが用意したものではない。 最初、クモのマークに危惧して断ろうかと思ったが、クラピカがいい笑顔で渡してきた故、そのまま受け取ってしまった。惚れた弱みに近しい。 「……!?」 だが、それが仇となってしまった。上手く隠したつもりが、破れたドレスの隙間から見えてしまったのだ。蜘蛛の入れ墨は、確実にクラピカの目が捕らえた。 「……」 びくん、とと呼ばれた身体が跳ねる。 「どういう事だ……説明しろ…!」 尋常ではない汗が、全身から噴き出した。墜下する冷や汗が、背中の凹凸を縫うように我が物顔で闊歩する。 震慄する身体も心も冷えて仕方がない。意思とは無関係に身体がへたり込む。 の目に映るのは純白のタイルだ。ここから視線を移すことには酷く勇気がいる。クラピカの顔を見れないのだ。 時間は、ここで正常に巻き戻し終えた。 : 指定されたホテルの一室に呼び出されたセンリツは、部屋に入室した途端、広がる光景に驚愕した。 椅子に座らせている身体には念の鎖が巻き付き、目隠しもされ、そしてその女性をセンリツは知っていた。何度か事務所で見たことがあった。 横にいるクラピカを見れば、彼は目で「喋るな」と訴えていた。 「(…)」 青貌をしたの破れたドレスから、何が起こったのか想像し難い。 なぜなら、センリツの記憶によると横で冷酷な顔付きをしているクラピカとこの女性は、誰の目から見ても親密に思えた。このふたりに一体何が起きたというのか。 そして、厭でも双耳に潜り込んでくる心音に戦慄いている。部屋に近づく度に複雑な音が聞こえるとは思っていたが、まさかそれが、このふたりだとは思いもよらなかったのである。 「(クラピカ、どういうこと?! なぜ彼女を…)」 センリツはクラピカに近寄ると、ひっそりと耳打ちをした。 「(センリツ……はクモだ)」 「!?」 「(私のダウンジングチェーンは真偽しか導かない。そこで、それ以上をセンリツの能力で教えてくれ)」 「(彼女を疑っているの…?)」 無表情だったクラピカの顔が僅かに崩れた。心音もドクンと一度高鳴り、リズムが崩れたことでセンリツは悟る。 恐らくクラピカはを疑心暗鬼すると共に、どこか信じたいのだ。それは事の真相だけではなく、の感情をも読みとりたいのだ。 「(…………クモだからだ)」 センリツが頷くと、の前でクラピカが見下すように立った。 「、偽称は不可能だ。お前がクモに入った経緯を教えろ」 クラピカの厳格な一言に、項垂れていた顔が徐々に上がる。目隠しをされているため、の表情は窺い知れない。それはセンリツの気配を隠すためか、また自らの顔を見ないようにしているのか――どちらもだろう。 「……クロロ=ルシルフルに脅迫されたの。今ここでクモに入るか、能力を奪われるか選べと」 「(嘘は言ってないわ)」 「私がクモを憎んでいることを知っていてか?!」 「初め、それは知らなかった。でも時間が経つにつれ、何か引っかかってクラピカが緋の目を集める理由を聞いてから確信した。あたしは、取り返しの付かないことをしたんだと」 「…」 「……いつかクラピカには本当のことを言おうと思ってた」 「(ジワジワと心臓の音が早く大きくなってる…不安と誤解。それと、どこまでも深い哀しみの旋律――彼女、すごく後悔してるわ)」 クラピカは、何も知らなかったとはいえ、がクモに成った事を深く憎んだ。同時に、もうどこにも逃がさないと誓った。 愛は、憎しみと紙一重。 語られる理由は、理屈に他ならない。全ては結果論。クモに成ったことは何一つ変わらないことが汚点だった。 「……分かった。では最後の質問だ…私のことはクロロに漏らしたか?」 「まさか! そんなこと言うはずもない」 センリツに聞かなくても、また本人に聞かなくてもクラピカは心のどこかでこの返答を知っていた。が自分の事を漏らすはずはないと自負している。そして、それを本人の口から聞き、優越感を得られたいだけなのだと。 感情を共有した男女ほど面倒なものは無い。 同胞を集めたい一身の中で恋愛感情など持っての他だった。だが抑止力の効かないこれを、恋愛感情というものをと出会って学んでしまった。情熱を知ってしまった。 理屈ではない。理由も何もいらない。 出発する場所も帰る場所も無い、路頭の淵で邂逅した存在がだった。彼女は、独り暗鬱の中で佇んでいるクラピカに手を差し伸べ、無意識に外界へと誘った。白く美しいその 「…………そうか」 クラピカにとってが嘘を吐いたとしても、これだけはやろうとしていたものがある。 彼女だけは裏切らないと信じて疑っていない。だからこその選択をクラピカは実行する。 から目隠しを外すと、それはしっとりと濡れていた。泣いたのか目許が赤い。その様子を見たクラピカもまた、赤目に――緋の目になる。 「今からお前にジャッジメントチェーンを刺す」 「クラピカ?!」 「……」 本人よりも驚愕の声を上げたのはセンリツだった。ふたりの元に駆け付け、交互に顔色を窺うが予想よりも落ち着いた様子だ。 ただ心音だけは正直である。は一度、大きな高鳴りを奏で、クラピカと言えば逆に心臓が早打つ。二者は確実に互いを意識していた。 「驚かないのか」 「…だから受けたくないって言ったのに」 この場に似つかわしくないほど、は優艶に笑った。 「1つ、今後一切クロロとの接触は絶つこと。2つ、一ヶ月以内にクモから抜けること」 「念は? 念を封じなくてもいいの?」 「お前の念を封じてしまったら緋の目の行方は遠くなる。この2つが条件だ」 「…逃げるかもよ」 「いや、逃げない」 そう言い切ったクラピカの顔には、デジャヴを感じていた。答えは刹那にして脳内に蘇る。 一週間前、とある男の表情に酷似していたのだ。顔そのものではなく、言い回しも、恐らく感情や表現も。 「私が逃がさないからな」 『逃がさねーよ』 確かに、同様の言葉と表情で二人は言った。 「以上だ」 クラピカの小指からチェーンが、ゆらりと宙を舞ったと思えば、それは一気にの心臓目掛け巻き付き、刺した。反動での面貌が顰める。 「なんてことを…」 センリツは両手で顔を覆うとその場に膝を付いた。泣いているのか、震える体は彼女の哀しみを物語っている。 「センリツ、泣かないで」 「どうして…泣きたいのはあなたなのに……」 「あたしの代わりに泣いてくれて、ありがとう」 力無く笑ったは、もう、それしか言いようが無かった。 を拘束したまま、クラピカの部屋に移動した3人の沈黙は重い。だが、それを破ったのは、やはりこの男だった。「――」 「私がヒソカから得た情報によると、クモから退団するためには入団希望者が在団員を倒すことらしいな」 「……らしいね」 「念能力を残した理由はもう1つある」 は初め、クラピカの意図を汲み取ることは出来なかった。無表情の彼は微動だにすることなく、まるで感情が読み取れないのだ。 だが、背後にいるセンリツだけは感じていた。なんて矛盾した不定和音なのだろうと。 「そう簡単に入団希望者など現れるはずもない。だが、お前には欠番になってもらわなければならない」 「…」 「団員の中にコピーを得意とするやつがいるな」 「…!」 「そいつの能力を利用して、死んだことにする。そしてテレビに報じた後、コピーの死体は早急にこちらで回収する。恐らく念のコピーは長く持たないだろう」 今の説明で何が言いたいのか、は瞬時に理解した。 「そいつにうまくコピーさせ、あたしの能力でクモに本当のことを言わないようにする、てことね」 「その団員を殺すことも考えているが」 「それはだめ!」 「なぜ庇う」 「……能力者が死んだらコピーも消える。だから、だめ」 本当はコルトピを死なせたくはなかったのが本来の理由だ。だが、それを実直にクラピカに言ってしまえば、どうなるか分からない。は、どちらの味方でもなく、綱渡りのように二つの対立する中間を渡り歩いている。 戦い続けるのは自分自身だ。自分がどうしたいのかを模索している。 「…一先ず分かった。その団員と連絡は取れるのか」 「うん、出来る」 「ならば早く約束を取り付けろ。見張りとして私も遠くから監視する」 「わかった。じゃあ、これ解いて。今電話するから」 チェーンジェイルを解かれたは、すぐにコルトピに電話をした。仕事の都合上、コルトピの能力が必要で手伝って欲しいと慣れない嘘を吐いた。 会って話さなくて良かったとは思った。今、コルトピに会ってしまったら泣いて縋ってしまいそうだった。この五ヶ月の間、団員の中でコルトピとは随分と顔を合わせていたため、仲が良いとは勝手に思っていた。 取り付けた約束は一週間後――長い夜が始まる。 決行の場所をノストラード組の管轄とは程遠い場所を選んだ理由は、足跡を残さないためだ。死体回収は、警察に賄賂を注ぎ込めば問題ない。例え断られても、人間が首を縦に振る方法をクラピカは熟知している。 待ち合わせ時刻は12時、場所は酔っ払い達が集うネオン街にした。全てはクラピカの計算通り。遠くから監視するクラピカの横にはセンリツもいた。ビルの屋上で団員が来るのを待っている。 センリツは自ら同行を願い出た。他の団員もいると厄介だということ、また一度センリツはクロロの心音を聞いている。万が一に備えてだった。 だが、センリツにとってそれは建前だ。一番の理由は、このふたりを放って置く事が出来なかった。 「合流したようだ」 双眼鏡を覗き込みながら、クラピカが言った。 レンズの向こう側では、と小躯の団員が話をしている。それから二人は、人影のいない路地裏に向けて歩き出した。 「センリツ、二人の会話は聞こえるな?」 「ええ、二人とも他愛ない話をしてるわ」 「何か不穏な会話があったら教えてくれ」 「…分かったわ」 不穏などどこにもなく、二人は仲良く会話を弾ませている。到底、殺人集団の一員とは思えないほどだ。 センリツは懸命に耳を傾けた。それは疑惑としてではなく、最後にがどういった行動を、会話をするのか見届けようと思ったのだ。 : 周囲に警戒しながら、路地裏に入った二人は、ある程度歩くとそこで足を止めた。 「じゃあコルトピ、もう一度おさらいするね」 「うん」 「まずコルトピは、あたしのコピーを作ってそれをピストルで壊す。その後コルトピは、この場から離れて、あたしは警察に連絡する。ちゃんとこの場から電話しないと警察にGPSでバレるからね」 「OK」 「あ、お金は前金で渡しておくね。……はい」 渡された袋には、きっちりと提示した金額が入っていた。それを眺めてから、コルトピは頷く。 「しゃがんで」 左手を伸ばしながら言うコルトピに、は無言のまましゃがみ込んだ。念を込めると右手から複製が出来上がる。 物としてなら見たことはあるが、ギャラリーフェイクを人間に使うところを初めて見たにとって少し不思議な感覚がした。況してや、それは自分自身である。 「なんか変な気分」 「それ、前にも誰かに言われたよ」 「だろうね……ねぇコルトピ」 「なに?」 眉間に皺を寄せ、困ったように笑うは「ごめんね」と呟いた。そして自分の左胸を指す。コルトピはが何を伝えたいのか判別できないようだった。 「……コルトピ、また会おうね」 この一言でコルトピは、何か気づいたように大きな一つ目を更に見開いた。 コルトピも馬鹿ではない。の様子や仕草で伝えたいことが朧気だが感じてしまった。どこかで起きた事と酷似していると。 「今日のこと、誰にも言わないで」 「…」 「お願い、返事をして」 「…………団長は…クロロは、を大事に想ってるよ。ボクも」 「それ以上言わないで」 (さよならが、哀しくなるから) 哀愁の別れなど、ごめんだった。 彼女は哀しむために、ここにいるわけではない。涙よりも感謝を――は胸を張り、精一杯言葉を紡いでいく。 「ねぇコルトピ、大好きよ。初めクモに馴染めなかったあたしの横に、それとなく居てくれて嬉しかった。心強かった。ずっとお礼を言おうと思ってた」 「は最初、人見知り激しかったもんね」 「うん…」 「団長の後ろから少し離れた場所がの定位置だったね。知ってたよ」 「うん…うん…」 「団長から借りた本、読んだ? この前、団長がぼやいてた」 「…うん、うん」 一体、何に頷いているのだろう。返事のリズムは合っていない。 「……、ボクも大好きだよ。また、会えるよ」 「うん!」 : 遠くから二人の会話を聞いていたセンリツは、一人涙した。期間は、半年も満たない。だが間違いなく、あそこには絆があった。 「センリツ? 泣いているのか」 「ごめんなさい、少し」 「二人は何を話している?」 「……別れの レンズ越しの世界でしか二人を垣間見ることは出来ない。 センリツは、クラピカに言葉ではなく‘別れの とコルトピから奏でられている心音は、確かに別れの : この後、は念を発動するとコルトピにある命令をした。今日の出来事を誰にも漏らすな、と。 それから、コルトピの両脚に念のルージュを塗りつけ、ここから逃げるお願いもした。もしもを考え、クラピカが何か仕掛けるかもしれないからだった。 自分自身のコピーに銃口を向け、何発か放つとは警察に通報してから、ようやくその場を後にした。 二人の元に戻ったの目許は、赤く腫れていた。 『、ボクも大好きだよ。また、会えるよ』 『うん!』 後に二人が、生きて会うことは無かった。 |
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(20170305)